穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

青鬼のフンドシを洗う女

2021-08-07 07:24:36 | 書評

 懲りずに安吾小説紹介。標題の短編、(中編?)はマクラの部分がいい。落語でいう所のイントロというか冒頭部分である。途中から妙な女の観念小説になる。

ハクチなどとは記述の順番が逆になっている。小説のタイトルであるが、どういう意味なのかと興味を持って読み始めたが、途中から読めなくなった(退屈で)。したがって読者にタイトルの意味をご説明することは出来ない。

 相変わらず東京の大空襲が出てくる。作品は昭和二十二年発表、ハクチと同じ年である。ハクチが描いているのは四月の蒲田空襲であるが、こちらは三月十日の本所深川地区の東京大空襲である。二時間の間に東京都民十万人以上の民間人が虐殺された。時間単位での虐殺率を比べるとアウシュビッツも真っ青なホロコーストであった。

 安吾の小説はホロコーストの糾弾が目的ではない。空襲までは母親からメカケ稼業を仕込まれる主人公の娘時代である。メカケ道というものがある。後妻道や後妻稼業があるように。母親もメカケで、何人かのメカケになっている。主人公の娘は母親の今の旦那のこどもではない。母親によるとメカケは一番いい商売である。もし、結婚したいなら実業家でなく、つまりお雇い社長ではなくて、大資産家の息子を狙えと教える。それも長男に限るというのである。

 その母親は三月十日の大空襲で窒息死してしまう。大火災が起きると広範囲の酸素が燃焼してあたり一帯が無酸素状態になり、窒息死した都民もたくさんいた。

その後の記述は退屈で読めなかった。冒頭に興味を感じたのは、いまでも類似の母娘がいるらしいという友人の話を聞いたことがあるからかもしれない。

 

 


ちょっと褒めすぎたかな、と気になったので

2021-08-06 05:22:34 | 書評

 ちょっと褒めすぎたかなと気になったので慌てて補足を入れる。前回坂口安吾のハクチの後半を褒めた。そのあとで彼の他の短編を少し読んだが褒めすぎたのが気になる。そんなにいいなら読んでみるか、と皆様にとられると困る。責任を持てない。あくまでもハクチの後半部分の描写をほめただけである。

 あとで若干ほかの短編を読んだがどうも感心しない。といっても全体として坂口安吾を評価するほど読んだわけではない。短編を二つ三つ、それも終いまで読んだわけではない。しかし、それらは彼の作品の中では評判のいい作品あるいは評論らしいのでおおよその判断は間違っていないと思う。

 じつは本屋で彼の「有名な」堕落論が載っている文庫本を偶然見つけてあがなったのであった。ちくま「日本文学009坂口安吾」というアンソロジーである。めくってみると堕落論、続堕落論が載っている。前に読んだ記憶はあると前回書いたが、どうしても内容が思い出せない。それでそいつを買ったわけである。

 まずこれから行くが、終戦直後世間を震撼させたほどの内容があるのか。ない。天皇制について書いているが、これは美濃部亮吉博士の「天皇機関説」を低俗な文章でなぞったものであり、戦前からよくある説である。日本の農民論もあるが、深みはない。うなるようなキレもない。論拠がない。

 次に小説の短編であるが、誤解のないように見た(読んだ)ものを挙げる。

「いずこえ」

「ハクチ」

「金銭無情」これは途中まで

「桜の森の満開の下」途中まで

と言ったところである。

 福田恒存だったか、解説でいっていたが、坂口の小説は観念小説と言われるそうである。たしかに、上記の上から三作は冒頭から鬼面人を辟易させる観念(というか観念をキャラだてした登場人物)が出てくる。しかし叙述が進むにつれてその観念的な鬼面人を驚かすような観念が有機的に展開することはない。なんなの、とあっけにとられる。ハクチでも空襲描写はよいが冒頭からの有機的なつながりはない。

 これで読者に対する公平性と言う責任は果たしたかな。

 付け加えると、金銭無情はいわゆる中間小説なのだろう。最近は中間小説という言葉はきかれなくなったが、純文学作家が小遣い稼ぎに書く通俗小説と言ったところを意味していたようだ。以上現代の読者への注である。

 

 

 

 


坂口安吾ハクチにおける空襲描写

2021-08-02 14:38:07 | 書評

 東京空襲についての「ハクチ」の描写は出色である。もっとも私は寡読であるから未読の作品も多いと思うが、読んでいるうちでは文句なく第一である。これは私小説なのか。場所は東京府蒲田区、現在の大田区の一部である。矢口小学校なんていまでもあるかな。畑が出てきたり林が出てくるので、どこだろうと読んでいると蒲田区と出てきた。当時は住宅と田園、山林のミックスした地域だったのだろ。

 終戦の翌年の作だそうである。東京都は東京府とも書かれている。調べなければいけないが終戦直前か直後に東京府から東京都になっている。安吾は昭和二十一年に書いたが同じ作品中で東京府とか東京都とか書いている。もし彼が私小説作家らしく、事実に基づいて書いているなら東京府から東京都に行政単位が変わったのは昭和二十年終戦直前ということになるが、どうだろうか。調べればすぐに分かることだが。時期は明記してあり、昭和二十年四月十五日の空襲前後の話である。

 国民のほぼ全員が書かれているような空襲すなわち民間人の大量無差別焼殺攻撃をアメリカ軍からほぼ毎日受けていたから、坂口が全くの空想で書いたとは言わない。しかし、すべてが実体験かどうか。

 白痴の女の出てくる意味が小説の前半では分からない。ところが彼女は見事なトリックスターなのである。後半の空襲描写あたりから俄然生きいきとしてくる。今風に言えばキャラが立っている。そこまではつまらない。ハクチの前に掲載されている短編「いずこへ」と同様奇をてらうだけの観念小説かな、と読んでいると俄然迫力を増す。

 この短編にはアメリカの非人道的なホロコーストについての言及はない。また、福田の解説(昭和二十三年記)にも内容の言及はない。ただ代表作だとかいてある。おそらく、推測だがアメリカ占領軍のてまえをはばかったのであろう。そのようなことに言及すればアメリカ軍によって、作品は発禁、著者や解説者は公職追放あるいはレドパージを食らうからであろう。

 


パチンコ的読書術

2021-08-01 10:42:49 | 田中英光

 小筆得意のパチンコ的読書術によって、坂口安吾の「ハクチ」と題された新潮文庫の短編集にぶち当たった。ハクチというのは馬鹿ワープロソフトでは変換できない。漢字に変換する手順は勿論あるが、そんなくだらないことはしない。ついでだが馬鹿(バカ)は一発変換できるのにどうしてハクチは出来ないのか、宿題を出しておこう。

 さて、玉をはじいた。最初にぶつかった釘は講談社文芸文庫、田中英光「空吹く風、ほか」である。文庫も特殊だし、あまり売れていないようだ。田中の文庫本についてはこのブログで過去二回書いた。あまり注目されない作家(それも過去の)の書評を二回も書いたので、本屋で上記の本を見た時には義理感で贖った次第である。

 この本はいくつかの短編が収められている。そのうち二つ三つ拾い読みしただけだが、なかに坂口安吾らしき人物とバーで邂逅した場面がある。「高雅な紳士」で親切に田中の作品に意見だか指導をしている場面がある。はっきり思い出せないが「作品の中で講義、あるいは講釈をしてはいけない」というようなテイだった。できるだけ正確に引用するほうがいいので、もう一度本をひっくり返してみたがどこに出ていたか思い出せない。たぶん当時共産党の活動家だった田中の政治談議を指しているのだろう。

「高雅な紳士」という表現にに引っかかった。田中、坂口両名は私小説作家、デカダン派と便利にラベルが貼られている。両名ともアドルムと言う睡眠薬中毒のもとで乱作し、しばしば発狂状態になったと言われる。べつに四六時中無頼派を気取る必要もないから「高雅」に構えるときがあってもおかしくはない。

 それで、玉は跳ねて次の釘にあたった。坂口安吾の文庫本を探した。何しろ文庫しか読まない。坂口の作品では前に「堕落論」という、有名な、作品を読んだが、どこがいいのか印象がなく、記憶もない。で本屋で上記の「ハクチ」を見つけた。終戦直後に書かれたものだが、令和三年、百二十版だ。

 玉はまた弾かれて、この文庫の後ろに掲載されていた福田恒存の解説という釘に当たった。

 これが分かりにくい文章で、福田も書き散らかして分かりにくいかもしれぬという気がしたのだろう、分かり易く書き直そうとする代わりに、解説の最後に分かりにくいかもしれないが何度も読み直してくれと、書いてある。

 この解説は趣旨がどこにあるか、ほめているのか、けなしているのか手ごたえはないが分かるところもある。「わかる」と言うことは「読者として同意する」と言うことではないが。

 福田は言う、「私小説とは作家の処世術である」と。

 第一にここに収められている諸短編が私小説かどうか私には判断できない。ま、そういうことにしておこう。しかし、「私小説は、作家の処世術に堕してしまっている」もいいが、わたしなら『私小説とは編集者、出版社が作家と共謀して行った差別化による付加価値付与的ラベル貼りである』とするだろう。

 もう一つ思い出した。やはり田中英光が、彼の師匠であり、スポンサーであった太宰治のことを「高雅な紳士」と表現していた。太宰治は有名な連続心中魔でそのたびに相手の女は死んで彼は生き残ったという経歴の持ち主である。とても「高雅な紳士」というイメージはわかない。しかし、実際に面ゴ(日篇に吾)に栄に浴したわけではないから何とも言えないが。太宰は田中の作品を雑誌に掲載するように周旋したり出版社に斡旋してくれる命綱だから最大級の場違いな敬意を現わしたのだろう。文壇という狭いギルドを泳ぐのは無頼派にとっても容易なことではないのだ。