穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

飢餓海峡

2014-04-23 23:23:11 | 書評
水上勉の作品読了。前半、おやと期待を持たせ、後半並みというところか。

作者の後書きによると、娼婦杉戸八重は「ソーニャのように男主人公にとっては無償の愛を交わし合う相手でなければならぬ」とある。多分ドストエフスキー『罪と罰』のなかの娼婦ソーニャのことだろうが、作品のなかでの肉厚さは全然ちがう。風俗作家(ちがったかな、何となく私のなかではそういうイメージなんですが)の水上勉らしく詳しく描かれている。罪と罰のソーニャは幽霊みたいな存在です。

それともこのソーニャというのは別の誰かの作中ヒロインのことだろうか。いずれにせよ、彼女は罪と罰ではチョンの間役ですからね。それはともかく、水上氏は「犯罪小説」のお手本として罪と罰が念頭にあったようです。

尾崎秀樹氏の解説もついている。『レ・ミゼラブル』と比較している。たしかに、この小説は樽見京一郎という逃亡者を大きなシャドーとして据えている。がレミゼは逃亡者の視点、行動が主体だが、樽見京一郎の場合は黒い影として追われる得体の知れない人物として描かれ、最後の最後にいわゆる謎解きのところで主役になる。

そう言う意味ではこれは警察小説とも言える。

また、ジャンバルジャンは何度も脱獄をして重罪になっているが、その罪はパンを盗んだというだけだ。一方樽見は殺人(もっとも最後の告白で十年前の事件では襲われてやむを得ず殺したと主張している)犯である。だから尾崎氏の比較も首をひねらざるをえない。

こういうことの無理というか、不自然さが気になるのである、最後まで読むと。

細かいところでいくつか: 「不在証明」という言葉がかなり出てくるが違和感がある。アリバイという言葉はそのころの推理小説では使われなかったのかな。昭和37年の作品。

最後の方で、昭和32年の記述で「炊飯器のスイッチを入れる」とあるが、そのころ(電気、ガスでもいいが)炊飯器があったのかな、と疑問に思ったので調べたら35年頃からかなり実用的な商品があったらしい。意外と古いんだなと思いました。




腹持ちのいい小説の一例、水上勉「飢餓海峡」

2014-04-22 10:18:01 | 書評
初読で腹持ちのいい小説を読んでいるので、前回の一例としてあげよう。

水上勉「飢餓海峡」昭和37年。まだ途中だが腹応えがいい部類にはいる。

本人の後書きによると、推理仕立ての社会小説として読者に受け止められた、自分でも異存がないと書いている。

同じ後書きで「かなりの評家が、これを取り上げて、いろいろ感想を発表された。推理小説としての不手際についての論評だった。私は犯人を(最初に)出しておいたから、もう推理小説としては落第と思っていた」とあるが、どうかな。

犯人を最初に出して、犯行を描写して、警察なり私立探偵がそれを追求して行くという小説はかなりある。

それは推理小説とは言わないのかな。スリラー、サスペンス、ミステリー、探偵小説、ハードボイルド小説、警察小説、推理小説といろんな言葉が有るが、そういう分類にはまったく興味がない。

私としてはそんな分類は意味がないと思っている。私は一括して「犯罪小説」として読んでいる。ドストエフスキーの「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」も犯罪小説だ。犯罪小説だって腹持ちが第一要件だ。

文章のうまい、下手はそうね、必要ないというのは乱暴だが、千ページをこすような小説で全編名文を求めるのは無理だろう。

飢餓海峡、60パーセントくらい読んだだけだが、長編だからだれるところもあるし、分かりにくいところも有る。いままでに気づいた点は、叙景の文章はうまくない。とくに前編は。いろんな土地の刑事が登場するが、誰が誰だか混乱する叙述だ。女が登場する場面は通俗小説の作家なのか分かりやすい。そのかわり、平板に流れるところが有る。

「推理小説として云々」だが、推理小説20則みたいな馬鹿馬鹿しい観点からするとスカスカの部分があるかもしれない。

とにかく、松本清張(これは昔何冊か読みましてね)よりかはるかに歯ごたえがある。当時こんな小説もあったのかと不明を恥じた次第である。





ステーキと銘酒*感傷的書評論緒1

2014-04-06 09:49:07 | 書評

このブログの書評の一つは感傷的再読論であることは再三述べた。私が再読するものは限られているから、あらかた出尽くした。

そこで書評のメタ評論的なものを試みてみよう。私の再読の対象になるのは、顧みると、二種類あるようだ。

一つ目は歯ごたえのあるもの、あるいは腹持ちのいいものとでもいうか、要するに迫力のあるもの、力のあるものである。

二つ目はのど越しのいいもの、言い換えればうなるような名文であること。

これを要するにビフテキと銘酒ということになろう。

言い忘れた、もう一つジャンルとして旬のものであることである。小説というジャンルではそういう時期は非常に限定されており、明確である、私にとっては。

具体的に言うと、イギリスでは18世紀、19世紀の小説、フランスでは19世紀の小説、ロシアでも19世紀の小説、アメリカでは19世紀後半から20世紀前半のものということになる。

日本では?? 難しいね、ま、いずれにせよ小説という言葉が出来たのが明治だからそれ以降となる。平成は除きたいね。安心して推薦できるのは永井荷風だけだが。