穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

Z(7)章 産婦人科医になり損ねた男

2017-03-31 07:28:13 | 反復と忘却

「鮮やかな手並みですね」と三四郎は言った。その男と話すのは初めてなのだがあまりに見事な技に思わず感嘆の声をかけてしまった。おとこは文庫本をテーブルに置くと「なに、まぐれですよ」とその消費者金融の取り立て課長のような幅の利いた顔を三四郎に向けた。難病治療などを売りにしている新興宗教の教祖等には「おさすり」とかいうのが有るらしいがそれなのだろうか。

「指圧のまねごとでね。おやじから少し教えてもらったことがあってね」

「お父さんは指圧師なんですか」

男は笑って「いやいやオヤジは医者でしてね。いまどきの日本の医者は断らなくても西洋医学なんだが、うちが代々医者でね、何代か前までは当然漢方医だったんですよ。うちのオヤジが祖父から言われたらしい。西洋医学でも鍼だけはやっておいた方が良いってね」というと男は飲み差しのコーヒーカップを取り上げた。

「ウヘッ、醒めちまった。冷えたコーヒーくらい不味いものはありませんね。ファストフード店のコーヒーみたいだ」 

たしかにそうだ。コーヒーは舌が焼けそうなほうがいい。三四郎は猫舌だが、ちびちびと口に含んで適当に温度が下がったところでコーヒーを飲んでいる。最初から生温くては気持ち悪くて飲めない。

「もっともお茶は熱いのはだめですね。店によっては茶を注ぎ足す時にぬるくなるからと飲み残した茶を捨ててから熱いのを注ぐ店があるが、東北の田舎料理屋みたいでいやだな」

「たしかに、茶の適温はコーヒーより大分低い。熱い茶をふうふう息を吹きかけて一口飲むたびに大げさにハアハア言うのは東北のどん百姓だな」とおとこは頷いた。

「それであなたもお医者さんですか」と消費者金融風の男に聞いた。

おとこは慌てた様に手を横に振って打ち消した。「私は医者じゃない。オヤジは産婦人科の開業医でね。思春期の頃、診察室の隣から私はよく中を盗み見していてね。あれほど醜悪な風景はありませんぜ。あんなお世話は御免だってね。それで医者には絶対なるまいと思った」

おとこはコーヒーカップを脇にのけると「さっきに話ですけどね、オヤジからお前も鍼や灸を少しやっておけ、具合の悪いときは自分でやれば大抵の場合医者に行く必要もなくなるとオヤジに言われた。開業医らしくない言葉だが」というと口をゆがめた。「鍼はとても素人には無理でしょう。お灸も自分で据えるのは難しい。それで指圧でも習っておけとオヤジがいうんですよ」

「それでさっきのはその応用ですか」

「まあね、自分でもあまりうまくいったので驚いています」

 


Z(6)章 泣きわめく幼女

2017-03-30 09:00:27 | 反復と忘却

神保町から靖国通りを須田町まで歩くと三四郎は時々立ち寄る定食屋の引き戸を開けた。紺色の暖簾を潜って中に入ると時間が遅いからサラリーマンの客はいなくて、いつも見かける常連ばかりだ。壁を背にした椅子に腰掛けると隣のテーブルに座っていた中年の男が顔を上げた。お互いに軽くうなずいた。いかついた肩をした中年の男である。食事が終わったらしく、前には飲みさしのコーヒーカップが置いてある。何時もの様に文庫本を広げて読んでいた。

注文した焼き魚定食に箸を付けていると幼児をつれた母親が入って来た。彼らが席につくと3歳くらいの女児が急に泣き始めた。アラームの様に最初は小さな声でしくしく泣いていたがだんだんと泣き声が大きくなり店内が割れるような大声を張り上げ始めた。まるで小鳥のような声帯をもっているのか、一里四方に響き渡ろうかというわめき声である。

母親はおろおろしてなんとか黙らせようとするが、幼児は声を限りに泣きわめき続ける。なにか気に入らないことがあるのか、ひょっとすると、この店の異様な雰囲気に怯えたのだろうか。たしかにこの店は奇妙なところがある。ウェイトレスが近寄ってきて、慣れた調子で話しかけてあやそうとしたら、幼児は身を震わせてますます怯えて喚き立てた。それはウェイトレスというよりかは女給仕というほうがしっくりとくる老女で、この店は皆老女の給仕なのである。皆同じ雰囲気を漂わしていて何となく前身は水商売の女のような身のこなしなのである。どこかにそういう人たちの更生施設があって、そこから一括して派遣されて来ているのかも知れない。

途方にくれた母親は周囲の客から集中する非難するような視線に堪え兼ねて注文もせずに席を立とうとしたときである。文庫本を読んでいた男がつと立ち上がると女児の側に行き何か話しかけた。そして手で幼児の首筋から背中当たりを撫で出した。幼児はびっくりして一瞬泣き止んだが、それもつかの間また前よりいっそう激しく喚き始めた。それでも男はなにか幼児に呪文のようなものを呟きながら背中から首の後ろを指で軽く押している。しばらくすると嘘の様に幼女は泣き止んでしまって、きょとんとした顔で男を見上げている。かれは母親にもう無大丈夫ですよ、と笑顔で言うと自分の席に戻り眼鏡をかけ直すと読みさしの文庫本を開いた。

 


シュタイナー「ニーチェみずからの時代と闘う者」

2017-03-16 08:30:40 | 哲学書評

大分前になる当該書を40ページほど読んだ感想を書いたままになっていた。それから大して読んでいないのだが一応〆てケースクローズにしておこう。

 あれから3,40ページほど読んだ。どうもピンとこないので訳者あとがきを読んだ。以上がポジション・リポートである。

 シュタイナー(以下s)氏はしきりにニーチェは本能を「第一原理」にしたという。そこに感服したというか意義を認めていると理解した。これがどうもしっくりとこない。何百年も前に、モトエ何十年も前に読んだニーチェであるが、記憶によると「本能」という言葉がそれほど記憶に残っていない、強い印象を受けなかったということである。

 そこでこういうsのようなとらえ方が適切かどうか疑問である。なお、改めてニーチェをすこし読み返したわけだが、本能という言葉はかなりの頻度では使っているが、突出しているわけではない。哲学者の通弊でもちろん本能の定義とか説明は一切していない。これはsも同様である。したがって、本能は日常用語、俗語として様々な意味に使われるのと同じ意味でニーチェもsも使っていると理解した。

 もともと書店の棚でこの本に目が行ったのは、前にも書いたが「オカルト、スピリチュアル、精神世界」ものの大家の本を岩波文庫に入れたという意外感から好奇心で読んだわけである。それとオカルト物とニーチェがどうつながるのか、つなげているのかを知りたいという野次馬根性である。すこし読んだところではsのその後のオカルト言説との関係はまだ無いようである。

 所詮これはsの34歳の時の若書きなのだろう。sが神智学の分野でのしてきたのは数年後のことだしね。

 ニーチェの「本能言説」に感応して書いたということだろうが、振幅の大きい、しかも晩年には体系家たろうとしてその重圧で発狂してしまったニーチェを本能だとかオカルトだとかあの世だとか彼岸だとかアストラル体だとかの前駆者とするのは荒唐無稽である。

 ニーチェはいろいろと書き散らかして行ってしまったが、彼は気の利いたシン言家*としてエッセイストとして読むべきなのだろう。つまりモンテーニュやパスカルのように。

 *変換できず。推測されたし。

 


シュタイナーづく岩波書店

2017-03-10 08:10:55 | シュタイナー

二年ほど前に文庫だったか新書だったか忘れたが「シュタイナー哲学入門」という岩波の新刊書の書評を書いた。岩波も通俗スピリチャルもの、精神世界もの、オカルトものを手がけるのかという驚きで冷やかしに買った。中身は予想に反してオカルト味は薄かったが。

と思ったら昨年末に文庫でシュタイナーの「ニーチェ みずからの時代と闘う者」が出た。一体神智学とニーチェがどう関係するの、とまた野次馬根性であがなってしまった。

いま40ページほど読んだ所だ。彼の34歳の作で、巻末の年表によると神智学の活動を開始したのはそれから五年後のことらしい。そのせいか、いままで読んだ所ではオカルト臭は感じない。

しきりに本能という言葉が出てくる。これがキーワードらしい。本能尊重者ニーチェという捉え方だ。これでいいのかどうか、専門家ではないから判断出来ない。

哲学者の通弊でもっとも基本的な概念の定義はまったくしない。それも分からないことはない。どんな哲学者でも彼のもっとも重要な概念は定義なしですましている。当然と言えば当然だね、それが哲学なのだから。 

しかし、喩えぐらいはサービスしてもらいたい。読者の判断を助けることぐらいはしてもらいたい。最も重要な概念は比喩でしか伝達できないのだから。ところがこれもない。本能といっても読者が百人いれば百通りの捉え方があるのだから。

しかし、これは一種のチカラだろう。意志(盲目的な)、エネルギーに連なる考えだろう。卑見によるとこの種の概念は近現代特有のものらしい。アリストテレスもエネルゲイアというが、これは必ずしも現代のエネルギーという概念にはつながらない。

西洋哲学では質量と形相というのが根本的な区分で「エネルギー、意志」というのは正面概念にはない。嚆矢はショウペンハウアーの「盲目的な意志」だろう。ハルトマンの「無意識の哲学」もその系列だし、フロイト、ユングの無意識はこの哲学的概念を通俗科学化したものである。

シュタイナーはニーチェの根本概念は「本能」だと思ったのだろう。もっとも、ニーチェ自身が本能ということを強調したかどうかはあまり印象が無いのだが。

 


Z(5)章 三面記事

2017-03-06 08:15:14 | 反復と忘却

彼女は取って来た朝刊を三四郎の前に置いたて「あなたは何処から読むの」と聞いた。

「一面から読むね。政治面、外交面、経済面と、要するに順番に見て行く」

「スポーツ欄は見ないの」

彼は答えた。「見たり見なかったりだな」

「男の人ってスポーツ欄から見る人が多いんじゃないの」という彼女はよく男性と朝刊を読む機会が多いようである。

「たしかにね。どの新聞でも同じ構成になっているな。僕はスポーツ欄以降はあまり見ない。君は」

「家庭欄とか地域欄みたいなのは一応目を通すわね」

「社会面は?三面記事を今はそういうんだろう」

「ほとんど見ないわね。テレビのワイドショーとテーマは同じだし。テレビの方が詳しいし、面白おかしく分かりやすいでしょう」

そういえば三四郎も三面記事を見ない。テレビが発達していない時には社会面が新聞の花形だったらしいが。どうして三面記事というのだろう。むかしの新聞は三ページしかなかったのだろうか。

「社会面のニュースになるような話題はテレビを見ていた方が詳しいしわかりやすいことはたしかだね」

彼女は目玉焼きに塩をかけた。

「政治、外交面とか経済面は逆にテレビでは何を言っているのか分からないことが多い。映像なんてほとんど情報伝達の役にたっていない。文字情報の方が詳しいしポイントがはっきりと伝わる」

彼女はトーストにバターを塗りさらにピーナツバターをその上に塗りたくるとかぶりついた。「今日は社会面から読もうかな。朝のワイドショーは見逃したから」というとガサガサと音をたてて新聞のページをめくろうとしたが、紙が新札のように張り付いていた様になっていてなかなか開けない。

その様子を見ながら彼はむかしはそんなことがなかったのにな、と思った。新聞業界は合理化で新聞紙の素材もコスト削減をはかって技術革新をしているのだろうが、紙質は悪化たようだ。しかし新聞業界の技術革新でいいところもある。新しい新聞を読んだ後は手がインクで真っ黒になったものだが、最近はインクが全然手につかない。あれも技術革新の成果なのだろうな、と考えた。 

「ふーん」と言って彼女は食べるのを忘れたように新聞を熱心に読み出した。


Z(4)章 キッチン事故

2017-03-02 09:33:50 | 反復と忘却

「アイテテ!」と横溝忍がキッチンで叫ぶ声が聞こえた。はじめて彼女のマンションでセックスをした翌朝である。あとはシーンとしている。朝食でも用意しているのかいままで食器のぶつかる音がにぎやかにしていたのがシーンと静かになってしまった。 

漫然とテレビを見ていた三四郎は包丁で指でも切ったのかとソファから立ち上がって様子を見に行った。彼女がテッシューで額を押さえていた。テッシューをはがすとうっすらと赤い染みがあった。

「これで額を切っちゃった」とシステムキッチンの上に開きっぱなしになった食器棚の扉を指差した。「チマチマしたキッチンでしょう。よくこの扉の角で頭を打つのよ、注意していても時々うっかりしてね」

「あんまりユーザーフレンドリーな設計じゃないね。使用者の動きとか背の高さなんか配慮して設計していないな」

「そのとおりよ」

「とにかく手当てした方が良いよ。薬はあるんだろう。きれいに拭いて消毒しておいた方が良い」

「うん、そうしよう」彼女は居間に行って収納棚を開けると薬箱を取り出して傷口にチューブに入った薬を塗るとその上に絆創膏を貼った。

「冷蔵庫がからになりかけていて、何も無いんだけど卵が二つと食パンが二切れしか無いのよ。目玉焼きとトーストが一枚しか出来ない。それとコーヒーぐらいで悪いんだけど。あとは冷蔵庫になんにもないのよ。ごめんね」 

ごめんねといわなければならないのは三四郎の方であった。まさか泊まることになるとは思わなかった。遅くとも日付が変わらないうちには帰れると思っていたのだ。それがカラスが鳴くまで眠らなかったのだ。カラスの鳴き声に驚いてシャワーで汗も流さず二人とも泥の様に眠ってしまった。テレビを見ると朝のニュースショーが終わるところだった。

朝食を食べながら彼は言った。「今度買ったマンションではキッチンの使い勝手なんて注意して見ていなかったけど、ここよりから広いのかな」

「同じようなものかもしれない。新しく出来るマンションは色々な所でコストをカットしているから」

「ふーん、まあいいや。あんまり家で食事を作ることもないから」

彼女はにぎやかにコマーシャルを流しているテレビを見てリモコンで一渡り各局を探したがニュースショーが終わってどこもコマーシャルをやっていた。

「ニュースは終わっちゃった。新聞を読みたいでしょう。取っくるわ」と言った。

彼は気が付いた様に「会社に行かなくていいの」と聞いた。

「水曜日はモデルルームは休みなの」というとドアを開けて新聞を取りに行った。