1941年の暮れに新聞の尋ね人欄に家出人として載ったユダヤ人少女が翌年春にナチスの強制収容所送りになるまでの軌跡を追跡しようとした記録である。作者はノンフィクションと言っているらしい。
これは一少女の史伝である。鴎外の史伝は江戸時代の記録も隠滅しかけていた医師、儒者の生涯を掘り起こしたものだ。鴎外の対象は有名な人物ではないが、医師、学者として一定の業績を残した人物の記録であり、「パリの尋ね人」は市井の未成年の少女のわずか数ヶ月の軌跡を辿ろうとした物で、対象には大きな隔絶があるが、方法というか性格には類似した点がおおい。真っ先に鴎外の史伝を思い出した理由である。
モディアノの作品には質のばらつきが大きい。いずれも中編だが、一年、二年おきに出版していれば均質な品質は無理だろう。あるいは翻訳者の腕前に差があるのかもしれない。普通ある作家については特定の訳者があるものである。少なくとも同じ時代には。時代を隔てて新しい訳者による新訳が出ることはあるが。
ところが、モディアノについては翻訳者が数多くいる。例外を除き一作品一訳者と言っていい。それには事情があるのであろうが、訳者の力量に大きな差があるようだ。その意味では「パリの尋ね人」は質が高い。
史伝はテーマの面白さで競うものではなく、あくまでも文章の品格で勝負するものであり、本書は推奨出来る。