穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

モディアノ「パリの尋ね人」

2015-01-03 16:39:38 | モディアノ

1941年の暮れに新聞の尋ね人欄に家出人として載ったユダヤ人少女が翌年春にナチスの強制収容所送りになるまでの軌跡を追跡しようとした記録である。作者はノンフィクションと言っているらしい。

これは一少女の史伝である。鴎外の史伝は江戸時代の記録も隠滅しかけていた医師、儒者の生涯を掘り起こしたものだ。鴎外の対象は有名な人物ではないが、医師、学者として一定の業績を残した人物の記録であり、「パリの尋ね人」は市井の未成年の少女のわずか数ヶ月の軌跡を辿ろうとした物で、対象には大きな隔絶があるが、方法というか性格には類似した点がおおい。真っ先に鴎外の史伝を思い出した理由である。

モディアノの作品には質のばらつきが大きい。いずれも中編だが、一年、二年おきに出版していれば均質な品質は無理だろう。あるいは翻訳者の腕前に差があるのかもしれない。普通ある作家については特定の訳者があるものである。少なくとも同じ時代には。時代を隔てて新しい訳者による新訳が出ることはあるが。

ところが、モディアノについては翻訳者が数多くいる。例外を除き一作品一訳者と言っていい。それには事情があるのであろうが、訳者の力量に大きな差があるようだ。その意味では「パリの尋ね人」は質が高い。

史伝はテーマの面白さで競うものではなく、あくまでも文章の品格で勝負するものであり、本書は推奨出来る。


「暗いブティック通り」読了

2014-11-03 20:54:17 | モディアノ

現在進行形書評である。前回は100ページあたりまで読んだ感想であった。その後持ち直した。流れる様になった。 

推理小説風だというのは定説のようだ。事実そうなんだが。訳者あとがきによるると「すぐれた現代小説は推理小説的構造をとるという説がここでも立証されたわけだが」。へえ、そうですか。知らなかった。現代小説はあまり読まないものですから。

おなじくあとがきで「すぐれた現代小説はしばしば推理小説的構造をとるが、それは最後まで謎の解けない推理小説である」、「これは単なる推理小説ではない」。

ごもっともです。

前回書いたかな、これは推理小説的といっても、ハードボイルドなのだ、文章はハードボイルドじゃないけど。

ハードボイルド・ミステリーの私の定義は大分前に書いたが「犬も当たれば棒に当たる」である。ある日本の小説家だったか、評論家だったかは気取って「巡礼の旅」と言った。

要するに盲滅法に「探し探して証人から証人へと渡り歩く」のである。そのうちに当たりがくる。この小説も同様の進行である。最後が推理小説ではなく、謎の解明がうっちゃりを食わせられるが。もっともハードボイルドの大御所チャンドラーにも一作結末に新しいなぞを読者に提供する小説がある。Farewell My Lovely だったかな。いや The Little Sister だったかもしれない。ハリウッド女優が出てくる小説だった。さすがはチャンドラーだ。他のハードボイルド作家にはないはずだ。

もう一つ普通のハードボイルドと違うのは、ハードボイルドは大体一人称あるいは一視点である。この「暗い・・・」は「わたし」以外の視点で書かれている章が気が付いただけで三章ある。しかも皆主語が違う。ようするにそれが話の繋ぎになっていて、読者に欠落した情報を提供するわけだ。

なみのハードボイルドにもこういうのはあるが、いずれも「わたし(僕)」が手紙等で教えられた(要するに証人ということだ)か第三者からの伝聞を知人友人を通して聞くという形をとる。この小説の様にポンと情報を読者の前に放り出すというのはまず無い。

だからなんだって。つまりこれは「推理小説二十則」などという馬鹿馬鹿しい業界規則に縛られた低俗な推理小説ではないんだよ、ということである。

 


パトリック・モディアノを読む

2014-11-01 21:42:06 | モディアノ

 普段はノーベル賞を受賞したからといって読むということはないのだが、書店で見かけて買う気になった。「八月の日曜日」と「家族手帳」というのが並べられていたが、「家族手帳」を選んだ。解説によると15の掌編からなる自伝的作品である。

 日本的という漠然とした印象を受けた。日本的といっても日本の小説のようなという意味では決してない。昔の日本家屋の感じというのか、水墨画というのか、水彩画と言ったら良いのか。くっきりとした墨による線描というのか。特に前半の各章はそのような印象である。読後感はいい。

 各章の長さは大体10ページ位で長いので20ページたらずである。幼児のころの記憶とか、様々に空想した父母の若い頃のことだが、二編ほど作者(僕)の大人になってからの仕事の経験の話があるが、これが面白くない。退屈である。それが20ページくらいの話なのである。20ページにもならない章で早く終わらないかな、と退屈に感じるのだからあまり面白くないことが分かるだろう。

 これらの章は中編にするつもりだったが、うまく行かず本のページ数を増やすための埋め草にしたのではないかという印象を受ける。本全体のページは220ページくらいのものである。

 読み終わって他の作品も読んでみようという気になった。神保町の新刊本大型書店を三軒まわったが、目立たないところに冒頭で記した「八月の日曜日」と「家族手帳」しか置いていない。「家族手帳」のほうが売れるのか、売ろうとするのか、平積みの山が高い。

 インターネットで調べて「暗いブティック街」というのを買おうと思ったが置いていない。ようやく三軒目で見つけた。これから読むところだ。

 余談だが、この三冊は装丁の感じが似ている。単色で細めの女性的な感じのタイトルなど。ページの(なんというのか)型組というのか、わりと大きな活字で行間のスペースも余裕があって目に優しい作りである。まさか装丁者が同じということもないだろうが。モディアノの印象に合わしているような気がする。