Chang! Blog
福岡のハングル検定準2級建築士、そして一児の父の[ちゃん]のブログです




 東京と仙台の間を、太平洋岸に沿って結ぶ常磐線。全線電化で特急も走る立派な「幹線」はしかし、現在も82.1kmに渡って不通になっています。津波で壊滅的な被害を受けた上に、原発事故の警戒区域内に入った区間も多いため、今もって被害の全容すら掴めていない路線です。

 それでも一歩一歩、復旧できる区間から再開が進んでいます。南のいわき側では、9月30日の緊急時避難準備区域解除に合わせて、10月10日には広野駅までの運行が再開されました。折り返し運行となり、本数も限られたいわき~広野間はどんな様子なのか?12月30日、いわきのホテルを5時半に起きて、乗りに行きました。


 広野行き始発は、いわき6時06分発。朝早い時間ですが、この方面の2番電車です。


 青いハチマキを締めたステンレスの電車は、九州でもお馴染みの415系1500番台。ホームには、線路の続いていない原ノ町・仙台方面の字も見えます。ドアの開閉は、各車両1ヶ所のみ。車内保温に努めます。


 他の節電要請地域と同様、車内灯の一部も間引かれていました。


 久ノ浜を過ぎると、所々で朝焼けに染まる太平洋の大海原を望むことが出来ます。ただそれは津波の被害とも隣り合わせであり、家の土台だけが残る集落が見られました。


 広野駅着。折り返しのできる2番ホームに電車は入ります。1番ホームとの間には仮設ホームが設けられ、階段の昇り降りをなくす配慮も。心配りを感じる一方、立派な仮設ホームからは、この状態がしばらく続く覚悟もあるようです。


 震災前は特急停車駅だった広野ですが、駅舎は素朴な平屋建て。早朝から駅員さんが詰めていました。


 駅周辺を歩きます。震災の際には余震も激しい地域だっただけに、地震そのものの被害も大きく、大きく損壊した家やブロック塀が目に付きました。片付けはできても修理がままならない家からは、未だ資材と人手が不足している現状が見て取れます。一方で家主が戻れず、壊れたまま放置されている家も多く見られました。


 新耐震基準以降の家が並ぶ新興住宅地では、損壊した建物はあまり見られないのですが、半分くらいの家が雨戸を閉めたままです。たわわに実ったままの柿も、家主が戻らない一つの目印。広野町の放射線量は比較的低めではあるのですが、特に子どものいる世帯であれば、区域解除になったからといってそうそう簡単に戻れるものでもないものと思います。




 国道沿いの店舗や宿泊施設は、企業の「対策本部」に切り替わった建物が多く見られます。国道は北へ向かう車ばかりで、多くの作業員さんたちが警戒区域へと向かっていました。原発事故収束に向けて、年末年始も無関係に働く多くの人に、敬意を表します。


 そして海岸沿いの広野の町も、津波被害とは無縁ではありません。駅の海側の防波堤は破壊され、強い勢いで波が畑や住宅を呑み込んだ跡が残っていました。海沿いのガレキ撤去は進んでいるのですが、内陸側では家の屋根やひっくり返ったままの軽トラが、手付かずで残っていました。

 地震、原発、津波の三重苦。福島の災害を表す時にそんな表現をすることがありますが、これらが徒歩の範囲に隣り合わせる状況を目の当たりにして、しばらく呆然。
 …ふと聞こえてきた踏切と電車の中に、我に返りました。次の広野行き電車が入ってきたようです。色々な日常が戻らない街で、以前のように電車が走る。一つの交通機関が復旧したこと以上の意味が、あるのかもしれません。


 この先の、さび付いた線路に電車が走る日がいつになるのかは分からないけど、いつかまた、必ず乗りにきます。

コメント ( 1 )
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コメント
 
 
 
広野駅 (風旅記)
2013-05-24 09:30:57
おはようございます。
以前、震災前に広野駅を訪れたことがあります。今はこのようになっているのですね。
原発の収束にどの程度の時間がかかるのか、想像もつきませんが、いつの日にかこの地域と常磐線が正常に戻ることを祈っています。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
 
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