新大阪駅は乗り継ぎ利用ばかりで、駅の外に出てみたことがなかったので、20分の時間を利用して、少し外に出てみた。周囲にビルは立ち並ぶものの、空が広く、やはり中心部とはいえない位置のようだ。振り返って、駅舎のデザインは時代がかった感じだが、乗り継ぎ利用が主な駅とあらば、あまり外観は意識しなくていいのかもしれない。
グリーン車の旅2番手は、国鉄型特急車両485系が活躍する特急「雷鳥」号。この10月から雷鳥のうち、3本が新型車のサンダーバードに入れ替わっており、残る雷鳥はわずか5往復。同じ北陸路の国鉄型特急「加越」「しらさぎ」も新型車に置き換わって久しく、まさに最後の力走を見せる、往年の花形特急である。
新大阪駅のカーブを切って入線してきた雷鳥は、九州でほとんど見られない、国鉄色だった。それも9両と、今となっては長い編成だ。いつでもどこでも見られていたような列車なのに、JRも21年目となると、かなりの希少性が出てきた。
懐かしい気持ちで車内に入ってみたが、車内も国鉄時代の雰囲気を残すかと言えば、決してそうではない。普通車、グリーン車ともに座席部分の床がかさ上げされ、窓も大きくなりワイドな展望が広がる。座席もJR仕様で、洗面所なども手が加えられており、清掃が行き届いた清潔な雰囲気だ。
そしてグリーン車は、3列のどっしりした座席が並ぶ上、後方大阪方への展望が広がるパノラマ仕様。かつては「スーパー雷鳥」として名を馳せた、新生JR西日本の看板特急だった車両である。
JR各社が矢継ぎ早に新型特急の開発に着手する中、関西都市圏輸送を主眼に添えた西日本の車両改善は、まず近郊電車からだった。特急電車の新造までは485系の改造でまかなったというわけだが、グリーン車が1両半を占め、半車はラウンジとカフェテリアに当てられていた車内は、まさに花形特急だった。石川県七尾市に親戚がいたので、その頃のスーパー雷鳥にも乗ったことがあるのだが、華やいだ雰囲気は今も強く記憶に残っている。その後「しらさぎ」から「雷鳥」へと転用される中で、さすがにラウンジ車こそ消え去ってしまったものの、往時の看板特急の雰囲気もまだまだ健在。そう、僕にとってこのグリーン車に乗ったことは、国鉄の雷鳥でなく、少年のころ華やいで見えた「スーパー雷鳥」グリーン車への念願を果たしたことになるのだ。
クリーム色の壁に、パステルカラーの座席が並ぶ車内の調度は、同時期に新造された100系新幹線や、寝台特急「あかつき」のレガートシート車(座席指定席車両)に通ずる所があり、懐かしい。デザインの変遷でいえば、JR九州はもう何度も舵を切っているものの、西日本も同世代の車両には、概ね共通項が見られる。
できればせっかくのパノラマ型グリーン車なので、最後尾のパノラマ席に乗って流れ行く景色を楽しみたかった。サンダーバードに対してBクラスの特急でもあるので、席は簡単に取れるのだろうと高をくくっていたのであるが、実は一番取り辛かったのが、この列車の券である。パスの影響もあろうが、古くて避けられがちな雷鳥の活性化を図るべく発売されている「雷鳥指定席往復きっぷ」の利用者も多いようだ。グリーン席も廉価で、特に子供料金が安いことから、グリーン車も子連れの乗客が多かった。大きな座席を持て余している様は、ちょっともったいない気もする。
右手に琵琶湖が見えてくる頃には、車内販売が現れた。北陸路の車内販売は、充実していることで有名。沿線の駅弁も、どっさり積み込まれている。僕は焼きかに弁当、同期のK君はえび寿司をセレクトし、車内いながらにして北陸の味を堪能した。
引退間近とはいえ、まだまだ走れそうな485系ではあるが、国鉄型らしい一面も。車内の温度は一斉制御できないため、時々車掌がデッキの盤を開けて温度調整を行っている。それでもきめ細かく目配り(肌配り?)するのは難しく、車内の温度は一定しなかった。モーターのないグリーン車では関係ないが、普通車ではモーター音も大きく、鉄っちゃんには良くても、一般の乗客には耳障りかもしれない。
途中、踏切内での異常感知とやらで9分ほど止まり、その後は力走し追い上げたものの、8分遅れで金沢に到着。残り短い古豪の活躍であるが、最後の日まで無事に走りきってほしいと願いつつ、次の列車へと歩みを進めた。
つづく
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