
最近ずっとほったらかしてたデジイチを、持ち歩くようにしてよく撮ってるんだけど
iPhoneのかわり程度くらいにしか使えてないというか、使ってない。
もちろん、カメラの方がずっときれいに撮れるけど、iPhone的にしか使ってない。
これで作品的なものを撮るのをどうしたらいいのか、
もうなんだかすっかり忘れてさっぱりわからない。
ゴールデンウィークにやったグループ写真展に出した12枚は、全部フィルムのもので、
銀塩カメラで撮る時は、まっすぐの目と気持ちでただ撮るだけで、
色も構図もデジカメのときほど、あんまり試行錯誤しない。
ピントさえ、あまり合わないし、光も運が良ければ~くらいの気持ちでほいっと撮る。
でもデジイチで撮る時は、わたしの目よりずっと賢いAFが働いてきちんと撮れる。
賢いAFが働くし、賢くないわたしも少しは働く。
光の具合をうまく収めようとするし、ホワイトバランスに気を使うし、
構図や露出も調整するし、好きな色になるよう何枚も撮る。
ごく普通のことだけど、でもそうやって普通のわたしが普通のことをして
きれいに撮れた写真は、ブログに添える写真にしかならない。
まあ、ブログに添える写真が撮れるだけでもいいんだけど。笑
フィルムの写真を撮る時は、そういうデジカメのときの手順をほとんどやらない。
カメラが自動でやってくれるわけでもない。
なんとなく、まあこの辺、って決めてほいっと撮るだけで、
かなり、なにもかもを、運や天に委ねてる。
ほとんど自分が決めることがない状態で、「自分」があまり介在しない写真。
たまに、とても上手で撮影技術に優れセンスも素晴らしい人が、
完璧な未加工・撮って出し作品を作れるのとは根本的に違って、
下手な人間(わたし)の作為を入れたくないからの未加工なのでした。
でもそうやって撮った写真なのに、みんなが、わたしらしい写真だというのは、
それは仕方ないことで、どうやっても「自分」は残るし、どうしようもない。
・・・でも、ああ、わたしはつくづく、自分に飽きてるんだなぁ、と思う。
わかりやすくてきれい、と知らない人にも何人かに言われて、
それ褒めてるのかよくわかりませんが、(多分褒められてる)
自分ではできるだけ空っぽに撮りたいと思って撮ってるそういう写真は
未熟なわたしにはデジイチでは中々できないから、
やっぱり時々銀塩カメラで撮るしかないなぁと改めて思いました。
そして、
写真を展示することに対して興味がなくて、今回は流されるままやってみたけど、
面白い友達や尊敬できる人がたくさんいて、
それぞれのレベルで楽しんでいるのが心地よくて、結果的にはよかったです。
展示も、わたしの写真はちょっと外れた壁に
プロの人の写真と一緒にすごくうまく収まって気持ち良い。
展示の前は、あるプロジェクトが進んでて、なんだかみんなそこに参加して
同じ方向に切磋琢磨しないといけない雰囲気がちょっと流れて、
窮屈で息苦しくなりそうに思ったんだけど、
結局好きにしてていいんだと、しみじみわかったので、気が楽になりました。
iPhoneのかわり程度くらいにしか使えてないというか、使ってない。
もちろん、カメラの方がずっときれいに撮れるけど、iPhone的にしか使ってない。
これで作品的なものを撮るのをどうしたらいいのか、
もうなんだかすっかり忘れてさっぱりわからない。
ゴールデンウィークにやったグループ写真展に出した12枚は、全部フィルムのもので、
銀塩カメラで撮る時は、まっすぐの目と気持ちでただ撮るだけで、
色も構図もデジカメのときほど、あんまり試行錯誤しない。
ピントさえ、あまり合わないし、光も運が良ければ~くらいの気持ちでほいっと撮る。
でもデジイチで撮る時は、わたしの目よりずっと賢いAFが働いてきちんと撮れる。
賢いAFが働くし、賢くないわたしも少しは働く。
光の具合をうまく収めようとするし、ホワイトバランスに気を使うし、
構図や露出も調整するし、好きな色になるよう何枚も撮る。
ごく普通のことだけど、でもそうやって普通のわたしが普通のことをして
きれいに撮れた写真は、ブログに添える写真にしかならない。
まあ、ブログに添える写真が撮れるだけでもいいんだけど。笑
フィルムの写真を撮る時は、そういうデジカメのときの手順をほとんどやらない。
カメラが自動でやってくれるわけでもない。
なんとなく、まあこの辺、って決めてほいっと撮るだけで、
かなり、なにもかもを、運や天に委ねてる。
ほとんど自分が決めることがない状態で、「自分」があまり介在しない写真。
たまに、とても上手で撮影技術に優れセンスも素晴らしい人が、
完璧な未加工・撮って出し作品を作れるのとは根本的に違って、
下手な人間(わたし)の作為を入れたくないからの未加工なのでした。
でもそうやって撮った写真なのに、みんなが、わたしらしい写真だというのは、
それは仕方ないことで、どうやっても「自分」は残るし、どうしようもない。
・・・でも、ああ、わたしはつくづく、自分に飽きてるんだなぁ、と思う。
わかりやすくてきれい、と知らない人にも何人かに言われて、
それ褒めてるのかよくわかりませんが、(多分褒められてる)
自分ではできるだけ空っぽに撮りたいと思って撮ってるそういう写真は
未熟なわたしにはデジイチでは中々できないから、
やっぱり時々銀塩カメラで撮るしかないなぁと改めて思いました。
そして、
写真を展示することに対して興味がなくて、今回は流されるままやってみたけど、
面白い友達や尊敬できる人がたくさんいて、
それぞれのレベルで楽しんでいるのが心地よくて、結果的にはよかったです。
展示も、わたしの写真はちょっと外れた壁に
プロの人の写真と一緒にすごくうまく収まって気持ち良い。
展示の前は、あるプロジェクトが進んでて、なんだかみんなそこに参加して
同じ方向に切磋琢磨しないといけない雰囲気がちょっと流れて、
窮屈で息苦しくなりそうに思ったんだけど、
結局好きにしてていいんだと、しみじみわかったので、気が楽になりました。
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