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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

掃除の洗剤

2021-08-16 | Weblog
うちはお風呂もトイレも台所もほとんど洗剤を使わないのですが
(エコというよりめんどくさいのと大体の洗剤の匂いとデザインが好きでない)
トイレもお風呂もそんなに困ってない。
お風呂入は出る時にアクリルタワシでざっと洗えば水垢もつかないし、
トイレは週一掃除するかしないかで全然大丈夫。

トイレを座って使わない人(恋人は立ってする人…)と去年住みましたが、
その時は流石に床はしょっちゅう拭かないといけなかったし、
トイレにスリッパがいる理由がよくわかった。
元夫も息子も座って使う人だったのでその苦労はなかったのですね。

食器洗うのもアクリルタワシですが、これはたまには洗剤使います。
油っぽいものを洗剤なしでお湯で丁寧に洗うのがめんどくさい時は躊躇せずに洗剤使う。
食器洗剤はいつも貰い物があるし。
なんだっけ、あ、昨夜トイレをきれいに洗ったので、
朝気持ちよかったと言いたかっただけでした。

そういえば、昔友達からマルチの勧誘をされたときに
友達だったので話だけ聞いてちゃんと断ろうとでかけたんだけど
その上司みたいな人が来てあれこれ話したことがあります。
結局、家に洗剤がそもそもなくてそれでずっと何も困ってないので
どんなに安くて優秀なものでもいらないのだというと、それには反論できなかったようで
うちにテレビもないことなどから、徹底したミニマリストですねと言われました。
うーん、エコとかミニマリストとかとはちょっと違うんだけどな。
わりとごちゃっとした雰囲気が好きだし、無駄なものも好き。
無駄なものやことが人生を面白くするとも思ってるし
エコもやりすぎたらつらくなるのでできる範囲でと軽い気持ちだし
全然何も徹底してないんだけどね。

掃除などの洗剤がないままで、もう15年以上になるので
多分ずっとこのままだろうな。

目ですよ

2021-08-14 | Weblog
若い頃、モテないモテないと言ってたら友達が、目、ですよ、
どんな相手でもじっと目を見るだけで落ちます、じっと見るんですよ、と言われて
そんな簡単なことか?と思いつつ
人の目を(ましてや好きな人の目を)じっと見られない人間なので結局試せず、
結局モテないままだった、ということがありました。

わたしが21歳頃で、それを言ったのは20歳の女子でした。
その子は2年くらい付き合って同棲してた人と別れたあと、
そのやり方に気づいて以来、彼氏作りに苦労してなかった気がします。

大学生の頃、その子は人の大勢のいる合コンなどでもそのやり方で確かに成功してました。
離れた席からでもこのhとと思ったらじっと見る、目があってもじっと見る、それだけ。
そんなものなのかぁ、と思いながら、実際それが成功してるのを見て
目をじっと見ることって力があるんだなぁと思ったものです。
いまだに、わたしは恥ずかしさや対人人恐怖や不安で、できないんですけどね。

みんな賢いな

2021-08-12 | Weblog
時々思う、ほんとにみんな賢いな。
自分以外がみんな賢く見えるのがつらい日もあるけど、それで助かる日もある。

学生時代に地理と歴史が常に一番できなくて、他が満点でも地理歴史だけは
(厳密にいうと体育も…)下から何番目という歪な成績を取り続けて、
それが結局異常な方向音痴由来だと何十年も経ってから思った。
歴史に方向音痴は関係ないでしょと思うでしょうが地図が頭にないと歴史覚えられないのよ…

人並みに真面目にやっても人よりできないことって、運動関係とピアノと地理歴史でした。
でも人と同じようにやっても自分がどうにも劣っているというものがあったのは
よかったかもしれない。
もっと傲慢な人間にならずにすんだような気もする。
勉強はできたんだけどやる気がなかったし大学は女子大しか行かせてもらえなかったので
そのままダラダラ生きてきたら
だいたいの人がみんな自分より賢いという状況になってしまったので、
今となったら、もう傲慢になりようがないけど。
だめな人間で良かったと思うのは、そこかなぁ。

文句があるなら出ていけ

2021-07-25 | Weblog
「文句があるなら日本から出て行け」というネトウヨテンプレを朝見たけど、
今度は難民をダシに政権批判するなというバカモノの
「文句言うなら自分が助ければいいだろ」を見て・・・これもよく聞くよね。本当にバカ。
制度の問題を話してるのに個人が助けろとか、それ意味ないのがわからんのか。

難民問題だけでなく、生活保護問題でも、
お国のすることに文句ばかり言ってないでそれならお前が全員家に住ませて養えばいい
とかいうすごく馬鹿な人とかねー。
(普段わたし人のことをバカバカ言わないようにしてるんだけど、つい…(^_^;)

「じゃあ日本から出て行け」は「行きすぎた人権」とかよりだいぶわかりやすい
ネトウヨテンプレですが、これ言う人がいなくなるだけで、
日本はずいぶんスッキリ良い国になると思うわー。
(あ、遠回しにお前のほうが出て行けって言っちゃってるわたし?笑

時間割

2021-07-22 | Weblog
夜は12時前にお布団に入るのが目標なんだけど、
5時に仕事が終わって寝るまで結構時間があってのんびり暮らしてます。
でも無駄な時間も多い。のんびりしてるのに映画一本みる暇ないまま寝る時間とか。
(お風呂が長いのはともかくとして)おうちでの時間割を考え直そう。

時間割とかを決めて守るのは嫌いじゃない。
昔は窮屈だと思ってたしそんなことに囚われるの嫌だとか思ってたけど、
今は淡々と続く日常の中で快適に機嫌良く過ごす方法として
合理的なルールを決めて守るのは楽だし得意になってきた。
朝ごはんをたっぷりのスムージーだけと決めたのも快適。

朝からパンケーキ食べたい日は食べたらいいし和定食みたいな朝ごはん食べてもいいけど
基本的には野菜6つと果物2つとヨーグルトのスムージーと決めて、
寝起きの頭でぼーっと用意するのにも慣れた。
決まりごとというのは窮屈な不自由ではなくて何かのスターターだったり
足場やとっかかりにもなるのね。

というわけで、帰宅後の長い時間の使い方に、時間割的なことをよく考えてみよう。
なんしか、外食や外飲みができませんからね、当分。
緊急事態宣言が終わっても、まだあんしんできないしねぇ。

ただ生きているだけで

2021-07-20 | Weblog
栄養のあるバランスのいいご飯食べて、夕ご飯の下準備もできて、
雨音聴きながらピアノ弾いて、寝転んで本を読んで猫と寝落ちして昼寝して、という
最高の日曜日なのに、なんでわたしは何かしないといけない感じに、
いつも追われてるんだろうなぁ。

ただ生きてるだけではいけない、なんてことはないって
たとえば人権の話をする時はわかってるんだけど、
いざ自分のことになるといつも、何か意味のあることをしなくてはと追われてる。
遊ぶことに対してもそれで、やりすぎてよく疲れて熱を出したりする。
わたしを急かすものはなんですか。

自己肯定感の欠如が、ただ生きているだけの自分を弾劾するんだろうなぁ。

猫と向かい合うと、猫は生きているだけで素晴らしいし、
猫にとってはわたしもただそこにいるだけで(たまになでてくれてご飯ちゃんとくれれば)
何の問題もなく良いものなのだと、肯定されてる気持ちにはなる。

人生を変えたもの

2021-07-17 | Weblog
家のそばに早朝から美味しい台湾茶の飲めるカフェがオープンして、
仕事前のひとときが激変したという友人の話を聞いた朝、
別の友だちの若い頃に人生を変えたのはバイクとMacだったという話も聞いて、
自分にもそんなふうに生活や人生を変えたものってあったっけと考えた。

生活は、時々変わりますね。
子どもが巣立ったりうさぎがいなくなったり猫が来たり仕事が変わったり
恋人ができたりいなくなったりするたびに、生活の時間割も内容も結構変わる。
息子が家を出てひとりぐらしになったのも、
四年前くらいに家のリフォームしたのも、ずいぶん生活を変えました。
家の中の時間がすっかり変わったなぁ。

でも友だちのバイクとMacみたいな、人生を変える自由への鍵みたいなものは
わたしの若い頃にはなかった。そんなふうに広がる自由は50歳くらいになってからで
わたしの場合はそれは離婚と父の死かと思う。
手に入れたというより重石がなくなっただけなんだけど。
それまでは常に重石がある人生だったのです。
なんだか友だちのバイクに比べると前向きじゃないので少し悲しい気分になったんだけど、
でもそれは不可逆変化だからあなたはこれからもうずっと自由なんだよと
その友達は言ってくれたので、そうだな、自分自身以外の重石はもう持たないぞと思って
とりあえずスクワットをしました。

近所のやさしいおばあさん

2021-06-24 | Weblog
自分のつらさをなんとかするために誰かを利用してしまうって話なら、
わたしは中学生の時におばあさんの友達がほしかったのがそれに近いかなと思う。
学校にも家にも心を許せる人がいなくて適応できなかった時によく夢想した。
子どもの罪のない夢想だけどね。
家の近くに優しくて理解ある一人暮らしの年配の女性がいて、
何かで知り合って仲良くなり、
学校の帰りにお茶を飲みながら悩みを聞いてくれて、
優しくしてくれたらどんなにいいだろうといつもいつも思ってた。
細部まで想像しました。向こうに見えるちょっと不思議な曲線のある洋館に住んでて
イギリス風の庭にはいい匂いの花やハーブ、
上品で優しくて少し孤独なおばあさん、
お茶はダージリンでお菓子は手作りの素朴なクッキーとジャム、
ある時は本の話、ある時はつらい学校の話・・・。
その頃は、同年代は怖いし、親の世代も怖いし、世界がほとんど全部怖かったので、
怖くなさそうなおばあさんを夢想したのですね。

世界が怖すぎてガチガチに緊張して生きてたし、虚勢をはってツンツンと尖ってたなぁ。
丸さしかない今とは大違いですが、その実大して変わってない気もする。
でも受け入れてくれて愛してくれる優しいよそのおばあさんは、もういらなくなりました。
ひとりでも自分のつらさは自分でなんとかできるようになったから。
子供の頃よりずっと深く諦めて、平穏でいるから。

配偶者の親

2021-06-21 | Weblog
配偶者の親は配偶者の親でわたしの親ではない、
という考え方がとにかく正しいと思ってきたけど
最近は、配偶者の親を自分の親のように思えるなら
それはそれで幸せなことだなとも思う。
まあわたしは無理だったし、逆にうちの親を自分の親のように思えとか
申し訳なくて配偶者となった人にも言えないわ。笑

いつか息子にパートナーができたとして、
その人がわたしを母親のように慕ってくれたら…と考えると
いやー、ないわー。産んでも育ててもいない人のお母さんになんかなれないわー。
素敵な人だったら仲良しにはなれるかもしれないけどね。
すごく仲良しになれたらいいなと思う。
でも、お母さんとか無理。

と、今は思ってるけど、その時になったら違う風に思うのだろうか。

キンパとシンク

2021-06-07 | Weblog
韓国の巻き寿司っぽい海苔巻き、キンパを前にテキトーに作って
あんまり美味しくなかったのはご飯をそのまま使ってたからかな。
ごま油と塩を混ぜないとキンパらしくならないと知って以来
おにぎらずを作るときのご飯もごま油と塩を混ぜてます。
そうすると、白米でない玄米や雑穀米でも美味しくいただけますね。

キンパ、正しくはキムパプ(kimpupが近いかな?)なので
キンパとカタカナで書くのは気持ち悪いんだけど、カタカナ表記だと
「キムパプ」より「キンパ」の方が見た目も音も元気でかわいい感じがするから、
ま、いいかと書くたびにちょっとひっかかりながら思う。
(ちなみにキムが海苔、パプがご飯という意味です)

外国語をカタカナ表記するときに気持ち悪いものは多いです。
thinkをシンクと表記すると溺れそうな気持ちになるしね。
言葉に対しては小さな違和感も結構ずっと残って慣れないものですね。

「なんとなく」って

2021-05-31 | Weblog
記憶力の劣化がすごい。うれしいこともいやなこともどんどん思い出せなくなってる。
だからもっと「なんとなく」を信じた方がいいかなと思う。
「なんとなく」は多分、忘れてしまったたくさんのものでできるから。

人やものについて、そのどこがいいのか聞かれたら
具体的なことはうまく答えられなかったりする。
過去の日記やブログとか見かえすと、すごくいろいろなことがあって、
最高のこともあったなと思うけど、普段はほとんどを忘れてるし思い出せない。
でも、「なんとなく」好きなものや人は、
そういう覚えてないたくさんのいいことが後ろにあるのよね。

ミノスケ、イタチカフェ、ノラパンダ

2021-05-26 | Weblog
わたしはわりと呑気な感じで仕事をしているのですが、
どれくらい呑気かというと、ある日の仕事中の会話を見ていただくといいと思う。
広告のプリントしてあるクリアファイルって使えないよねぇと言いながら
手に取った三井住友銀行のミドスケのクリアファイル。
ミドスケってカワウソ?イタチ?イタチって聞こえが悪くない?
イタチの悪い印象って「ガンバの冒険」のせい?
子供の頃、テレビで見てて、あの悪い白いたちのノロイは印象に残ってます。
アニメ見て本気で怖がる年ではなかったけど、こわかったな〜
(ググった)
ミノスケはイタチではなくカワウソでした。
でも日本カワウソは絶滅しましたよね。なんで絶滅したんだろう?乱獲?
(ググった)
毛皮が高級だったらしい。ミンクとかチンチラとかセーブルとかは聞くけど
イタチは聞いたことがないけど、そんなにポピュラーだったのかな。
じゃあ、動物園にいるカワウソはなに?日本カワウソじゃなくコツメカワウソ?
なるほど、コツメカワウソは確かにかわいいよね。
(ググってると)
あ、カワウソカフェってのがあった!しかもひとつじゃない、結構あるなぁ。
カワウソカフェ情報を集めたカワウソカフェ専門サイトまである。
いろんな世界があるもんですね…
ふくろうカフェは行ったことがあるし、爬虫類カフェとかもあるらしいけど
パンダカフェなんてあったら儲かるけど、パンダは管理されてるから無理ですね。

でも中国でも、どこか人里離れた山奥に野良パンダとかいたりしないかな?
飼育員とパンダによる極秘計画で、
動物園パンダの落とし胤たちがこっそりどこかの秘境で育ってて、
そこに小さな野良パンダ村を形成してて、たまたま山を買ったら
そこにいるのを発見しちゃったりしたら、わたしのものになるんじゃない?
やっぱり野良でもすべてのパンダは中国に権利があるのかな?

いや、野良パンダなんてありえないけど、夢のある話よね。野良パンダ。

空海のマッサージ

2021-05-20 | Weblog
雨か気圧か、足がむくんでだるいので仕事の後フットマッサージに行ったんだけど、
一番苦手な人にいつも当たってしまう、なせかいつも。
がっしりした大きい男の人でいかつくて脂ギッシュな感じなのに
喋り方が猫なで声でなんか苦手なんだけど、仕方なく揉んでもらってる時に、
これ脳内で誰かに変換しなくてはと考えてふと思いついたのが
先月友達に勧められて見たちょっと古い映画「空海」の中の空海役の北大路欣也。
あのエネルギッシュな感じと押しの強い顔、立派な体格、でも中身は空海。
空海が揉んでくれてるのだ!これは効くはず、だって空海だもん!と念じつつ
ありがたくマッサージしてもらいました。
(ちなみに北大路欣也は全くタイプではないというか苦手なタイプですけどね)

でも終わってみるとわたしの想像力が足りなかったのか、苦手な人は苦手なままで、
やっぱりあんまり足は楽にならずがっかり。
帰宅後、せめてお風呂で温めよと、今日から読む新しい本持って入ったら
(いつもお風呂で本を読むんだけど、ちょうど昨日1冊読み終わったので)
書き出しが「弘法大使空海は、」
そう来たかと思うと足も楽になった気がしました。
こういう偶然好きです。

写真は映画見ながら描いたラクガキの若き北大路欣也。

誕生日と恥ずかしポイント

2021-05-17 | Weblog
3月の自分の誕生日に自分に何か買おうかとも思ったけど、
会社と家の徒歩5分の間には何も見つからず。
仕事の帰りにいいシャンパンでも買って帰ろうと思ったけど、結局何も買わずでした。
仕事があって家があってとりあえず生活に困ってなくてほどほどに健康で、
猫も息子も元気で、これ以上望まなくてもいいのかもなぁ。
それに、わたしの本当にほしいものはお金で買えないもの・・・
食べても食べても太らない体!だしね。笑

何も買わずに家に帰ると、膝の上に猫が来て、
ゴロゴロ言いながら時々顔を上げてわたしを見上げるので、
チュッとして撫でてやる。甘い世界。天国か。お誕生日スペシャルですね。

ちなみに恋人は誕生日前夜遅くに泊まりに来て、日付が変わった時に
お誕生日おめでとうをうるさく頼んでやっと言ってもらったけど、
なんなんでしょうね、中々言おうとしないのは…
おめでとうは?「いや、うん、はい」じゃなくて、お誕生日おめでとうは?
「うん…まあ、ね」せっかく当日一緒にいるんだからおめでとうって言って!
「んー、おめでとう(小声の早口でモゴモゴと)」
なんかこんなよくわからない感じで無理やりモゴモゴ言ってもらったんだけど。
そういえば去年の誕生日もスルーされて、あとでぶつぶつ言ったら、
LINEでそういうの言うの苦手なんですと言われたんだった。
今年は横にいたのに中々言ってくれなくて、結局LINEは関係なく
どうも素直におめでとうと言うのがなんか恥ずかしいみたいです。
変にロマンチックになりそうなのや、わざわざ改まって何か言うのや、
みんな言ってるから言うみたいなのがなんとなく気恥ずかしいという感じはわかるけど、
人を喜ばせることに関してそういう躊躇はしないようにしようってわたしは思ってる。
ましてや大切な人ならね。

それはさておき、人の恥ずかしいポイントってホント人それぞれだなぁと思いました。

そういえば最近、友達の中に映画「花束みたいな恋をして」を見て、
トイレットペーパー持って歩いて電車乗るなんて恥ずかしくて死ぬー!と言ってる子がいたり
(そのわりに他の人がえええっ!?と思うようなことを全然恥ずかしがらなかったり)、
恥ずかしいって、人によって違いすぎて面白いな。

わたしは若い頃は本当にあらゆることが恥ずかしくて、人生を狭くしてきたけど
年と共にそういうのは減ってきました。
なんであんなことが恥ずかしかったんだろうな?と思うことも多い。
少しは生きやすくなったってことかな。

子供への民族差別

2021-05-15 | Weblog
日本の人が子ども時代にアメリカにいたときのアメリカ人の教師からの差別について書いてた。
私怨からくる偏見で罪のない日本人のこどもを差別して痛めつけ、
さらには理解まで乞うようなこの教師の話を読むと、すごく憤りを感じる。
なにより、子どもに私怨をぶつけるとはなにごとか、と腹が立つ。
日本人が過去にどんなひどいことをしたとしても、
それに家族が傷付けられたり殺されたりしたとしても、
今目の前にいる子どもにそれをぶつけていいわけがないではないか。

ただわたしも、日本人が差別を受けた話を読んで被害者に共感すると同時に、
どこかで必ずまた別の日本人側に搾取された人たちや差別されている存在のことを
思い出さずにいられないのは確か。
でもそこで向かうべき相手を間違えてはいけないといつも思う。
差別というものは、どこにでも生まれるし、どれも間違ってるし、
わたしが向かうべきなのは、なに人というものではなくそっちなのよね。

人によっては、被差別意識が強すぎて日本人からの差別に傷つき憎むあまり、
日本人が外国で受ける差別を軽視する人もいるだろう。
とにかく日本人はダメだと言いたい人もいるだろう。傷ってそういうもの。
誰でも自分の傷が1番痛いのよね。
でも差別で受ける傷は誰でも同じ痛みだとわたしは思いたい。

わたしも在日でなければ、余計なことを思い出さずに、
この日本人の文章を単純な被害者目線だけで、
きれいな同情や悲しさと共に読めただろうになぁ。
でも在日だから、差別を受けてきた側だから、
余分なこともあれこれ考えてしまうのよねぇ。