sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

子供への民族差別

2021-05-15 | Weblog
日本の人が子ども時代にアメリカにいたときのアメリカ人の教師からの差別について書いてた。
私怨からくる偏見で罪のない日本人のこどもを差別して痛めつけ、
さらには理解まで乞うようなこの教師の話を読むと、すごく憤りを感じる。
なにより、子どもに私怨をぶつけるとはなにごとか、と腹が立つ。
日本人が過去にどんなひどいことをしたとしても、
それに家族が傷付けられたり殺されたりしたとしても、
今目の前にいる子どもにそれをぶつけていいわけがないではないか。

ただわたしも、日本人が差別を受けた話を読んで被害者に共感すると同時に、
どこかで必ずまた別の日本人側に搾取された人たちや差別されている存在のことを
思い出さずにいられないのは確か。
でもそこで向かうべき相手を間違えてはいけないといつも思う。
差別というものは、どこにでも生まれるし、どれも間違ってるし、
わたしが向かうべきなのは、なに人というものではなくそっちなのよね。

人によっては、被差別意識が強すぎて日本人からの差別に傷つき憎むあまり、
日本人が外国で受ける差別を軽視する人もいるだろう。
とにかく日本人はダメだと言いたい人もいるだろう。傷ってそういうもの。
誰でも自分の傷が1番痛いのよね。
でも差別で受ける傷は誰でも同じ痛みだとわたしは思いたい。

わたしも在日でなければ、余計なことを思い出さずに、
この日本人の文章を単純な被害者目線だけで、
きれいな同情や悲しさと共に読めただろうになぁ。
でも在日だから、差別を受けてきた側だから、
余分なこともあれこれ考えてしまうのよねぇ。

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