教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

「学び合いのネットワーク」と「教育会」

2016年01月16日 06時12分11秒 | 教育会史研究

 センター試験ですね。受験生の念願成就を祈ります。開催会場の大学の教員もお互いがんばりましょう。

 さて、昨年末に出された中教審答申「これからの学校教育を担う教員の資質能力の向上について~学びあい、高めあう教員育成コミュニティの構築に向けて~」(平成27年12月21日答申)を、時間を見つけて熟読しております。教員養成・研修のあり方を大きく変える答申であり、しっかり受け止めなければならないことが答申全体にわたって書かれています。
 この答申にこんなことが書かれていました。

 近年の大量退職、大量採用の流れの影響から、必ずしも年齢構成や経験年数の均衡がとれている学校ばかりとはいえず、効率的・効果的な校内研修の実施に支障を来す場合があることも想定される。たとえば、ミドルリーダーとしての活躍が期待される教員が不足し、単独では十分な校内研修等の実施が困難な地域においては、中学校区を一単位としたブロック単位での研修実施などの工夫が見られる。このように、必要に応じ、各教育委員会が域内において学校種ごとあるいは国公私が連携した合同での研修やさまざまな年齢や経験を持つ教員同士の学びの機会を提供し、そうした教員同士における学び合いのネットワークの構築が図られることなどが望まれる。また、そうした学びの機会が可能な限り得られるよう、校長等が配慮するとともに、そうした体制を整えていくことが必要である。(21~22頁)

 ここでは、教員研修の改革のために学校内に限らず中学校区単位の「教員同士における学び合いのネットワークの構築」が提案され、その主体として各教育委員会と校長等が挙げられています。これは、私が長年研究してきた「教育会」のあり方にとても似ていると思いました。教育行政当局と校長・指導的教員がこの「学び合いのネットワーク」づくりの中心的担い手になるとすれば、「教育会」の組織構造にそっくりです。ミドルリーダーの不足と初任・若手教員の増加という教員構成上の問題状況も、明治以来の「教育会」が必要とされてきた問題状況とよく似ています。違うのは、「学び合いのネットワーク」はすでにあった教員の学び合いの文化が崩壊しつつあるという問題認識に基づいてその文化を再構築するために必要とされ、「教育会」はそのような学び合いの文化がまだ形成されていないという問題認識から必要とされたことです(白石の学位論文「明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員」および白石『鳥取県教育会と教師―学び続ける明治期の教師たち』参照)。
 現在、「学び合いのネットワーク」が必要だとすれば、その先例として明治以来の「教育会」に注目することが有効なのかもしれません(参考にすべきところも批判・克服すべきところも)。しかも、教育会は地域に根ざした団体であったわけで、現在の教育改革の方向性にも近いように思います。

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