(現在書き続けている日本教育史のテキスト拙稿、第2章の結論から抜粋)
以上の通り、古代から近世に至る時代の教育史について、読み書きや学びの目的・方法に焦点を合わせて明らかにしてきた。これらをまとめて、前近代の学びとしたとき、そこにはどのような特徴・可能性と課題があったか。
まず、古来より、読み書きは政治・経済あるいは文化の活動に必要なものであった。人々は、生活に必要な範囲で、主に定型文に習熟し、テキストを身体化することで読み書きや文字で表現された知識を学んできた。そして、17世紀には読み書きは「人」の条件と化した。文書による政治が徹底され、様々な階層の人々を巻き込んで経済・文化活動が活発化したとき、政治・経済・文化にかかわる「人」として生きるうえで必要な条件として、読み書き(識字)が挙げられるようになったといえよう。学ぶべき読み書きの内容は、生活に必要な限りにおいて定められ、生活に不要になれば別のものに差し替えられた。楷書の漢文は古代律令制において必要であったが、律令制の崩壊により重要性が低くなった結果、行草書の漢字仮名交じり候文の陰に隠れることになった。学ぶべき読み書きの内容は、普遍的なものというよりも、生活や時代に応じた特殊なものが据えられ続けてきたといえる。
次に、江戸期において、漢学(儒学)を介して道徳や政治の方法としての学びが展開した。漢学は、「聖人」または「君子」を目標化し、その学びをすべての人に開いた。それゆえに、読み書きや学問による民衆・風俗教化という手段をとることができたといえる。学びの目標・成果がすべての人に開かれていなければ、権力によって学びを押し付けても無理が生じるからである。また、身分制によって守られて学ぶ需要の少ない上層の人々に対しても、学ぶ意義を提示しようとしたことも注目すべきだろう。ともにうまくいったとは言い切れないが、漢学のもっていた学びの開放性は前近代の教育の可能性をうかがわせるに十分であった。ただし、前近代の社会が身分制を前提としていた限り、いくら学びを開放しても人々は同じように聖人君子の目標に向かうことはできなかった。知識や道徳的修養をいくら積んでも、身分の壁は依然として存在したままであり、「人」として一つになることはできなかった。このような開放性をめぐる前近代の学びの可能性と限界は、江戸期に流行した会読において典型的にみることができる。会読は身分にこだわらず開放的な学びを展開させたが、そこに参加するには素読・講義を修了する必要があり、そこに達するまで学び続けることができる人々は限られていたのである。
また、18・19世紀に至って、学校が人材育成機関として位置づけられたことや、人生に対する子ども期における教育的配慮の重要性が広く認識されたこと、子育てと貧困に対する国家の責任に注目する人物が現れていたことが確認できた。これらの課題意識は近代教育において花開くことになるが、明治以降に急に出現したわけではなく、江戸後期を通じて模索され続けていたものであった。
【参考文献】
市川寛明・石山秀和『図説 江戸の学び』河出書房新社、2006年。
岩下誠・三時眞貴子・倉石一郎・姉川雄大『問いからはじめる教育史』有斐閣、2020年。
江森一郎『「勉強」時代の幕あけ―子どもと教師の近世史』平凡社、1990年。
大石学『江戸の教育力―近代日本の知的基盤』東京学芸大学出版会、2007年。
大戸安弘「中世社会における教育の多面性」辻本雅史・沖田行司編『新体系日本史16教育社会史』山川出版社、2002年、65~119頁。
貝塚茂樹・広岡義之編『教育の歴史と思想』ミネルヴァ教職専門シリーズ2、ミネルヴァ書房、2020年。
鈴木俊幸『江戸の読書熱―自学する読者と書籍流通』平凡社、2007年。
鈴木理恵「大陸文化の受容から日本文化の形成へ」辻本雅史・沖田行司編『新体系日本史16教育社会史』山川出版社、2002年、3~64頁。
鈴木理恵『近世近代移行期の地域文化人』塙書房、2012年。
鈴木理恵「日本編・子ども観の歴史的変遷」鈴木理恵・三時眞貴子編『教師教育講座第2巻教育の歴史・理念・思想』共同出版、2014年、167~187頁。
辻本雅史『「学び」の復権―模倣と習熟』角川書店、1999年。
辻本雅史「幕府の教育政策と民衆」辻本雅史・沖田行司編『新体系日本史16教育社会史』山川出版社、2002年、245~269頁。
辻本雅史・沖田行司編『新体系日本史16教育社会史』山川出版社、2002年。
高橋敏『江戸の教育力』ちくま新書、筑摩書房、2007年。
平田諭治「「日本」「学校」「教育」の概念系」宮寺晃夫・平田諭治・岡本智周『学校教育と国民の形成』講座現代学校教育の高度化25、学文社、2012年、47~69頁。
平田諭治編『日本教育史』MINERVAはじめて学ぶ教職4、ミネルヴァ書房、2019年。
前田勉『兵学と朱子学・蘭学・国学』平凡社、2006年。
前田勉『江戸の読書会―会読の思想史』平凡社、2012年。
八鍬友広『読み書きの日本史』岩波新書、岩波書店、2023年。
湯川嘉津美「「無垢なる子ども」という思想」『ソフィア』第44巻第2号、上智大学、1995年。
湯川嘉津美『日本幼稚園成立史の研究』風間書房、2001年。
以上の通り、古代から近世に至る時代の教育史について、読み書きや学びの目的・方法に焦点を合わせて明らかにしてきた。これらをまとめて、前近代の学びとしたとき、そこにはどのような特徴・可能性と課題があったか。
まず、古来より、読み書きは政治・経済あるいは文化の活動に必要なものであった。人々は、生活に必要な範囲で、主に定型文に習熟し、テキストを身体化することで読み書きや文字で表現された知識を学んできた。そして、17世紀には読み書きは「人」の条件と化した。文書による政治が徹底され、様々な階層の人々を巻き込んで経済・文化活動が活発化したとき、政治・経済・文化にかかわる「人」として生きるうえで必要な条件として、読み書き(識字)が挙げられるようになったといえよう。学ぶべき読み書きの内容は、生活に必要な限りにおいて定められ、生活に不要になれば別のものに差し替えられた。楷書の漢文は古代律令制において必要であったが、律令制の崩壊により重要性が低くなった結果、行草書の漢字仮名交じり候文の陰に隠れることになった。学ぶべき読み書きの内容は、普遍的なものというよりも、生活や時代に応じた特殊なものが据えられ続けてきたといえる。
次に、江戸期において、漢学(儒学)を介して道徳や政治の方法としての学びが展開した。漢学は、「聖人」または「君子」を目標化し、その学びをすべての人に開いた。それゆえに、読み書きや学問による民衆・風俗教化という手段をとることができたといえる。学びの目標・成果がすべての人に開かれていなければ、権力によって学びを押し付けても無理が生じるからである。また、身分制によって守られて学ぶ需要の少ない上層の人々に対しても、学ぶ意義を提示しようとしたことも注目すべきだろう。ともにうまくいったとは言い切れないが、漢学のもっていた学びの開放性は前近代の教育の可能性をうかがわせるに十分であった。ただし、前近代の社会が身分制を前提としていた限り、いくら学びを開放しても人々は同じように聖人君子の目標に向かうことはできなかった。知識や道徳的修養をいくら積んでも、身分の壁は依然として存在したままであり、「人」として一つになることはできなかった。このような開放性をめぐる前近代の学びの可能性と限界は、江戸期に流行した会読において典型的にみることができる。会読は身分にこだわらず開放的な学びを展開させたが、そこに参加するには素読・講義を修了する必要があり、そこに達するまで学び続けることができる人々は限られていたのである。
また、18・19世紀に至って、学校が人材育成機関として位置づけられたことや、人生に対する子ども期における教育的配慮の重要性が広く認識されたこと、子育てと貧困に対する国家の責任に注目する人物が現れていたことが確認できた。これらの課題意識は近代教育において花開くことになるが、明治以降に急に出現したわけではなく、江戸後期を通じて模索され続けていたものであった。
【参考文献】
市川寛明・石山秀和『図説 江戸の学び』河出書房新社、2006年。
岩下誠・三時眞貴子・倉石一郎・姉川雄大『問いからはじめる教育史』有斐閣、2020年。
江森一郎『「勉強」時代の幕あけ―子どもと教師の近世史』平凡社、1990年。
大石学『江戸の教育力―近代日本の知的基盤』東京学芸大学出版会、2007年。
大戸安弘「中世社会における教育の多面性」辻本雅史・沖田行司編『新体系日本史16教育社会史』山川出版社、2002年、65~119頁。
貝塚茂樹・広岡義之編『教育の歴史と思想』ミネルヴァ教職専門シリーズ2、ミネルヴァ書房、2020年。
鈴木俊幸『江戸の読書熱―自学する読者と書籍流通』平凡社、2007年。
鈴木理恵「大陸文化の受容から日本文化の形成へ」辻本雅史・沖田行司編『新体系日本史16教育社会史』山川出版社、2002年、3~64頁。
鈴木理恵『近世近代移行期の地域文化人』塙書房、2012年。
鈴木理恵「日本編・子ども観の歴史的変遷」鈴木理恵・三時眞貴子編『教師教育講座第2巻教育の歴史・理念・思想』共同出版、2014年、167~187頁。
辻本雅史『「学び」の復権―模倣と習熟』角川書店、1999年。
辻本雅史「幕府の教育政策と民衆」辻本雅史・沖田行司編『新体系日本史16教育社会史』山川出版社、2002年、245~269頁。
辻本雅史・沖田行司編『新体系日本史16教育社会史』山川出版社、2002年。
高橋敏『江戸の教育力』ちくま新書、筑摩書房、2007年。
平田諭治「「日本」「学校」「教育」の概念系」宮寺晃夫・平田諭治・岡本智周『学校教育と国民の形成』講座現代学校教育の高度化25、学文社、2012年、47~69頁。
平田諭治編『日本教育史』MINERVAはじめて学ぶ教職4、ミネルヴァ書房、2019年。
前田勉『兵学と朱子学・蘭学・国学』平凡社、2006年。
前田勉『江戸の読書会―会読の思想史』平凡社、2012年。
八鍬友広『読み書きの日本史』岩波新書、岩波書店、2023年。
湯川嘉津美「「無垢なる子ども」という思想」『ソフィア』第44巻第2号、上智大学、1995年。
湯川嘉津美『日本幼稚園成立史の研究』風間書房、2001年。
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