教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

団体を象徴するもの

2006年04月03日 19時38分12秒 | 教育研究メモ
 今日はまた不思議な早起き。午前7時に登校しました。
 今日はずっと論文執筆。ただし、どこかにだす論文ではなくて、博士論文の一部のつもり。題名は「大日本教育会および帝国教育会の象徴」。明治期の両会の建物・土地・要人(総裁・推戴員・会長・副会長・名誉会員)を分析し、その特徴を整理して、何を象徴しているのか明らかにしようという、変わった(笑)試みです。当然のことですが、団体そのものは目に見えません。やはり構成員をつなぎ止めるには団体を象徴する可視的なものが必要です。建物・土地・要人は団体を可視的に象徴するものと考えて着目したわけです。そして、もちろんその象徴は無色透明ではありえないわけで、どんな特徴・性格をもっているかを考えることは、同時にその団体の極めて基本的な特徴・性格を分析することにもつながると考えます。ですので、それを明らかにしようというわけです。
 建物・土地についてはずいぶん前に書いていたので、今日は名誉会員を除く要人の特徴を分析していました。調べものをしたり、だいぶ余計なことを書いたりしたので結構時間がかかりましたが、とりあえずキリの良いところまではできあがり。ちなみに博士論文では明治期だけに絞ったので、明治期の要人だけです。おもしろいことに、日清戦争後の明治三十年代に、歴史ある文化交流に敬意を払い、かつ今後の発展を企図する意味で、清国の皇族が日本の皇族に並んで推戴員に加わっていいます。総裁・推戴員については、日本の皇族が推されていたことは知られていましたが、これは小さな新発見といったところでしょうか。会長・副会長の分析では、明治25年までは文部省との密接な関係(これは従来から良く知られている)、明治29年まではちょっとよくわからない(いちおう教員との関係を指摘しましたが)、明治期の帝国教育会は帝国議会(貴族院)との密接な関係性があったことがわかりました。最後のは新発見だと思います。私もいちおう、大日・帝教の活動を、機関誌で捉えられる範囲でこれまで確認してきましたので、その経験からいうと、実際の活動の性格とリンクしてそうな感じです。
 今日は以上。外が暗くなったので帰って寝まーす。
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