教育史研究と邦楽作曲の生活

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明治20年代初頭の大日本教育会における教師論

2011年03月28日 20時12分33秒 | 教育研究メモ

 忙しくなってきました。今週から6月半ばまで、長期間、息をつく間のない激務に入る予定。

 さて、昨年終わり頃に書いた論文が活字化されましたので、お知らせします。
 題目は、「明治20年代初頭の大日本教育会における教師論―教職の社会的地位および資質向上の目標化」(中国四国教育学会編『教育学研究紀要』(CD-ROM版)第56巻、2010年、268~273頁)です。ちょっと副題はうまくありません。2年前に同じ紀要に書いた「明治10年代後半の大日本教育会における教師像―不況期において小学校教員に求められた意識と態度」の続編です。
 本論文は、要するに、明治20(1887)年・21(1888)年の大日本教育会における教師論を見ると、どうもこの時期に教職の社会的地位や資質を向上させることを目標化する論説が出てきたことがわかった、という論文です。この後の大日本教育会(ひいては後身の帝国教育会)が推進した社会運動の出発点を示しているのではないか、と今のところ感じています。
 論文構成は以下の通り。

  はじめに
1.明治20年代初頭の『大日本教育会雑誌』における教員記事
2.教員資質と人件費削減との関係
 (1) 教員の収入増額のねらい―熟練の教師を求めて
 (2) 教育費節減にともなう教職の専門性軽視
3.教職の専門性向上を支える集団
 (1) 教員の自覚と「教育家」「当局者」の支援
 (2) 教員集団における専門性向上
4.教員の専門性への言及
 (1) 養成段階における専門性形成
 (2) 中等教育の独自性にもとづく教員の専門性
  おわりに

 本論文は、明治20年・21年の『大日本教育会雑誌』掲載の「教員」「教師」などを主題とした論説を丁寧に読み込んだ結果です。なぜ明治20年・21年を対象したのかというと、激務の中で力尽きたからという理由だけではなく(苦笑)、この2年間分の史料でまとまった結論を言えたからです。明治22(1889)年以降(大日本帝国憲法成立後)はまた違った社会状況に入るので、これだけで区切りました。
 本研究の結果、おおよそ次のようなことが明らかになりました。明治20年代初頭の大日本教育会における教師論が問題とした主要なテーマは、「教職の社会的地位と専門性をどのように確保するか」ということでした。大日本教育会ですら、教育費節減を優先するあまりに教職の専門性を軽視する論が現れる状況下で、次第に、教職の地位向上・待遇改善法としての資質向上・専門性確保論が主に展開されていきます。そこでは、教員自身の自覚と努力、行政や学者などによる支援、教員養成課程の充実という論点から、論理が深められていきます。この論理は、初等教育から見た中等教育の独自性にもとづいて、中等教員独自の資質・専門性についても言及されています。明治20年代初頭の大日本教育会における教師論は、教職の社会的地位向上の必要を契機として教職の資質向上を問題化したものであり、その具体的方策として、教育関係者に支えられた教員集団の形成、および教員養成の改善を目標化したものでした。
 この時期の教員史研究は、森有礼の言説研究または制度研究が中心ですが、それらでは明確でなかったことが明らかになったように思います。興味をもたれた方は、読んでみて頂けると幸いです。いつものように、手に入れにくい紀要で申し訳ありませんが…(国会図書館には冊子版(CD-ROM版を冊子にしたものですので、中身は同じ)が寄贈されているはずです)

 自分で言うのも何ですが、この論文をまとめることで大日本教育会・帝国教育会研究がさらに面白くなってきたなぁと思っています。これで研究する時間があればなぁ…

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