老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

1960年代最後を飾った女性アングラ・ソング歌手 

2019年04月23日 20時16分09秒 | その他
 先日、「フランシーヌの場合」について書き込んでいると、その時代に私が親しんだ色々なフォーク・ソングというか、どちらかといえば当時はアングラ・ソングという呼び方が相応しい女性歌手のことを思い出しました。

 というよりは、記憶力の弱さは自他共に認める私のこと、大部分はWIKIPEDIAに頼りましたが下記の3人は特に印象に残っています。

 若い方は殆どご存知ないでしょうが、彼女たちが当時歌っていた歌は、今時のチャラチャラした内容とは全く違って、グッと突き刺さるもので、我々世代には忘れる事が出来ない歌手ですし、後の尾崎豊に通じるところがあると思っています。

<カルメン・マキ>
 アイルランド人とユダヤ人の血を引くアメリカ人の父と日本人の母との間に神奈川県鎌倉市で生まれ1968年に寺山修司が主宰していた劇団「天井桟敷」に入団。

 翌1969年に「時には母のない子のように」(作詞:寺山修司、作曲:田中未知)でデビュー。17歳とは思えないその妖艶な雰囲気と歌唱力で人気を集めましたが、その後はジャズの世界に転身され、未だに元気で活動中の由です。

<浅川マキ>
 先にふれた新谷のり子と上述のカルメン・マキと共に、アングラ・ソングの代表として数多くの歌を発表したのは浅川マキです。

 1968年、寺山修司と寺本幸司に見出され新宿のアンダー・グラウンド・シアター「蠍座」で初のワンマン公演を三日間にわたって催行して、脚光を浴びたのがデビューのようです。

 私は、少しハスキーな声で“渇いたブルース”と評される彼女の歌が大好きで、レコードを持っていましたし、ライブにも行ったことがあります。

 代表作は、「夜が明けたら」「かもめ」「ちっちゃな時から」「裏窓」などです。

 2010年1月17日、ライブ公演で愛知県名古屋市に滞在中、宿泊先のホテルで急性心不全で亡くなられたようです。

<藤 圭子>
 それと、もう一人、少し系統は違いますが、この時期に現れた藤圭子も強く印象に残っています。

 藤圭子といってもご存知の無い方が多いかも知れませんが、宇多田ヒカルの母親、或いは前川清と結婚歴ある人、或いはその後再婚した宇多田照實とは都合7回の離婚・再婚を繰り返した人と言った方が判り易いかも知れません。

 その藤圭子が歌い、1969年に発売された「圭子の夢は夜ひらく」(石坂まさを作詞・曽根幸明作曲)は、ハスキーヴォイスと虚無的な美貌とが,大学紛争や1970年安保闘争で騒然とする世相の中で若者を中心に受け入れられました。

 2013年8月22日、東京都のマンションの前で倒れているのが発見され、飛び降り自殺を図ったと断定されたようです。


 お二人に合掌ですが、先日触れた新谷のり子と併せて、この4名のデビューが何れも1968~9年というのは、この時代が生み出した歌手ということでしょうか。(まさ)

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