老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

シチリア旅行 追記

2024年07月29日 19時21分40秒 | 旅行/色々な風景
 15日間の旅行でしたが、旅行記は20回を優に超えました。
それだけ、見所が多く印象に残った旅行だったと思いますが、旅行記で書き残したことを、まとめて挙げておきます。少し長くなりますがお付き合い下さい。

◆町は山の上に
 今回の旅行で立ち寄った町は、一部を除いて高い山中にありました。
島国のシチリアで何故? と思われる方も多いかと思いますが、これはイスラムの略奪に対抗するためです。

 700年頃から勢力の拡大を図るイスラム勢力は地中海に進出するようになりましたが、海賊的な行動でマルタやシチリアをはじめとする地中海沿岸のキリスト教徒の町を襲って略奪を繰り返したので、自然に町は海岸から離れた山の中に造られるとともに、各地にイスラムからの襲撃を監視するための監視塔(サラセンの塔とも言います)が作られていて、その名残は今でも見ることが出来ます。

◆教会訪問時の違和感
 シチリアだけでなくヨーロッパに旅行すると、どうしても教会を訪れる機会が多いです。
そこには、当時の建築技術や文化・芸術などが凝縮されているので、見るべきものは多いのですが、根っからの仏教徒としてはどうしても違和感を覚えることが多いです。

 特に、それが強いのは教会内でお祈りをされているキリスト教徒の方が居られる時に、建築や装飾などにしか関心がない異教徒の旅行者がカメラを構えてウロウロとしているのはどう思われているかと考えると、気恥ずかしくなることが多いです。

 日本を訪れるキリスト教徒たちなどが寺院などを訪れても同じような違和感を抱いておられるのではないかと思いつつ、出来るだけお祈りをされている方の邪魔にならないように心がけてはいるのですが・・・

  また、今度の旅行記ではドゥオーモ/大聖堂という言葉を区別せずに、案内書などの通りに使いました。
私自身が全く区別できておらず、混乱された方もあるかと思いますので、念のため<コトバンク>で少し調べてみました。 それによると、

 【聖堂】:教会堂ともいう。聖堂のうち,司教座(カテドラcathedra)の置かれたものをとくに司教座聖堂または大聖堂と呼び,フランス語でカテドラルcathédrale,イタリア語でドゥオーモduomo,ドイツ語でドームDomまたはミュンスターMünsterという。
とありました。即ち国によって呼び方が異なるものの、キリスト教で司教座(主教座)のある聖堂。教区全体の母教会を言うようで、ドゥオーモ/大聖堂/カテドラルは同じ言葉でした
 但し、イタリアでは大聖堂の中でもドームを持たないものはドゥオーモとは呼ばないのだという事も聞きました。

◆カラヴァッジョと画家の名前など
 今回の旅行でも、カラヴァッジョの絵画はシラクーサとメッシーナの2ヵ所で見ることが出来ましたし、イタリアにおけるカラヴァッジョの人気は良く判りました。

 所で、画家カラヴァッジョ(1571 - 1610年)の本名は、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ と言い、イタリア北部のベルガ県カラヴァッジョの生まれで、要するに「カラヴァッジョ村のミケランジェロ」だったのが、いつの間にかカラヴァッジョで通るようになったようです。

 同様に、「モナリザ」の作者としてだけでなく「万能の天才」と称される有名なレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519年)はフィレンツェ共和国のヴィンチ村において出生したようで、同じく「ヴィンチ村のレオナルド」がダ・ヴィンチになったようです。

 また、カルヴァッジョに似た名前の画家にヴィットーレ・カルパッチョ(1465年頃 - 1525年頃、イタリア、ヴェネツィア派の画家)が居ますが、彼の名は絵画だけでなく料理でも有名になりました。
即ち、子牛の赤肉とマヨネーズを使った料理に「カルパッチョ」というのがありますが、この名前の由来についてはこの料理を即興で作った料理人が客から料理の名前を聞かれ、カルパッチョの絵が好きだった料理人が彼の作品の赤と白色の色使いを思い浮かべ「カルパッチョ」と答えたという話があるようです。

◆映画のロケ地
 今回の旅行の楽しみの一つは、大好きな映画のロケ地が沢山含まれていることでした。
詳しく触れた「ニュー・シネマ・パラダイス」と「マレーナ」だけでなく、「グラン・ブルー」(伊・仏合作)や「ゴッドファーザー」(米国)なども含まれていて、映画大好き人間にはたまらなかったです。

◆マフィアについて
 シチリアに旅行と告げると、殆どの人が「怖いとこへ行くんやなぁ」とか「マフィアの巣に何しに行くのや」などとの反応で、シチリア=マフィア=危険というイメージが強い様です。

 確かにマフィアはシチリア島を起源とする組織犯罪集団で、アメリカでの悪名高い活動実績や、映画「ゴッドファーザー」などで有名になりました。

 本拠地であるシチリアに於いても、19紀から恐喝や暴力により勢力を拡大し、1992年段階では186グループ(マフィアのグループは「ファミリー」と呼ばれる)約4,000人の構成員がいたとされますが、マフィアの特徴としては、メンバーシップが限定的で排他的かつ強力な団結力を持つとともに、徹底した秘密組織・非公然組織であることが挙げられるようです。

  シチリアに於いては、このマフィア組織の撲滅に挑んだ、裁判官のジョヴァンニ・ファルコーネが1992年に、そして盟友の裁判官パオロ・ボルセリーノもその僅か2ヶ月後に暗殺されたことでイタリア国民のマフィアに対する反感が一気に高まり、パレルモ市内で約1万人が彼らの死を悼んでデモ行進を行い、マフィアに対するデモとしてはイタリア史上最大の規模となった。

 そして翌1993年、2人が暗殺された事件の首謀者が逮捕され、実行犯も1996年に逮捕され、共に終身刑となり、マフィアの影響力はかなり小さくなったようです。

 また、ファルコーネとボルセリーノが暗殺された翌年、パレルモ=プンタ・ライシ空港は、現在、2人を記念して「ファルコーネ・ボルセリーノ国際空港」と呼ばれるようになったようです。

  尚、シチリアに於いてこのような強固な犯罪組織が誕生した背景としては、下記のような理由が挙げられています。
シチリアの住民たちは、それまでの数世紀にわたるアラブ人やフランス人、スペイン人といった外国人支配者による政治的な圧迫から、住民同士での互助組織を通じてその時々の外国人支配者に対して抵抗していた。マフィアの構成員に服従と沈黙を厳しく命じる血の掟(オメルタ)の発祥は、外国人支配者に同胞を売り渡さない(密告しない)というシチリア人の気質によるといわれています。

◆添乗員交替
 このツアーでは思いがけない出来事がありました。
即ち、行程の半分を過ぎてパレルモに入るくらいから添乗員さんの電話連絡が忙しくなり、何となく慌ただしい雰囲気になりましたが、その夜添乗員さんから「母親が急逝し、急遽帰国することになりましたが、今晩中に交代の添乗員が到着し、十分な引継ぎをしますのでご容赦ください」とのこと。

 深夜に新しい添乗員さんが到着されたようで、翌朝に無事交代して帰国されましたが、新しい添乗員さんもシチリアの経験豊富なようでその後の添乗振りには全く問題ありませんでした。
流石にプロたちでした。(まさ)

※ シチリアで見かけた花たちの紹介がまだですが、追って紹介させて頂きます。