東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市 日積北周辺の史跡散策(1/4)

2021年04月07日 | 歴史探訪他ウォーキング

 岩国や広島に行く時、柳井市の日積を通ることがあります。歩いたことがあるのは、大畠側の日積から琴石山に登山した時ぐらいです。今回初めて日積の史跡を巡って歩いてみました。車を駐車する場所が分からなかったため、日積支所に止めさせていただきました。ありがとうございました。
 日積支所を出て最初に向かったのは、松島詩子の「マロニエの木」記念樹です。記念樹の根元にその碑がありました。松島詩子は、私の母親の柳井女学校(柳井高校の前身)時代の先輩です。松島詩子と同じように教師をしていた母親は、同じように教師をしていた松島詩子をよく自慢していました。柳井女学校に来たことがあったそうです。ちなみに、マロニエは日本ではトチのことです。

        参道や敷地がとても広い大帯姫八幡宮の拝殿


 マロニエの記念樹を見終わると、近くにある柳井市都市農村交流施設「ふれあいどころ437」を見ました。しかし、ここで買物をしてしまうと史跡散策が遅れてしまいます。帰りに寄ることにしました。楽しいのは、「ふれあいどころ437」の入口付近に、猫の絵が描いてある石がたくさん置かれていることでした。石の形も様々で、絵も素人さ満載で見ていたとても楽しくなりました。猫たちの石に見とれて、史跡散策の時間が減ったほどです。

   柳井市日積支所     マロニエの記念樹    猫達が描かれた石   
  

 続いて、大帯姫(おおたらしひめ)八幡宮を参拝しました。天平宝宇元年757年に宇佐八幡宮から勧請されたとのこと。「天平宝宇」のように四桁漢字の年号はとても珍しいです。その前後を除いて四桁年号はありません。中国にもない年号の使い方ではないかと思います。長い石階段を登ると広場のような参道に出ました。この広場はかつての大里小学校跡地です。松島詩子はこの大里小学校の卒業生とのことです。

   歩幅が長く段数の多い石階段      大里小学校跡地と参道
 

 大里小学校跡地は今、お山の学校になっています。炭焼き窯や薬草園などがあるようです。また拝殿近くに、昔から伝統の八朔踊りを学ぶ小屋がありました。この大里地区も少子高齢化で子供達が少なくなっているとは思います。しかし、伝統を守って毎年踊られているようです。いつかこのお祭りを見学してみたいものです。

         今回史跡散策した、柳井市日積北周辺ルート


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