東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施川支流の灸川を調査ウォーキング(2/4)

2013年09月08日 | 歴史探訪他ウォーキング



 熊毛南高校を過ぎて、どんどん灸川を上流に向けて進みました。高校の裏には荒木神社があり、横にはこの灸川が流れているのですが、高校生のころあまり興味がありませんでした。一度だけ美術の時間に教室から抜け出し、灸川付近の堤防付近から高校校舎や西山集落の絵を描いたことがあるだけです。こうして、再び高校の横を歩くようになるとは当時は思ってもみませんでした。※動画は熊毛南高校傍を流れる灸川です。

           熊毛南高校校舎とその横を流れる灸川、当時と変わらない流れ


 熊毛南高校を過ぎて柳井市余田西山地区との境に来ると、ぐっと川幅が狭くなります。この付近に来ると、やたら「ボチャン!ボチャン!」と川から音が聞こえてきました。最初、牛ガエルか鯉かと思っていました。しかし、よく見ると大きな亀でした。この付近の灸川には亀がたくさん住んでいるようです。その亀をよく観察すると、外来のアカミミガメです。よくお店で売っているミドリガメです。その亀が大きくなって野生化したでしょう。この川で、いったい何を食べて生きているのでしょうか。

     亀がたくさん住んでいる灸川       柳井市,平生町,田布施町の境界付近
 

 しばらく歩くと柳井市余田の西山地区に着きました。この付近に昔、田布施方面からの薬師川が流れ込んでいました。しかし、道と川筋後は残っているのに、川はありませんでした。かつて灸川に流れていた薬師川は、のちに人工的に運河として作られた堀川に流れ込むようになり流れが変わったのでしょう。灸川に流れ込んでいた場所に小さな防潮扉が残っていました。昔は、ここまで海の潮が来ていたのでしょう。
 ある方に聞いたのですが、昔堀川には船回しと呼ばれる船溜まりの場所があったそうです。今共同墓地がある法寺坊近くだったとのこと。川を上ってきた船を、その船回しで川を下れるように舳先(へさき)を方向転換させていました。昭和初期まででしょうか、この付近では船を使って荷物を輸送していたようです。つまりこの付近まで海の潮が上ってきていたのでしょう。掘川は当時、船が行き来する運河だったのです。その後、下流に堰堤ができ船が通ることができなくなりました。それが運河としての役目が終わった掘川でした。

    柳井市西山地区を流れる灸川          昔流れていた薬師川の跡
   灸川に架かる小さなコンクリート橋          防潮扉がその痕跡を示す
 

 なお、私が子供の頃の昭和30年代始め、八海近くの田布施川では、満潮時に一本櫂の和船が時々行き来していたのを見たことがあります。当時何を運んでいたのでしょう。平生人島の川岸に、荷車が下りることができるような坂がありました。潮が満ちた時にその坂から船に乗り移っていました。また、その坂傍に和船がよく止めてありました。面白半分にその一本櫂を使わせてもらったことがありますが、船は揺れるだけでちっとも前に進みませんでした。
 東田布施を目の前にして、灸川の堤防は草や木に覆われていて通れなくなりました。やむなく田布施方面に広がる、田んぼど真ん中の畔道を通って迂回することにしました。この付近の灸川堤防の草を刈る人がいないのでしょう。これまで歩きやすい堤防道だったのに、とても残念です。

             草木に覆われて通れない灸川の堤防、正面〇は行者山


 田んぼど真ん中の畦道を迂回しながら歩いていると、足元でガサゴソと音がしました。カエルでもいるのかと足元を見ると甲羅が見えました。子供の亀でした。灸川にいたのはアカミミガメ(ミドリガメ)でしたが、田んぼにいたのは草亀でした。田んぼで亀を発見したのは13年ぶりのことです。日本に昔からいる種類の亀です。アカミミガメ(ミドリガメ)は子供のうちはおとなしいのですが、大きくなると凶暴になります。凶暴なアカミミガメ(ミドリガメ)は灸川に,おとなしい草亀は田んぼにと、住み分けているのだと思います。

       田んぼ ど真ん中の畔道           田んぼの畦道で捕まえた子亀
 

 捕まえた亀を放して、田んぼをどんどん進むと掘川に出ました。川と言っても、側溝で仕切られた人工的に作られた直線の川です。魚もいなければ、当然亀もいません。流れが速いため、あまりゴミは溜まっていませんでした。底には藻か少し生えていました。もう少し、流れがゆっくりならば魚が住めそうな川です。堀川から県道に出ると、すぐ横にきらびやかな装飾のパチンコ店がありました。県道を柳井方面に向かって歩きました。

      木製の橋が架かる掘川          県道横の、きらびやかなパチンコ店
 

 下の航空写真で、A~B間には灸川に流れ込むかつての薬師川がありました。しかし、今は川は無く周辺の田んぼにその痕跡が残っているだけです。昔の薬師川は田布施街を通り抜け、堀川の上を交差して灸川まで流れていたようです。つまりA地点はかつて、堀川と薬師川が立体交差する十字路だったのです。つまり、十字に交差する立体水路だったようです。そのうち、A地点の立体交差をやめて、薬師川の水を直接堀川に流れるようにしたのだと思います。実際、薬師川と堀川には1m位の段差があり、薬師川の水は滝となって堀川に落ち込んでいます。なお、堀川と平行に流れている西隣の水路と薬師川は、今でも立体交差しています。
 薬師川と合流した堀川は、中央下水道に合流し、その中央下水道は灸川排水機場で灸川に合流します。そして、灸川は田布施川に合流して瀬戸内海に流れ込んでいます。

            ピンクの線は、灸川を調査しながら歩いたルート


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