南原台団地を過ぎると、八高線の高架を通りました。八高線とは、八王子と高崎を結ぶ鉄道です。途中、川越を通ります。以前、高崎に行こうと思って八高線に乗ったのですが、何度も乗り変えて失敗しました。一直線に高崎に行くのかと思っていたら、飯能や川越で乗り変えるのです。今は分かりませんが、当時は不便な線でした。
八高線の上を通る高架より 周辺が変貌していたMさん宅 石川入口交差点
高架を通り過ぎてすぐの所にMさんの家がありました。Mさん宅には私の子供と同じ年齢の女の子がいて、同じ保育園に通っていました。いつもエプロンをして通園の送り迎えをしていました。当時私は車を持っていなかったため、雨の日に時々Mさんの車に乗せてもらっていました。とても気さくな方で、今でも当時のことを感謝しています。残念ながらご不在のようでした。25位前、Mさん宅前は広大な畑が広がっていました。しかし、住宅で蜜集するなど変貌していました。
ムラウチ電気で休憩 休憩してアイスを食べる 大和田市民センター
Mさんの家を通り過ぎて、石川入口交差点に出ました。いつもどおり、車の行き来が多い交差点です。その交差点に出て、一路八王子駅方面に向かいました。その途中にムラウチ電気がありました。八王子に引越しした頃、このお店でよく買物をしました。電気製品のほとんどはこの電気店で買ったように思います。次に、ムラウチ電気の北側にあるムラウチホビーに行ってみました。このお店では、家具や園芸用品などをよく買いました。
ハヤなどの魚をよく釣った浅川、ある時傷ついた鴨を連れ帰る
ムラウチホビーのすぐ隣にある大和田市民センターにちょっと寄りました。当時、このセンター内に小さな図書館があり時々本を借りました。大和田市民センターを過ぎて、どんどん歩くと浅川に着きました。この川でよくハヤなどの魚を釣りました。
娘とハヤを釣りに行った時のことです。傷ついた鴨を偶然見つけたのです。すぐに応急手当をして、家に連れ帰りました。捕まえた時、とても痩せていて飛べませんでした。野犬などに食べられなく、私に捕まって幸運な鴨でした。毎日餌を与えていると、だんだん元気になりました。ある時娘が餌をやっていると、突然窓から飛んで逃げてしまいました。鴨の世話係をしていた娘はとてもがっかりしていました。そんな、鴨の事件がありました。
大和田橋の焼夷弾跡印 タコさん公園のタコ やっと八王子駅に到着
浅川に架かっている大和田橋を歩きました。その歩道には、戦時中の爆撃で落とされた焼夷弾の痕跡がわざと残してあります。この橋を渡っている人のうち、何人がこの焼夷弾について知っているでしょうか。焼夷弾が落ちた個所が分かるように別色タイルが張り付けてあるのです。大和田橋を渡り、タコさん公園で休憩後、しばらく歩いて、今回の目的地である八王子駅に到着しました。八王子駅からバス乗り、南陽台の我家に帰りました。
今回ウォーキングした、懐かしき八王子周辺