土穂石川を上流に歩き、途中の橋を渡って川の左岸に回りました。回った理由は、土穂石を対岸から見るためです。左岸を上流に歩いているとT字路に突き当たりました。右に行くと柳井駅、左に行くと田布施に行きます。そのT字路脇に大師堂がありました。中に立派なお地蔵様が安置されていました。江戸中期の安永年間(1770年代)に建立と墨書きされていました。
土穂石川名の由来となった土穂石
大師堂のお地蔵様を拝むと、T字路を左折して田布施側へ向かう道を歩きました。しばらく歩くと、再び土穂石川に出ました。少し歩くと対岸の川底に巨大な土穂石が現れました。この土穂石は古代から人々の注目を集めたに違いありません。川の名前になり、近くの土穂石八幡宮阿の名前にもなっています。古代において、土穂石は海岸の波打ち際にあったのではないでしょうか。そして、神が宿る神聖な岩とされたのではないでしょうか。ところで、田布施町の八尋石八幡宮や石ノ口八幡宮の名前の由来となった石は、残念ながら今どこにあるのか分かりません。
土穂石川の石風呂 松尾芭蕉の句碑 アップルミントに到着
土穂石を見終わると、土穂石川を100m位登ったところにある橋を渡り、土穂石川の右岸に出ました。そして、今度は右岸を下流に向けて歩きました。すると、すぐの場所に石風呂があります。営業していないのですが、貴重な写真が展示されていました。石風呂は湯船がない時代の、いわゆるサウナの近い風呂です。江戸時代はあちこちでこのような石風呂がありました。貴重な史跡ですが、営業していなくても維持管理がとても大変だと思います。
史跡を見終わり、最後に着いたアップルミント
この土穂石の石風呂は、営業していた最後の石風呂のようです。なんとか石風呂を体験してみたいと思いますが、とても難しいことでしょうが。石風呂の写真を見終わると、土穂石川を下りました。すると、松尾芭蕉の句碑に出ました。そして、その場所から見下ろすと真下に土穂石をあります。この場所から見下ろすと、巨大な亀の甲羅を見ているようです。数万年前の氷河期、柳井は渓谷だったはずです。その頃の土穂石は、赤子山の峰にから突き出た岩山だったのではないでしょうか。
アップルミントを出発 周東病院バス停到着 バスに乗ってMaxValuへ
松尾芭蕉の句碑を見学し終わると、最後の訪問となるアップルミントへ急ぎ足で行きました。真っ青な建物に着くと、暖かい室内に入りました。そして、各自の飲み物を注文しました。私はカフェオレを頼みました。30分位、休憩しながら談笑しました。もう少しゆっくりしたかったのですが、バス到着の時間が迫ってきたためゆっくりできませんでした。早歩きで周東病院バス停に向かいました。5分位待つとバスが来ました。久しぶりに回数券を取って乗車しました。ウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。
今回歩いた、平生町の宇佐木、田布路木方面ウォーキングコース
============健康ウォーキングクラブ==============