四輪クドウの独り言

見えたまま、聴こえたまま、感じたまま…

朝焼け夕焼け富士山と浅間山です。能登半島地震から1週間復旧へ課題多く、3.11当時のマンション避難を思い出した

2024-01-08 17:54:55 | 日記

●今日は成人の日ですが、寒い一日でした。私のマンションから富士山や秩父連山、浅間山がよく見えます。今日は気温が低いせいか、朝焼けと夕焼けの富士山がきれいでした。浅間山の夕焼けも素晴らしいです。私のスマホのカメラの限界ですがそれなりに…。

●能登半島地震から今日で1週間。救援救助は雪や雨、道路等のインフラが破壊されている中で、警察、消防、自衛隊などが懸命の活動をしています。地震のメカニズムに対する解説がテレビマスコミで紹介されていますが、今は救助救出そして救援が最優先です。奥能登地方は道路と港湾が破損されているので、避難されている被災者に十分対できていないようですが、健康状態を心配しています。死者の数は日に日に増加しています。安否未確認の人も多く、自然災害の深刻な現状を改めて思い知らされています。

●2011.3.11の東日本大震災。議会本会議の休憩時間でした。旧庁舎は激しく揺れました。廊下の壁が壊れ、裏の非常階段から避難しました。ぐらぐら揺れるのがはっきり確認できるぐらいの揺れでした。議会は議事の途中ですが、議長が散会の宣告をしたので帰宅しました。私は14階建てのマンションの5階でした。幸いにも家族と家の中に大きな被害がなく、また議会に戻りました。議会や市役所等を再確認して帰宅しました。管理棟の前を通った時呼び止められ、集会所にたくさんの住民(特に女性と子どもが多かった)が避難していました。

●当時の規約等では集会所が避難所という位置づけになっていないことから、管理人(ライフマネージャー)の勤務時間が過ぎた時に、だれが責任を持って対応するかということでした。管理組合の理事長や役員のほとんどが仕事先で帰宅できず、前年度まで副理事長等の役員をしていたことから、臨時の避難場所とし自治会長と一夜留守番をしました。特に3月でしたので、夜になると気温が下がり、寒いことから石油ストーブを持ち込み暖をとりました。石油ストーブは、明かりをともすことで、集まった人たちが「安堵」の表情が忘れられません。今、能登地方のみなさんはもっと厳しい状況に置かれています。80歳の高齢者では現地に行って支援はできませんが、みなさんの健康を祈ります。

コメント
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