●4日ぶりのブログです。この間、世の中はめまぐるしく動いています。今日は午後、新駅設置を促進する市民団体の会合があり、出席しました。会長の挨拶が45分、市長の挨拶が35分ぐらい、議長へと続き、私の番はまだまだ先。明日から出張のため今日は3時半には失礼し、保険事故の処理の問題で対応しなければならず、やきもきしていました。3時半が近づいたので議長の挨拶の途中、代表の方に訳を言い、読むつもりで持参した、今日のあいさつ文を渡し失礼しました。
●代表の挨拶は、ここまで新駅設置にかけた30年の思いがひしひしと伝わるもので、今実現が間近になったこの時期になぜ「住民投票か」と、提案した市長の判断に苦言を申し上げたのが印象的でした。私は住民投票に賛成しましたが、代表の思いは良く理解できます。一方市長は、自ら「興奮している」と言ったように、やや冷静さを失った言葉が目立っていた印象です。聞いていて「???」と思ったのがいくつかありました。その一つは、「庁舎建設基金は庁舎を建設するという目標が明確なので積立てました。新駅の基金は、新駅の設置が決まっていなかったので積立が難しかった。それでも8億6千万円積立てた」という趣旨のことを言っていました。新駅設置を選挙の公約にし、要望し、その最大の課題が駅舎建設費の確保(借金できないので現金を用意する)でしたが、出来る可能性を最も感じていなかったのが、ひょっとしたら市長だったということでしょうか・・・。6時ごろに、出席した市民から電話があり、庁舎基金の積立ては「歴代の市長が・・・」ぐらいの言葉がほしかったが・・・と言っていました。
●平成21年の「新駅設置の議会決議」に賛成した議員が、住民投票条例制定後に提出された「新駅設置の決議」に反対したのは問題であるとも言っていました。反対の理由が、住民投票の結果に従うというのは考えが違うというような発言でした。私は、市長が提出した「住民投票で新駅設置をJRに要望する」ことを決めるための「住民投票条例」に賛成し、可決制定したわけですから、その結果を見るという判断のどこが問題なのか。住民投票条例に反対した3人の議員なら理解できますが、賛成した議員は「住民」に決めてもらうと判断したのでしょうから・・・??。それなら市長はなぜ、住民投票条例を提出したのであろうか。決議に賛成した議員はなぜ、住民投票条例に賛成したのであろうか・・・??。その前に、新駅促進団体が提出した「新駅設置要望の請願」を趣旨採択(北本市議会では実質的に負採択)で実質否決し、否決した議員が今度は同趣旨の決議を提出する。請願者に失礼です。自己矛盾ではないでしょうか・・・??。
●また、市民は住民投票なら「通勤時間が長くなるから反対というが」そんな目先のことを考えず50年、100年先のことを考えるべきですとも言っていました。しかし、住民投票を選び、それを実施したら、住民の判断基準は多様であり、このようなことは、普通なら折込済みではないでしょうか。それならなぜ、住民投票を選んだのか・・・?理解できません。市長は、職員に「市は推進の立場なのだから住民投票で賛成を進めるように」と訓示があったようです。市が推進を決め、住民が反対のための住民投票を発議し、議会が条例を可決したのなら「市は賛成の立場・・・」は理解できますが、市長自ら住民に判断していただくと決めたのなら、判断は当然「賛成」もあれば「反対」もあるでしょう。ここにも、なぜ住民投票にしたのか理解できない言動があります。
●庁舎建設基金の振り替えを「法律違反」とビラに書いた人がいるが間違いだとも言っていました。また、庁舎建設基金の振り替えに反対する人は、新駅に反対する人であるとも言っていました。法律違反は別として、目的基金を目的以外に振り替えることは普通の感覚では「禁じ手」であり、好ましい状況ではないでしょう。住民投票にしたら、当然庁舎建設基金の使い方も賛否判断の争点になるはずです。賛成があれば反対もある。反対する人にある意味違和感があるなら、住民投票にしないほうが良かったのではないのかな・・・。なんとも真意の分からない、言葉も荒く「興奮」したままに話していた印象でした。これでは、待ち望んでいた地域の市民も、理解できないでしょう・・・。
●途中で退席したので、後の経過は分かりませんが、私は「住民投票」に賛成しましたので、住民投票の結果を見守ります。