ロシアのウクライナ侵攻から1ヶ月余り、この間、ニュースやニュース解説、新聞記事を今までになく熱心に診たり、読んだりしてきた。それに関連しての歴史も学んだ。
歴史をひも解けば大多数の戦争は自衛のために始まっている。そして自衛の名を語った戦争が、完全な侵略戦争に転換していく。敵対する両国にはそれぞれ大義名分が存在するが、そんなものは戦争の現場に立たされる兵士や民間人にとっては何の意味も無い。日常の平凡な生活が破壊されるだけである。ウクライナの各都市の惨状を見るにつけ「ロシアにとって何の意味があるのだ」とつぶやいてしまう。
今の時代に唯一正当化できるのは「先制攻撃に対する正当防衛ための戦い」である。それでは手遅れになると「敵基地攻撃能力を高める」という声もある。でも「やられたらやり返す」「やられる前にぶっつぶす」という脅しのために核やミサイルを増強したり、憲法を改正したりしても抑止力にはならないだろう。
「もし攻撃されたら反撃するが、先制攻撃は絶対しない」と宣言することしか「自衛」の道はないのではないか。「正当防衛を除き、戦争を国際紛争解決の手段としては使わない」ということを愚直に世界に広める努力をしていくしかない。
まだ悶々とした日々は続きそうだ。
歴史をひも解けば大多数の戦争は自衛のために始まっている。そして自衛の名を語った戦争が、完全な侵略戦争に転換していく。敵対する両国にはそれぞれ大義名分が存在するが、そんなものは戦争の現場に立たされる兵士や民間人にとっては何の意味も無い。日常の平凡な生活が破壊されるだけである。ウクライナの各都市の惨状を見るにつけ「ロシアにとって何の意味があるのだ」とつぶやいてしまう。
今の時代に唯一正当化できるのは「先制攻撃に対する正当防衛ための戦い」である。それでは手遅れになると「敵基地攻撃能力を高める」という声もある。でも「やられたらやり返す」「やられる前にぶっつぶす」という脅しのために核やミサイルを増強したり、憲法を改正したりしても抑止力にはならないだろう。
「もし攻撃されたら反撃するが、先制攻撃は絶対しない」と宣言することしか「自衛」の道はないのではないか。「正当防衛を除き、戦争を国際紛争解決の手段としては使わない」ということを愚直に世界に広める努力をしていくしかない。
まだ悶々とした日々は続きそうだ。