素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

CD♪ブギウギ伝説・笠置シヅ子の世界♪が届く 

2014年09月30日 | 日記
 CDを購入することはグッと減ってきたが、新聞の音楽時評で笠置シズ子の生誕100年を記念して♪ブギウギ伝説・笠置シヅ子の世界♪の2枚組CDが発売されたことを知った。

 迷うことなくAmazon.co.jpをひらいて購入の手続きをした。笠置シズ子は昭和歌謡史の中で戦前から戦後初めにかけて作曲家服部良一とのコンビで大きな位置を占めているにもかかわらず、私は歌手としての笠置シズ子にお目にかかれなかった。私の笠置シズ子はテレビや映画の元気な下町のおばちゃんを演じる俳優としての姿しかなかった。

 懐メロに興味のあった中高時代、他の歌手によって歌われるブギウギシリーズの曲調と俳優の笠置シズ子が自分の中でマッチせず、ずっと???状態であった。歌声だけはほんのたまに流されるが、実際に歌うことはなかったと思う。「思い出のメロディー」みたいな番組にも出演しないことが不思議だった。

 そういうわけで、昭和歌謡の中で笠置シズ子はすっぽり抜け落ちたピースであった。今でも多くの歌手がカバーして歌っているのに、本人の歌声と姿は見事に消えてしまった。就職してからは日々の忙しさの中でこだわりもうすれていったが、災いと同じように朗報も忘れた頃にやって来るのである。

 新聞を見た時、これを逃したら永遠にピースは埋まらないと思った。今日届いたCDを聴きながらこのブログを書いている。よくできている2枚組だと思う。書くことに集中できなくて困るのもまた楽しい。
  佐藤利明(オトナの歌謡曲・娯楽映画研究家)さんの解説で笠置シズ子に関する理解が深まった。

 興味深かった話を紹介させてもらう。

服部良一との出会いについて。

服部は自伝「僕の音楽人生」の中でシヅ子との出会いについて、「大阪で一番人気のあるステージ歌手と聞いて『どんな素晴らしいプリマドンナかと期待に胸をふくらませた』のだが来たのは、髪を無造作に束ね薬瓶を手に目をしょぼつかせ、コテコテの大阪弁をしゃべる貧相な女の子であった。だがいったん舞台に立つと『…全くの別人だった』。三センチもある長いまつ毛の目はバッチリ輝き、ボクが棒を振るオーケストラにぴったり乗って『オドウレ。踊ウれ』の掛け声を入れながら、激しく歌い踊る。その動きの派手さとスイング感は、他の少女歌劇出身の女の子たちとは別格の感で、なるほど、これが世間で騒いでいた歌手かと納得した」とある。

代表曲♪東京ブギウギ♪誕生について

 吉本興業の創業者・吉本せいの子どもの8歳年下の吉本穎右(えいすけ)と知り合い交際に発展・妊娠するが、穎右を吉本の後継者に待望していたせいはシヅ子を気に入らず断固として結婚を認めなかった。そして結核療養中だった穎右は昭和22年5月に24歳の若さで病没。失意の中、シヅ子は穎右死後数日後に長女・エイ子を出産。妊娠中の舞台『ジャズ・カルメン』を最後に、一旦は引退を考えたものの生活のために歌手生活を続けることを決意。そのシズ子のために戦前から音楽面で支えてきた作曲家・服部良一が作曲したのが♪東京ブギウギ♪。

 服部は、失意のシズ子の再起のために、リズミカルなブギウギのスタイルで明るい調子の曲にしようと考えた。


歌手引退について

 ブギが下火となった1957年(昭和32年)に歌手廃業を宣言。客を満足させる歌声・踊りが出来なくなったからとも、一人娘の育児を優先させるためだったともいわれたが、後年テレビの対談番組で、「廃業の理由は『太りかけたから』だった」と告白。つまり昔と同じように動けていれば太るはずはない、太ってきたのは動けていないからだ、ということだった。またそれに関連して「自分の一番いい時代(ブギの女王としての全盛期の栄華)を自分の手で汚す必要は無い」とも語っている。以後、女優活動に専念する。長女・エイ子は「公私を問わず、引退後は一切鼻歌にいたるまで歌を歌わなかった」と話している。

 また女優活動専念に際しては各テレビ局、映画会社、興行会社を自ら訪れ、「私はこれから一人で娘を育てていかなければならないのです。これまでの『スター・笠置シズ子』のギャラでは皆さんに使ってもらえないから、どうぞギャラを下げて下さい」と出演料ランクの降格を申し出ている。


 YouTubeで昭和22(1947)年12月30日に公開された、正月映画「春の饗宴」(東宝)のなかで笠置が観客のリクエストに応じて「『東京ブギウギ』でございますか?まぁ、皆さま、余程お好きなんですのね。じゃぁ、やりましょう!」とバンドを促して歌い出すシーンを見つけた。

 不鮮明だが、その全盛時代を知らない私にとっては2枚組のCDとともにパワフルなすごさが時代の熱気とともに伝わって来る。

 戦後のあの時期、ブギウギに熱狂した大衆の気持ちがわかるような気がした。 

笠置シヅ子 東京ブギウギ


 石原裕次郎がデビューして「太陽族」が流行語となった昭和31(1956)年の経済白書は「もはや戦後ではない」と宣言。この年の大晦日の第7回紅白歌合戦で笠置は大トリをつとめ「ヘイヘイブギー」を歌い、翌年歌手から引退し、女優業に専念するという流れを見るとやはり「時代」というものを考えてしまう。歌の世界は美空ひばりの時代へとなっていく。

 「流れ行く川のように、時代は移り、人も変わる。
   その後に一つの歌が残り、過ぎゆく季節の記憶を奏でる」

「ラジオ深夜便」イントロのテーマを朗読した。
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御嶽山のまさかの噴火に思う

2014年09月29日 | 日記
 昨夏から日本各地を襲ってきた豪雨災害、広島の市街地近郊での思いもしなかった土石流被害の後は気候の方も安定してきて、しばらくは秋景色を楽しめるかと思っていた矢先、カウンターパンチのように御嶽山噴火というニュースが飛び込んできた。土曜日の第一報ではマグマが吹きだしていない水蒸気爆発ということで事態の深刻さは伝わってこなかったが、昨日、今日と捜索活動が本格化する中で山頂付近の厳しい状況が明らかになってきた。

 どのメディアも言っている事だが、紅葉の本番を迎えた、週末土曜日の昼前という最悪のタイミングでの噴火であった。豪雨、地震、津波、竜巻そして噴火などのニュースを聞くたびに人間の無力さを感じる。

 そういう時に、必ず開く本が2冊ある。鴨長明の「方丈記」(角川ソフィア文庫)と寺田寅彦の「天災と国防」(岩波新書)である。平安時代末期、十年足らずの間に大火災、竜巻、飢饉、大地震といった大災害を連続して体験した鴨長明は「方丈記」にそのことを多く書いている。また自身の人生も思い通りに行かない挫折感いっぱいのものであった。それらの苦境の中から「無常」の人生観を創りだしていったが、決してあきらめて涙する「無常感」という情緒的に感応する態度ではなく、非情な自然界の根本原理を容認する「無常観」を持ち、対象と向かい合う態度を貫いている。どんな苦難にも押しつぶされない秘めたる強さを感じるのである。

 また、「天災と国防」は大正13年から昭和10年に書かれた文章から選ばれたものである。声高に情に訴えるのではなく、科学者としての目と心を通して静かに語られているが、奥にある憂国の情を強く感じる。

 両者に共通するのは、過去の天災について忘れることなく将来に向けて教訓を生かし、できる得る防災対策を講じていくことの大切さを述べている点である。

 「国防と天災」の中に、こういう一節がある。ただし、この本は昭和13年に発行された(定価50銭)ものを古本屋で購入したので旧字体である。勝手に新字体に変えさせてもらう。

 ≪それで、文明が進む程天災による損害の程度も累進する傾向があるといふ事実を十分に自覚して、そして平生からそれに対する防御策を講じなければならない筈であるのに、それが一向に出来ていないのはどういう訳であるか。その主なる原因は、畢竟さういふ天災が極めて稀にしか起こらないで、丁度人間が前車の転覆を忘れた頃にそろそろ後車を引出すやうになるからであろう。》

 また「津波と人間」の中の一節も鋭い。

 多くの人間は年月とともに災害の記憶や教訓は忘れ去ってしまうと嘆いた後に続けて

≪しかし、困ったことには「自然」は過去の習慣に忠実である。地震や津浪は新思想の流行などには委細かまはず、頑固に、保守的に執念深くやって来るのである。紀元前二十世紀にあったことが紀元二十世紀にも全く同じやうに行なはれるのである。科学の方則とは畢竟「自然の記憶の覚え書き」である。自然ほど伝統に忠なものはないのである。
 
 それだからこそ、二十世紀の文明といふ空虚な名をたのんで、安政の昔の経験を馬鹿にした東京は大正十二年の地震で焼き払はれたのである。》


 しかし、この2冊を読んでいると不思議と元気がでてくるのである。『2冊を手に取ることのない平穏な世の中であってほしい』は夢のまた夢か。

 

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カボスにはまる。大相撲秋場所にはまる。

2014年09月28日 | 日記
 大分の方からカボスを沢山送っていただいた方からおすそ分けをいただいた。徳島県に近いこともありカボスよりもスダチのほうが馴染みがある。使い方はほぼ同じであるがスダチよりも酸味がまろやかなカボス、ドリンクにして飲むのもいいと教えられた。

 作り方は超シンプル、半分でも四分の一にでもカットしたカボスを絞ると、盃半分から四分の三ぐらいの液が出る。それを水か炭酸水で薄めれば良い。
  「酸っぱいのでは?」といぶかると「だまされたと思って飲んでみ」と笑う。
一言で言うなら「爽やか」である。ビールがわりに飲むことが多くなった。酔いたいなあと思ったら、ウィスキーを入れれば良い。カボスの存在感はないのだが確実に存在しているというところが気に入っている。
  夕方、チビチビ飲みながら大相撲の千秋楽を見る。安美錦と逸ノ城という顔合せは粋なはからいだと思った。 安美錦、ひょうひょうとした技巧派のベテランというイメージだったが、11日目の勝ち越しのかかった嘉風戦で土俵際まで押し込まれたが、はたき込みで軍配が上がった。きわどい体勢だったので物言いがついた。相撲の流れやスローで見ても体が残っており軍配通りだと思った。しかし、判定は取り直しとなった。淡々と仕切り、取り直しの一番では土俵中央ではたき込んで勝利した。その瞬間「どうだ!これで文句はないだろう!」という不本意な撮り直しに対する怒りが顔にも体にも表れた。内に秘めたる闘志を垣間見た。「なかなか面白い力士だ」と見直した。

 翌12日目は40歳で幕下勝ち越しがかかっている旭天鵬との一番。厳しい攻めで押し出した。インタビューで開口一番「向こうは40歳の勝ち越しがかかっているなら、こちらは35歳の9勝目がかかっている」と言ったという。勝負師だなと好きになった。勝ち越しを決めたインタビューでは同じ部屋の若手、27歳の宝富士、22歳の照ノ富士が元気にがんばっているのに刺激を受けていると負けじ魂が伝わってきた。

 4年8か月ぶりに技能賞を獲得した安美錦が殊勲賞、敢闘賞を獲得し優勝決定戦の可能性のある逸ノ城に対してどういう相撲を取るかは見ものであった。安美錦としてはこれしかないという立合いからの攻めだったが、逸ノ城の対応能力が優れていたというところか。来場所は両者とも番付が上位になるので次がまた楽しみになる。

 結びの一番は順当に白鵬が決めた。今場所は優勝決定戦というおまけは必要ないと思っていた。逸ノ城と2大関、2横綱の取り組みだけで十分。これで来場所につながる布石が打てたことになる。

 地元出身の豪栄道と勢は名脇役を演じた。次は主役にならねば。その力はついてきていると思うのだが・・・・


 今夜はサンマでカボス。大分から取り寄せようかなと思い始めた。
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昼は孫の運動会、夜は志の輔独演会

2014年09月27日 | 日記
 孫の通う島本町立第二小学校の第51回運動会があった。夜の予定があったので妻は自動車、私は自転車と別々に出かけた。絶好の秋日和である。4年生ともなるとさすがに落ち着いて、要領よく楽しんでいた。出番は3回。

 集団演技の「きずなガッチリ!みんなでドッカン!」個人走「元気バッチリ!みんなでRUN RUN!」団体競争の「笑顔にっこり!みんなでピッタリ!」である。毎年のことながら各学年の演技のネーミングへのこだわりが面白い。統一感があったのは4年かな。
   

 演技と演技の間は30分以上あるので、4回目ともなれば周辺の探索も飽きたので木の下にシートを敷いて昼寝と読書。敷地が広く大きな木も多いのでゆったりとできる。きんもくせいも多くありいい匂いをただよわせていたが、あいにく私たちが陣取った近くには大きなイチョウがあり銀杏の実のにおいのほうが強く匂ってきた。どちらも秋の到来を感じる匂いである。
   14時に出場する種目がすべて終わったのでいとまを告げて自転車を走らせた。淀川の土堤は心地よい風が吹き爽快な走りであった。ちょっと飛ばし過ぎて、家近くの坂道ではバテ気味になった。往復の総距離を見ると42.08kmとほぼフルマラソンと同じ、今さらながらであるが、長い距離である。

 家で一服してから森ノ宮ピロティホールである志の輔らくごへ。5年目を迎える落語会でお馴染みになってきた。
  今回は三席あった。大いに笑わせてもらった。

 いろいろなことが凝縮された夜で、すこぶる楽しく過ごすことができた。

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逸ノ城は強い。雑音なんか気にするな。それでいいのだ。

2014年09月26日 | 日記
 一昨日の稀勢の里、今日の鶴竜戦での立ち会いの変化についてだが、逸ノ城よりもむしろ余裕なく頭から突っ込んでいく大関、横綱の姿の方が情けないと思う。昨日の豪栄道のように充分な形になりながらも、いとも簡単にしとめられるより負け方としてはましだと変化してくれた逸ノ城に感謝すべき?

 名前だけは聞いていたが、今までは取り組みの時間が早かったのでテレビをつけた時は取り終わっていてなかなか見ることはできなかった。勝ち数が増えるにしたがって上位と当たるようになり中盤戦以後は欠かさず見ている。「強い」の一言である。内転筋のすごさと体幹力の強さに驚いている。遊牧民の育ちだというから馬に乗っての生活で自然と鍛えられたものであろう。

それで、私もジムにある「乗馬マシーン」(?)に乗り始めた。今まで乗ったことがなかったので「あら、珍しい」と言われながら15分間前後左右に揺さぶられている。最大スピードにして股を締めるとけっこう内転筋に効く。

 白鵬時代がずい分長く続いてきたが、交替期が近づくと必ず抜きん出た力を持つ者があらわれてくるものである。明日の白鵬戦はそういう意味で運命的なものを感じる。明日の結びの一番、どんな展開になるか見ものである。

 照ノ富士にも期待していたのだがあまりにも脇が甘すぎる。下位では強引に勝てたが上では通用しない。前みつを瞬時にとって一直線に出る相撲を取ってくれないかなと思う。そうすれば剛の照ノ富士、柔の逸ノ城というスケールの大きいコンビが誕生するのだが。

 
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