素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

偽装と誤表示!???

2013年10月31日 | 日記
 10月も終わり。真夏日が5日あり、台風の接近が6回と天気の不安定さが際立っていた月であった。ダブル台風の後、ようやく平年並みの気温となり、紅葉の話題もちらほら出始め秋を感じるようになってきた。

 天気が落ち着いたと思ったら、阪急阪神ホテルズの食材の「誤表示」問題の嵐が吹き荒れている。他のホテルやレストランにも飛び火し当分収まりそうもない。

 「誤表示」と「偽装」の線引きにすごくこだわったことが印象的であった。だましてやろうという意志の有無を問題にしていたが、聞いていて見苦しいなと思った。

 そして、「誤表示」が本当ならば、大きな疑問が残る。プロの料理人ならば自分が調理する食材にはこだわるのではないかということ。自分が作っているものがメニューでどうなっているかは知っているはずだ。そこで食材の違いに気付かなかったのか?ということである。

 「食材の吟味もしないで料理が成り立つのかな?」という疑問だけがグルグルと頭の中を巡っていた。むしろ「偽装」のほうがスッキリする。食材が違うとわかりつつ、客にばれないように腕をふるった。となればさすがプロやなという思いにもなる。自分が悪いことをしているのだという自覚があるほうがましだということ。

 「誤表示」というのは料理人の存在感を限りなくゼロにしてしまう、罪深いものだという気がする。

 

 
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「人間ちくわ理論」

2013年10月30日 | 日記
一昨日の朝刊の「くらしナビ*医療・健康」欄に札幌医科大教授・當瀬規嗣さんの話が掲載されていた。そこに「人間ちくわ理論」が図示されていた。文章より先にその絵を見て「アッと思った。」
 30年ほど前の昼休み、詳細は忘れたが、動物の分類について雑談の花がひらいていた。「理科の先生って覚えるだけで大変やな」という私の言葉に授業帰りに通りがかったベテランのN先生がズバリ「ちくわかつぼで考えればよい」とおっしゃった。一同?????。N先生は会議の発言でも居合抜きのようにスパッと問題点を切り裂く方で一目置かれて居た。みんなの腑に落ちない顔を見て補足してくれた。「動物はいろいろな形をしているが、突き詰めれば消化管の出入口が同じか出口と入口を別々に持つかです。平たく言えば食事中ごめんね、口と肛門が同じか別かということ。イソギンチャクは獲物をパクパクと取り入れたら同じ所から残骸を出すでしょ。だから「つぼ」。進化した動物は別になるので「ちくわ」。そう思って動物を見ると難しくはないですよ。」そんなもんかとわかったようなわからないような感じで、この話はここで終わったが、私にはなぜかインパクトがあった。

 忘年会でN先生の隣になった時、「ちくわ」の話は妙に印象に残ったことを告げた。「大袈裟かもしれませんが、昔、”地球は丸い、動いている”と言われた人間がビックリしたのと同じくらいのインパクトがありました」というと、そのことに驚いたとN先生は笑いながらこう続けた。「単細胞の状態からさまざまな環境に適応しながら動物はいろいろな形態に進化を遂げたでしょ。その結果をテストのために覚えるのは大変なのは確か。私も苦労しました。でも”ちくわ”をベースのイメージにして動物を見ると結構面白いことに気がついたの、そうすると覚えることが苦にならなくなったのよね。」

 枝葉の部分に目を奪われるのではなく本質的ところをつかむとよく理解できる。ということですねと感心すると今度は「理不尽なことを言ったり、筋の通らないことを平気でする人この業界には多いでしょ。そんな時、心の中で『ちくわ!』と言うのよ、すると心が落ち着いて感情的にならず理を通せるのよね」と小声で言って笑った。

 当時の私は「鉄の女サッチャー」にならって「ステンレスの女」とひそかに呼んでいたN先生、いろいろな場面で顔色一つ変えず理路整然と意見を述べられていたが、心中では何度も「ちくわ!」と叫んでいたのかと思うと妙にうれしかった。

 新聞の絵を見て、懐かしい思い出がよみがえってきたのであった。當瀬規嗣さんの話は、「消化」のこと。食べものを口に入れて食道を通すと体内に取り入れたと思いがちだがそれは間違いであるという。

 目に見える大きさの食べ物を、消化管の中を通しながら目に見えない大きさである分子になるまで小さくして始めて栄養素として吸収され人体を構成している約60兆個の細胞で利用できる。ということがとても分かり易く語られていた。

 消化管は「ちくわ」の穴のようなものだから、消化管の中のものは体の外にあると考えるべき。そうすると噛むことの大切さを始め、消化の妨げになるものを排除するということの意味がよくわかる。

 「人間ちくわ理論」で、またまた目からうろこが落ちた。

 
 
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文庫本「雲霧仁左衛門」(前)(後)読み切る

2013年10月29日 | 日記
 物語が進むにつれグイグイと中に引き込まれていく本に出会うことは少ない。文庫本の「雲霧仁左衛門」も前編の頃は数冊の本と併読していたが、後編に入ると他の本を読む時間が惜しくなり一冊にしぼられてきた。ラストになるとテレビや余禄を書く時間も「雲霧仁左衛門」を読むことになった。

 前半は、雲霧一味に翻弄される盗賊改メを、後半は逆に周到に雲霧一味を追い詰めていく盗賊改メを描いている。二重三重のどんでん返しが用意されテンポよく展開していく。また、登場人物がバラエティに富んでいて、それぞれに魅力がある。物語が単線ではなく複線となっているので厚みのあるものになっている。「活字で書かれた映画」それも大作映画といってよい。

 これを、60分枠で6話にすること自体に無理があるように思えた。中身をかなり大胆にそぎ落とし、再編集する必要がある。どうしても物語の展開が単線になってしまうのは致し方ないと思った。今は原作の料理ぶりを楽しむという感じで毎週見ている。あと2回、結末にどう持っていくかが興味津々。
 
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岩谷時子さん亡くなる

2013年10月28日 | 日記
 金、土、日はいつもと違うリズムで気ぜわしかった。3日続くと普通の生活が恋しくなる。今日は自分のペースで暮らすことができた。朝からゆっくりと新聞に目を通すことができた。

 岩谷時子さんが97歳で亡くなられたことを報じていた。岩谷さんがマネジャーをしていた越路吹雪の歌は高校時代から大好きだった。大学時代にアルバイト代をためてやっと自分のステレオを手に入れた時、最初に買ったのが、越路吹雪の日生劇場でのリサイタルのライブ盤であった。繰り返しよく聴いたものだった。越路吹雪と岩谷時子は切ってもきれないコンビなので自然と岩谷さんの詞や訳詞は体にしみこんだ。

 カラオケに行けば、必ず最初に歌うのが♪サン・トワー・マミー♪。誰も歌う人はいないとは思っても他人に歌われるのは嫌なのである。そういう曲はこの1曲だけである。百人一首でいえば、持統天皇の「はるすぎて なつきにけらし・・・・」の札のようなもの。小学生の時に、いとこの家で百人一首かるたで遊んだ時に一番最初に覚えた札である。、以来、これだけは必ずとるという変なこだわりを持っている。

 
越路吹雪 サン・トワ・マミー 1978


 女性作詞家では岩谷時子・安井かずみ・阿木燿子の3人が私の中では別格の存在。岩谷さんの死に接して感慨深いものがあった。

 午後からジムに行くと、やはり話題は昨日の大阪マラソンのこと。受付のそそっかしい叔母さんは私を見るなり「タイムは?」と一言。何のことか分からずキョトンとした私に「時間、時間、完走できたの?」とたたみかけてきてやっと理解できた。「落選して、走ってないのですよ」で大笑い。ジムの会員やその家族で参加した人もかなりあったみたいで朝から盛り上がっていたみたいである。700番台ではしった人もいたみたいで年々関心は高くなっている感じ。スタッフの奥さんも出場し、25km過ぎに大きな豆ができて救護所で治療うけてからややテンションが下がり、たこ焼きを食べたり、チームメイトとしゃべりながら走ったそうだ。それでもタイムは3時間45分余りだったというから一同ビックリ。

 村野中学校2期生の代表幹事さんからもメールがあり、前半は調子が良くて3時間45分で行けそうだ(一緒に出場した第1回ではたしか3時間50分台?)と思ったらしいが、中間点から足が重くなり思うように走れず4時間14分29秒でゴールしたという。
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午前は芋掘り、午後は「交野九条の会・講演会」

2013年10月27日 | 日記
 一週間延びた恒例の」自治会主催の芋掘り大会が近隣の農園で行われた。70世帯余り、約300人の参加者で賑わった。集合、移動、開始までに45分、掘り始めたら1世帯4株の割り当てなので10分弱で終了。今年は大きさにばらつきがあった。子供の顔ほどのいもを誇らしげに持って記念撮影をしている家族があると思えば、いもなのか根なのか分からないものを掘り出しそれはそれで盛り上がっていた。
     
 
 我が家の収穫はメタボからやせ過ぎまでバラエティに富んでいた。去年に比べればましというところ。

 午後は、ゆうゆうセンター多目的ホールでの講演会に
 カチッとした内容で、大学の講義を受けているみたいであった。
 ⑴これまでの政府の九条解釈のポイント ⑵12月衆院選、7月参院選の結果 ⑶明文改憲 ⑷解釈改憲・立法改憲・・憲法第9条の実質的改正⑸安倍政権のジレンマと私たちの課題 という内容で現在の局面を分かり易く話された。たくさんのヒントをもらった。

 安倍政権の押せ押せムードが目立ち、時には無力感を感じていたが、国民意思との乖離が進んでいるさまざまな事例を聞き、粘り強くやっていかないといけないと思い直した。特に、歴代内閣法制局長官や「良心的」保守派の話は興味深く聞くことができた。

 一点共闘という発想がこれからのキーワードになりそうである。
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