素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

1月も終わり

2011年01月31日 | 日記
 スッと考え、意見の一致することのほとんどない夫婦ではあるが、今朝は「1月は長かった。」と同じ思いを口にした。なぜ長く感じたかを話し出すとズレるので「本当に長かった。」でピリオド。

 私はなぜ長く感じたかといえば、新鮮な感動が多かったことだと思う。年齢を重ねるにしたがって多くのことを経験した分、新たな感動が減り日常が淡々と流れる。すると、時間の経つのが子供や若いときより早く感じるのである。

 相変わらず、朝と夜の体重を記録しているが現状維持のレベルまできた今年は1ヶ月ごとに朝の平均体重を出していこうと思う。“減らす”という目標の時より“維持する”という目標は取り組みとしてはむずかしい。やる気を持続させるためには月単位で客観的なデーターをながめていく必要を感じた。1月の出だしはOK!といえる。


   1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月  
2010 80.5 80.6  80.4 80.7  79.7  79.3 79.0  79.0  79.4  78.1  77.9  76.9
2011 76.3

 







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アジア杯決勝TV観戦のため寝不足なれど3たび裏山散策~星田山へ~

2011年01月30日 | 日記
 監督をふくめ特定の個人の名前が大きく報道されないチームであったと思う。そこがこのチームの良さであり強さであった。端的に言えば“マスコミにふりまわされなかった”ことが優勝の一因。予選前も決勝を迎えた時もチームは同じ状態なのに、優勝したら手のひらを返したような報道ぶりである。そういうのは好きではない。

 短期間でザッケロー二は選手の個々の持っているものをよく把握している。交替の打つ手は的確であったと思う。とにかく久しぶりにじっくりと見る気のする試合をしてくれた日本代表に感謝する。私がMVPに選ぶなら長友かな。守備はもちろん攻撃では彼の存在が大きかった。左サイドに怖さがあると、中央や逆サイドにスペースが生まれる。ボールを持っている時のみならず持っていない時でも相手に常に存在感を与えるプレーヤーである。今日は久しぶりに4時間睡眠の日となった。働いている時は4~5時間の睡眠時間でやってきたので体のほうはまだ覚えているだろう。

 裏山の中で“星田山”への道がわからなかったのだが、星田園地への道の途中から分岐して行くことができることがわかったので行ってみた。このあたりの山は専門的にはわからないが巨大な石のかたまりでできているということを随所で見ることができる。星田山に向かう道も尾根道とは違う風情がある。奥入瀬渓流風といってよい。スケールは超ミニだが“五段の滝”と名づけられている所などはなかなかのものである。

 石をよじ登るようにして抜けると一気に星田山への登りになる。

    日高山にはよく行っていたのでそこに抜けてジムのある星田西のコモンシティ下りようと考えていた。頭の中では簡単に行けるだろうとイメージしていたが実際には“ぼって谷”の存在が大きかった。裏山散策では尾根筋が基本で谷に下りることは慎重にしなければ行けない。という原則がある。このままこの急斜面を下っていってもいいのか?と不安になるぐらいである。1回だけ引き返し再度案内板を確認したぐらいである。星田山から“ぼって谷”まで下った分だけまた上って日高山に行くことになるので予想以上にハードで汗ばんだ。日高山にくればおなじみのルートとなるので強風ではあったが気楽に歩くことができた。これで裏山の道のつながりを95%把握できた。今日は早く寝よう。
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続・裏山散策~磐船神社で岩窟くぐり~

2011年01月29日 | 日記
 1月21日に裏山から星田園地に通じる新しいルートを見つけた。星田園地に入る道は“おねすじの路”と“まつかぜの路”に入る2つあったのである。分岐点で先日は前者を選んだ。後者についてはまたの機会と思っていた。“まつかぜの路”に入ると磐船神社に抜けるコースにつながっていくことは知っていた。獅子窟寺に行ったこともあり“巨岩信仰”の元祖的存在である磐船神社にも行ってみたいという気持ちもあったので、もう一度裏山散策をすることにした。

 先日は、午後からだったので気持ちも時間もゆとりがなかったので今日は10時20分に出発してゆったりした気持ちで歩くことにした。星田新池から入ってしばらく歩くとあった謎の石垣にも寄り道をしてまわりを探索してみた。㍼21年10月28日の日付の入った石碑(墓石?)を見つけた。どうもお寺関係の何かがあったのではと思いつつ先を急いだ。

 分岐点の多い道なので油断すると違う方向に行ってしまう。園地に向かう道は送電線用の高鉄塔を建設するためにつくられたものがベースになっているのではと考えると見当がつきやすくなる。鉄塔のある付近で分岐点があるのである。

  送電線の鉄塔も私にとって“人間の力”を感じさせるものの1つである。「すごい!」という感情が自然と湧いてくる。3つ目の鉄塔の所が“おねすじの路”と“まつかぜの路”の分岐点となる。“まつかぜの路”は飯盛霊園に抜ける時に何度も歩いている道だが、200mほど下ったら合流した。そこから磐船神社に抜ける道に入りひたすら下ると国道163(磐船街道)に出る。道の反対側にログハウスカフェ“おじいさんの古時計”がある。バイパスができたため店の前の道を車で走ることがなくなったので興味はあったが立ち寄ることはなかった。12時をすぎていたのでここで腹ごしらえをすることにした。土地の購入、開墾、原木の買い付け、設計、建築、家具まですべて手作りで、構想から3年かけて作り上げ1988年秋に完成したこだわりのログハウスカフェである。店内は店の名前通りにたくさんの古時計がかけられており、カントリーソングが流れいい雰囲気だった。カレーもスパイスがよくききおいしかった。食後は磐船の自然水を使ったこだわりのエスプレッソを飲みつつ「白洲家の流儀」をしばし読む。そういう風に過ごしたいと思える店である。

    店から100mほど歩くと磐船神社がある。このあたりは国道といってもすれ違いのできない部分もいくつかあり難所であった。ダンプカーがよく通る道なので神経を使って走っていた。バイパスができたおかげで車もほとんど通らないので気楽に歩くことができる。

  磐船神社のホームページによれば  
物部氏の遠祖神(とおつみおや)天孫饒速日命をお祀りする神社です
天の磐船を御神体とする饒速日命降臨の聖地です
十種瑞宝鎮魂は日本の祈祷の根本であり、饒速日尊が天照大神より授かり伝えたものです
御神体や行場岩窟をはじめとする巨石群は古代の磐座祭祀を現代に伝え、古代の人々と同じ空間を体感できる場です
 となっている。岩窟めぐりはかねてからやってみたいと思いつつなかなか機会がなかった。「こんな大きい体でもくぐりぬけられますか?」と社務所でたずねると「だいじょうぶですよ」と返ってきたので500円を払うと白いタスキを渡された。「それを肩からかけて岩に白いペンキで→がついていますから、その通りに進んでください」という声を後ろに出発。入り口の赤い戸を入ると階段があり岩の間を下りていく。

   下まで行くと岩と岩の間がずい分狭くなってきて足元と頭上に気をつけながら→をたよりに慎重に進む。

    下へ下へとすべり下りていくという感じである。三角の小さな隙間を抜けると木の橋がかかっており、そこから見上げると空が見えた。

 水の流れる音が岩に響く。一番狭い所は“足から”という指示が書かれていた。足元をさぐりながら岩の間をぬって進む。ここで地震でも起きて石が動いたらと思うとゾッとした。 
    難所を通り抜けると薄暗い空間があり、そこに社が祀られていた。そこから少し行った所から出口を見上げることができた。10分強の岩窟めぐりだが、必要最低限の安全措置しかされておらず、昔のままの自然の状態で残っているので思っていたより楽しめた。岩窟から抜けたところに“天の岩戸”ある。岩戸に向かって拝むと、その方向に伊勢神宮がある。



 帰りは同じ道を通って帰った。途中の分岐点で“星田山経由”というのがあり裏山でここだけがまだ行っていない所なのでちょっと心が動いたが「いそがない・いそがない」という声が聞こえたので“星田新池経由”で家にもどった。   












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チャレンジの日。

2011年01月28日 | 日記
 心と体が同時にいい感じになることは少ない。調子の波のピークの山は少しづつズレることが多い。今日は朝起きた時から何となく心体ともにピークである感じがした。こういう時“絶好調!”と叫ぶのであろう。午前中は、確定申告のための家族の医療費関係の書類をまとめたりした。健康だけがとりえの一家だがそれでも1年間で、いろいろな病院にお世話になっている。

 午後はジムに出かけた。“絶好調”感を感じる日はめったにないので、ランニングでペースアップにチャレンジすることにした。たいした決意をしたわけではなく、自然に体が動いていったと言って良い。今の自分では時速10kmのペースが目一杯で、30分間維持すれば御の字である。最近はその後も時速9kmは維持して60分9kmはなんとか達成できるようになってきた。

 今日のチャレンジは60分10kmを達成することである。ゆとりのないペースを60分間維持するのは今日のような日しかない。苦しくなるポイントは走り始めて17分ぐらいと42分ぐらいにくる。そこでペースダウンをしてしまうとなかなか取り返せない。このあたりの克服は体より心のほうが鍵をにぎっているように思う。50分を過ぎて残りが1桁になると体のほうである。

 肉体と精神の関係はどちらが先でどちらが後かは簡単には言えない。ただ、両方ともしっかり栄養を与えないとダメである。体の栄養は“本能的”な部類だから自然に取り込むが、心の栄養は“前頭葉”に属するものだから意識的に取らないと“栄養失調”になってしまう。1月に入ってのことを振り返ると私はたくさんの心の栄養が取れたように思う。

 結果は、ギリギリであったが59分55秒で10kmに達することができた。さすがに足にはこたえた。ストレッチをしていてもふるえがくるのである。しばらくは無理をしないで、腹8分目でトレーニングを続けよう。
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『白洲家の流儀』

2011年01月27日 | 日記
 庭のスイセンがちらほらと咲いてはきたが、連日の寒さにまだこごえている感じである。「お水取りが終わらないとだめやね」というのが決まり文句のようにあちこちで耳にする。

 昨日の映画はMOVIX京都で見たのだが、同じビルに紀伊國屋書店があり、上映まで1時間ほどあったのでブラブラと見てまわった。目的もなく書架に並べられた本を眺めていくのは楽しい。新刊本には知らない作家がたくさんいたり、大学の頃読んだ岩波新書が復刻されていたりなかなか興味深かった。

 不思議とこういう時向こうから飛び込んで来る本があるのだ。今回は2冊。白洲信哉著『白洲家の流儀』と諸田玲子著『お順』である。夕食後、さして見たいテレビもなかったので『白洲家の流儀』を読み始めた。白洲信哉さんの父は白洲次郎と正子の次男、母は小林秀雄の一人娘である。孫から見た三人の祖父母をテーマに本を書いて欲しいという依頼があって書かれた本である。

 白洲次郎と白洲正子の二人がなぜ今注目されているのだろうか。ということに対して“まえがきにかえて”の中で信哉さんはこう述べている。

 祖母の正子は著書の『かくれ里』で、「日本の国そのものが、世界のかくれ里的存在といえるのではないだろうか」と書いている。そんな日本が、近代西洋の物質万能主義に「追いつき、追い越せ」で100年たった。しかし、「欧米を追いかける時代」から「日本の伝統や文化を見直す時代」に入ったのではないだろうか。多くの人が「何かが変だ」ということに気づき始めているように思う。

 多くの人の中に、私も入っている。自分のアンテナにひっかかるものは、万葉集を始めとする古典、能・狂言、落語、浪曲、歌舞伎、旧街道、寺社仏閣、仏像などである。そういうものにふれたりする中で、自分の中に確固たるものを持ちたいという思いがある。

 半分ぐらいまで一気に読んだが、とても面白い。明日から週末にかけて、もっと寒さが厳しくなると予報では言っている。近くの中学校でも1年生がインフルエンザで学年閉鎖したそうだ。家にこもるのが一番!かな?
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