素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

万博記念公園で気分転換

2022年05月31日 | 日記
 妻が国立民族学博物館の招待券を2枚もらってきた。特別展示の《邂逅する写真たち~モンゴルの100年前と今~》が今日までだったので気分転換に出かけることにした。ローズフェスタと日本庭園の花菖蒲も見たかったので、日本庭園前駐車場に車を停めた。万博記念公園は広いので目的地によって駐車場を選ばないと無駄な時間を使うことになってしまう。

 8時30分過ぎに家を出たが、昨日からの雨が霧雨状態でまだ残っていた。「着く頃には天気も回復するだろう」との予想通り公園の周遊道路に入った時には青空が見えてきた。日本庭園前の駐車場は太陽の塔を後ろから見る場所にある。入口に行くと「水曜日は休園日」という貼り紙があった。休園なんて頭になかったので「ラッキーやったな」とささやかな喜び。

 入口を入った右手すぐがローズフェスタ会場、花はやや終りかけだったが甘い香りに包まれて花を愛でることができた。そこから道をはさんだところにある日本庭園に。花菖蒲園には入口を入って右手に歩き10分ほどで着いた。何度か来たが花菖蒲の時期は初めてである。思っていたより広くいろいろな種類の花菖蒲を間近に見ることができた。

 日本庭園を出て右手に5分ほど歩くと国立民族学博物館。特別展示の《邂逅する写真たち~モンゴルの100年前と今~》は興味深い写真を見ることができた。大相撲のモンゴル出身力士にも思いを馳せながら民族の歴史と未来について考えさせられた。

 同じことは、常設展示会場でも人類の創造力の逞しさとともに侵略、支配、文化破壊という言いようのない憤りも同時に覚え、今回はズシリと心にこたえた。同じ展示でも見る視点が変わってくるということを思った。

 ローズフェスタ前のベンチでもう一度バラを見ながら弁当を食べる。天気の回復とともに訪れる人も増えていた。その後、自然文化園を散策する。校外学習だろうか小中学生の集団を多く見かけた。ちょっとした気分転換になった。

5月末の万博記念公園
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滝野隆浩さんの掃苔記

2022年05月30日 | 日記
 毎週日曜日に掲載される滝野隆浩さんのコラム「掃苔記」の昨日のタイトルは《転倒防止に「ぬかづけ」》だった。「ぬかづけ?」何か語呂合わせだと思ったがピンとこなかった。

 3月6日の掃苔記で、滝野さん自身が歩道の坂道でこけてけがをした経験について書いたら、「日本転倒予防学会」の武藤芳照初代理事長(71)から近著「あの人も転んだ この人も転んだ」と一緒に手紙が届き、それが抜群におもしろかったので、東京・本郷の事務所に話を聞きに行ったことをもとに書かれてあった。

 「七転び八起き。若い人はピンチをチャンスに変えていく。ところが年を取ると、弱る一方である。転んで手をついて手首を折り、次は肩を強打して上腕部を骨折、さらに大腿(だいたい)骨を折ったら長期入院である。同じコースをたどりながらリスクが高まっていくことを「骨折ドミノ」という。だから還暦を過ぎて転んだら、「命の黄色信号」ということで、何が原因かをよく考えることが大切」とたしなめられたと言う。

 「いつも『ぬ・か・づけ』に気をつけて」と武藤さんに念を押されたみたいだ。「ぬ」=ぬれている場所、「か」=階段、「づけ」=片「づけ」て いないところは転びやすい。
 

 退職後の 私のヒヤッと体験は、「ぬ」では雨の日のスーパーの入口で1回。「か」は4回、物を持って足元が見えない状態で下りる時の最後の一段が危険。「づけ」はまだない。あと二つ追加したい。1つは駐車場の車止めブロック。私はつまづいて驚いただけだったが、知人で3人転んでけがをした。もう1つは、レンガが敷き詰められている歩道。見た目はおしゃれだが、微妙な段差、起伏が生じていて非常に危険。

 とにかく他の事に気を取られて歩いたり、走ったりしないことだ。小学校の時右手首、中学生の時右大腿骨剝離骨折をした時も集中力欠如だった。「今度折る時は、首やから命取りやで」と志摩病院の怖い整形外医から警告された。これは私にとって行動の抑止力として働いてきた。

 60年近く無事に乗り切ってきたのだから今一度気を引き締めて3度目の骨折をしないようにしよう。
 
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真夏日に耐える

2022年05月29日 | 日記
 外仕事ができるのは9時まで、10時を過ぎるとぐんぐん気温が上がっていくのがわかる。干していた布団も早々しまう。日差しの強さが半端ではなかった。夜のニュースで枚方市で33.1℃を記録したことを知る。納得の数字である。

 ありがたいことに今日の新聞は興味ある記事が多く掲載されていた。「余禄日記」のメモスペースに、タイトルをメモしておくのだが、今までは一番多い6個になった。
㉕「たわけ」の使い方  ⑩日本史寄り道「貴族たちと鴨川」・「森と木と建築の日本史」 ⑨「マルクスの墓」に見る富と権力
⑪掃苔記「転倒防止に《ぬかづけ》」 ➁時代の風・「測りすぎていないか?」数値目標
などである。おいおいふれることもあるだろう。また、辛口「数独」も5辛だけあってすんなりとはいかず、室内で暑さをしのぐにはちょうど良い。

 また、昨夜放映されたBSプレミアムの『京都人の密かな愉しみ・Blue修業中「門出の桜」』の録画もじっくり見ることが出来た。このシリーズは「私の密かな愉しみ」で何度も再放送されているが、見飽きることがない。名作だと思う。

 何をするでもなく、ダラダラと一日を過ごした。体力は温存できた。季節外れの暑さの終わりにふさわしい夕陽だった。
  
 
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くりの花

2022年05月28日 | 日記
 万葉集にある山上憶良のストレートな歌はパンチ力があり記憶に残っている。

【長歌】
瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食(は)めば まして思(しの)はゆ 

いづくより 来(きた)りしものそ 眼交(まなかひ)に もとな懸(かか)りて 安眠(やすい)し寝(な)さぬ

【反歌】
銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに優(まさ)れる宝(たから)子にしかめやも

 歌に詠まれるぐらいだから、万葉の時代、それ以前から栗は貴重な食べ物だったに違いない。イガイガで覆われた実は馴染みはあるが花はあまり印象に残っていない。 世の人の見付けぬ花や軒の栗 芭蕉  軒近く咲いていても、大概の人は見過ごしてしまうとあるぐらいだから、私だけではないと心強い。

 ゴミの集積場のすぐ横に栗の木があるのだが、先日ゴミ出しに行った朝、むっとするような青臭い匂いが鼻をついた。あたりを見渡すと白い房状の花が目に入った。「発生源はこれか?」と近づくと正解。栗の花を初めてまじまじと観察した。
 
 帰ってネットで検索してみると、この匂いを不快に思う人が多いことがわかった。

「栗の花は雄花が圧倒的に多く、雄花のなかにひっそりと雌花が咲いています。 白っぽい色の雄花がたくさん咲く茎に近い根本に、雌花が咲いています。 雌花は雄花よりも白い花弁が少なく数もかなり少ないため、見慣れないうちは雌花を見つけにくいかもしれません。」とあったので夕方もう一度観察に行ってみたがはっきりわからなかった。気のせいか匂いはさらにきつく感じた。この後、どう変化していくのかゴミ出しの時観察していこうと思った。まづは雌花の発見か?
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季節はすすむ、ホトトギスの鳴き声が聞こえた

2022年05月27日 | 日記
 夕方から降り始めた雨は夜中にピークを迎え、5時過ぎに新聞を取りに出た時には上がっていた。最良の朝の迎え方だ。起きてサンルームのカーテンを開けるとサツキのオレンジ色が目に飛び込んでくる。今は公園やどの家でもサツキが真っ盛り。以前は剪定に失敗して花付きが悪かったが、近頃はコツを覚え他の場所と見劣りしないようになってきた。
 サツキの花が終わるといよいよアジサイの季節となる。庭のアジサイもつぼみをつけ始めてきたが、一足先に存在感を示している一鉢がある。


 朝食後、昨夜の風雨で落ちた花や葉を掃きあつめていると、ホトトギスの鳴き声が聞こえた。私にとっては今年初めての鳴き声である。
    ほととぎす鳴きつる方を眺むれば
           ただ有明の月ぞ残れる
 と詠んだ後徳大寺左大臣の気分がわかった。

 食性は肉食性で、特にケムシを好んで食べる。という。ボチボチ我が家の葉にケムシ、青虫が目につくようになってきた。声はよく聞くけど姿は見たことがない。食べにきてくれないかな、姿拝見とムシ退治の一石二鳥となるのだが。

 ホトトギスとともにウグイスの鳴き声も、「おいおいのんびりしていると、子育て放棄で有名なホトトギスに托卵されるぞ」と思わずつぶやいた。

 「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」三役そろい踏みで初夏気分。

 
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