素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

『菊池寛が落語になる日』(春風亭小朝・文藝春秋)のラストは「マスク」

2022年02月28日 | 日記
『菊池寛が落語になる日』(春風亭小朝・文藝春秋)を読み終えた。最後の話「マスク」は大正9年(1920)年の「改造」7月号に掲載された作品である。1918年から1920年にかけては全世界でおよそ5億人が感染し、 死亡者数はおそらく1億人を超えていたと推定されている人類史上最も死者を出したパンデミックのひとつであるH1N1亜型インフルエンザ、通称「スペイン風邪」が猛威をふるった。

  流行源は特定できていないが、初期にスペインから感染拡大の情報がもたらされたため、この名で呼ばれている。パンデミックが始まった1918年は第一次世界大戦中であり、世界で情報が検閲されていた中でスペインは中立国であったため戦時の情報統制下になく、感染症による被害が自由に報道されていたからである。この大流行により多くの死者が出たことで徴兵できる成人男性が減ったため、第一次世界大戦が早く終わったのでは?ということを言っている人もいる。

 菊池寛が「マスク」という小説のヒントにもなったのではと思っている。

 他人からは非常に頑健だと思われるような体格の人が主人公である。見かけとは正反対で心臓と肺が弱かった上に最近は胃腸も害し、内臓で強いものは一つもないというから気の毒である。

 年末、胃腸の調子をひど悪くした時に診てもらった医者から心臓の弱さを気休めやごまかしなしで忠告された。
   「用心しなければいけませんよ。火事の時なんか、駆け出したりなんかするといけません。
    この間も、元町に火事があった時、水道橋で衝心を起こして死んだ男がありましたよ。
    呼びに来たから、行って診察しましたがね。
    非常に心臓が弱い癖に、家から十町ばかりも駈け続けたらしいのですよ。
    
    貴君(あなた)なんかも、用心をしないと、いつコロリと行くかも知れませんよ。
    第一喧嘩なんかをして興奮しては駄目ですよ。熱病も禁物ですね。
    チフスや流行性感冒に罹って、四十度位の熱が三、四日続けばもう助かりっこはありませんね」

 という具合に。その日以来、生命の安全が刻々に脅かされている様な気がしてきた。ちょうどその時、流行性感冒が猛烈な勢いで流行りかけていたこともあって、医者の言葉が「流行性感冒に罹ったら即死ぬぞ」という宣告だと受け取った。
 
 感冒に対して怯え切ってしまった主人公は、他人から臆病だと笑われようができるだけ予防して、最善の努力をはらって罹らないようにしようと決意した。

 その予防策は、
  *自分自身が極力外出しないようにした。 *妻や女中もなるべく外出しないようにした。 *朝夕には過酸化水素水でうがいをした。
  *やむを得ず外出する時には、ガーゼを沢山詰めたマスクをつけた。そして出る時と帰った時にていねいにうがいをした。

 感染状況に一喜一憂の日々を過ごすことになる。2月、3月、4月、5月と微妙に変化していく主人公の心の動きを描いていく。原文で味わってもらいたいものだ。

 100年前の主人公をタイムマシーンに乗せて、新型コロナウイルスが猛威をふるっている今この時に招待したらどうか?菊池寛はどんな小説にするだろうか?なんてことを想像するのも楽しかった。

 昨年、NHKで放映された志賀直哉原作の「流行感冒」と相通じるものもある。

    
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ワンランクアップした大阪マラソン

2022年02月27日 | 日記
 びわ湖毎日マラソンと統合されてワンランクアップした大阪マラソンがあった。大阪は第10回、びわ湖毎日は第77回の」大会である。新型コロナ感染拡大のため約2万人が参加予定の一般部門は中止。男女のエリート部門のみの開催。

 くじ運良く、私は3度大阪マラソンに参加できた。私の時は大阪城前の府庁から出発して咲洲のインデックス大阪でゴールするコースだったが、ゴール後の交通手段が限られていて混雑の極みであった。フルマラソンを終えた後の人の渋滞と超満員の地下鉄はつらかった。

 数年前からコースが新しくなった。大阪城がスタート、ゴールとなりより大阪らしい景色を楽しめるようになった。十の字に走るため折り返し地点が5つもあり、上町台地が中心に走っているためアップダウンがあり特に後半にきつい難コースと言われていた。

 ベテランの域に入って来た川内選手もタイムより勝負と公言していた。

 いざレースが始まってみると最近の他のマラソン大会同様、積極的なレース運びとなった。見ている方は面白い。4位までが2時間7分台でフィニッシュして10位までが8分台と層が厚くなったと実感した。MGC出場権を7人の選手が得たことは驚きだった。

 次回からは「びわ湖毎日」の名が消え「大阪マラソン」となるみたいだが、私が参加できる機会が訪れるだろうかとゴールする選手を見ながらボンヤリと考えていた。
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寒さゆるみホッと一息

2022年02月26日 | 日記
 朝は放射冷却でグッと冷え込んでいたが、風がないので体感的にはあまり寒いという感じがしなかった。日中は日差しもあり久しぶりに最高気温が10℃を超えた。ホッと一息つくことができた。

 布団を干したり庭に出て花の手入れをしたりと人の動きを感じる。ここ1週間ばかり風の音ばかりで人の気配をほとんど感じない毎日だっただけに嬉しくなる。犬の散歩仲間の人たちも今日はのんびりと話に興じていた。犬同士もワンワンと吠え合いストレス発散か?

 ジムが休館日だったので久しぶりに寝屋川公園までジョグ&ウォーキングとなった。公園内もベンチでくつろぐ人や歩いたり、走っている人が多く見られた。大阪病院の撤去作業も終わっていた。この跡地をどうするのかな?と興味あるところ。

 大阪城公園の梅林にある標本木に5輪ほど開花を認め、梅の開花宣言がなされた。去年より2週間近く遅れての宣言だそうだ。2月に入ってからの冷え込む日の多さが原因だと聞いて納得。

 テレビのほうはウクライナのことでいっぱい。コロナは脇に置かれた感じとなった。おかげで、ウクライナの地政学的な位置、歴史などがわかってきた。鍵を握っているのは中国だと思えてきた。

 「無理が通れば道理が引っ込む」という言葉が思い起こされる。「弱肉強食」は自然界の大きな掟ではあるが、それを乗り越える力を持つのが人類である。理不尽だと思えることでも力に屈して道理を引っ込めざるを得ないことは多々ある。その口惜しさが力をつける原動力となるが、問題は力をつけた後である。その力を背景に近所近辺の弱いものいじめをするようになったら何のために?となる。

 幕末から明治にかけて欧米の列強から押しつけられた不平等条約を粘り強く交渉し、撤回していった過程は学ぶべきだが、その間に付けていった力の誤った使い方も教訓として持っておかないといけない。

 今回のロシアのウクライナ侵攻という現実を目の当たりにして、日本の防衛問題も改めて議論の的になって来るだろう。先人の知恵と失敗に学びながら考えていきたいものである。

 
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キューバ危機

2022年02月25日 | 日記
 毎年1月に更新される「終末時計」。年単位では短期の危機に対応することはできない。その代表的な事例が1962年にアメリカとソ連との間で起こった「キューバ危機」だろう。

 1962年の10月14日、キューバにソ連の核ミサイル施設が建設されているのをアメリカ軍が発見。16日にはホワイトハウスにいた当時の大統領、ジョン・F・ケネディにこの事実が伝えられ、政府高官らにも衝撃が走った。

 この日から丸3日、アメリカ政府はどのような対応をとるのかを昼夜を問わず話し合った。キューバにあるソ連基地への空爆や、キューバへの侵攻などの軍事行動の可能性も検討されていたという。

 しかし、本格的な武力行使をおこなえばソ連の報復は免れず、第三次世界大戦が始まってしまう恐れがある。もし次に世界大戦が始まれば、アメリカとソ連の戦いは核兵器の応酬になると考えられていた。

 20日、ケネディはキューバやソ連基地への攻撃ではなく、キューバ周辺の海域を封鎖するという決断を下し、22日にはこれをテレビ演説で発表した。ソ連の当時の指導者、フルシチョフはこの発表を強く非難し、封鎖を無視する意向を発表した。

 「暗黒の土曜日」と呼ばれた27日、両国の緊張が最大に達する。この日、フルシチョフは非常に高圧的な内容の書簡をケネディに送る。内容に震撼したホワイトハウスが対応の検討に揺れるなか、昼にアメリカ軍の飛行機がキューバ上空で撃墜される事件がおこる。加えて、ソ連領内のシベリアに、アメリカ軍の偵察機が不注意により侵入してしまうという出来事も発生し、もはや戦争は回避不可能ではないかという段階にまで進んだ。

 これらの危機的な状況にあっても、両国のトップには「核戦争は避けなければならない」という考えはあった。これまで大きな戦争を経験してきた2つの大国は、その悲惨さや被害の多さはお互いによくわかっていた。

 このままエスカレートしてこれまでに世界が経験したことのない「核戦争」ということになれば、予測不可能な悲惨な事態になることは明白だったので互いを非難、威嚇しつつも、ケネディとフルシチョフは両国ができる、可能な限りの譲歩と歩み寄りを始めた。

 そして翌28日、ソ連がミサイルの撤去を発表し、キューバ危機は終わりを告げた。

 13日間という短期間であったので「終末時計」にはこの危機は反映されていない。もしこの13日間に「終末時計」の針が動いたとしたら1分を切り秒読み状態になるぐらい、第二次世界大戦以降、もっとも核戦争の危機が高まった期間だろう。

 それを意識してかはわからないが、プーチン大統領は「核保有力」を誇示するメッセージを出した。

 「キューバ危機」に至る経過を見ると現在ののウクライナを巡る争いと同じ構造であると感じる。

 1900年代初頭から、キューバはアメリカの「保護国」という立場に置かれていた。これは実質的な植民地支配であり、アメリカはキューバの政治にたびたび干渉していた。

 1952年、キューバで軍事クーデターが起き、フルヘンシオ・バティスタが政権を獲得したが、親米の立場をとり、それまでと同じようにアメリカの援助のもとで政治をおこなった。

 アメリカの一方的な支配と、そのアメリカに付き従う自国の政府に反旗を翻したのが、フィデル・カストロらを含む革命軍。1953年に蜂起し、多数の犠牲を払いながらもゲリラ戦を展開した革命軍は、バティスタ政権を追い詰め、1959年の1月1日に政権の奪取に成功した。

 カストロによる新政権樹立により、キューバ国内にあったアメリカ企業の土地がキューバ政府に接収されるなど、アメリカはキューバ国内での優位性を失っていく。するとアメリカはキューバに対し、厳しい対応をとるようになった。1961年にカストロが社会主義宣言をすると、両者の亀裂は決定的になった。

 一方で、キューバと親密になっていったのがソ連。ソ連は対米優位を進めるため、1962年にキューバと軍事協定を締結。アメリカにばれないよう、ひそかにキューバに核ミサイルの配備を進めた。そして10月14日、アメリカ軍の偵察機がキューバ上空で核ミサイル基地を発見。緊迫の糸が張り詰めるキューバ危機へと陥った。

 緊迫した状況の中でも「核戦争回避」という1点で一致していた両国トップと関係者が交渉を重ねる中で、最悪の結末を避けることができた。関係各国の外交交渉以外に打開の道はないように思う。

 大国の政治家による判断と決定は、いくつもの国を動かし、多くの人の未来を決めてしまうということをあらためて思い知らされた。

 2023年の「終末時計」の更新で針が100秒前から戻るか最悪でもそのままであるようにと願うのみ。

 
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終末時計100秒前から動くだろうか

2022年02月24日 | 日記
 ロシアのウクライナ侵攻が始まった。「するぞ!」「するぞ!」の報道が連日のようにあったがオオカミ少年のごときものかなと思っていた。こんなにも早く起るとは思っていなかった。

 侵攻の様子を伝える映像を見ていたらふと「終末時計」が頭をよぎった。

 1945年、広島、長崎に原子爆弾が投下され第二次世界大戦が終結したが、その原子爆弾を開発するマンハッタン計画に関わっていた科学者の一部は、核エネルギー、原子爆弾は人類・文明にとっての新たな脅威になると、戦後の核管理の重要性と日本に対する無警告での原爆投下への反対を政府に提言していた。世に知られるフランク・レポートである。

 しかし、訴えは拒絶され原子爆弾は投下、未曾有の大惨事が歴史に刻まれた。戦後、「核エネルギーの持つ危険性を科学者は強く社会に訴えなければならない」という理念からアインシュタインやシカゴ大学の科学者たちはメンバーを募り「シカゴ原子力科学者」という組織を結成、会報として科学誌『ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンスティスツ(原子科学者紀要)』が創刊された。

 その1947年6月号の表紙絵に現れたのが《世界終末時計》。デザインしたのはアーティストのマーチル・ラングスドルフ、原爆開発に携わった科学者たちの切迫感を見てとった彼女は時計をモチーフに選びました。核兵器を制御するための残り時間がほとんどないことを伝えるのにはこれ以上ない。7分という設定にはあまり根拠はないという。見た目というデザイナーの感覚に由来する。

 核ミサイルのスイッチを握る独裁者に対してなんの抑止力にもならないと《世界終末時計》には批判の声も多くあるが、《世界終末時計》が示しているのは未来予測ではなく、あくまで比喩であると原子科学者紀要は述べている。

 批判の是非はともあれ、核エネルギーが人類の制御下を離れたときに取り返しのつかないことになるのは、原子爆弾に限らずチェルノブイリの事故や福島の被災からも明らかである。

 「わかっていながらやめられない!」という愚かな記録を残すという意味で価値はあるだろう。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より創設(7分前)からソ連の崩壊により一番戻った1991年(17分前)を経て100秒前になった2020年~2022年までの推移を眺めてみたい。


年  終末時計  変化詳細   主な出来事
1947年 7分前       創設。
1949年 3分前   4分進む ソビエト連邦が核実験に成功。
               核兵器開発競争の始まり。
1953年 2分前   1分進む アメリカ合衆国とソ連が水爆実験に成功。
1960年 7分前   5分戻る アメリカとソ連の国交回復。
                パグウォッシュ会議の開催。
1963年 12分前   5分戻る アメリカとソ連が部分的核実験禁止条約に調印。
1968年 7分前   5分進む フランスと中華人民共和国が核実験に成功 。
                第三次中東戦争、ベトナム戦争、第二次印パ戦争の発生。
1969年 10分前   3分戻る  アメリカの上院が核拡散防止条約を批准。
1972年 12分前   2分戻る  米ソがSALT IとABM条約を締結。
1974年 9分前   3分進む  SALT Iに続く米ソの軍縮交渉難航、両国によるMIRVの配備。
                インドが最初の「平和的核爆発」に成功。
1980年 7分前   2分進む  米ソ間の交渉が停滞。国家主義的な地域紛争。
                 テロリストの脅威が増大する。
                 南北問題。イラン・イラク戦争。
1981年 4分前   3分進む   軍拡競争の時代へ。
                 アフガニスタン、ポーランド、南アフリカにおける人権抑圧が問題に。
1984年 3分前   1分進む   米ソ間の軍拡競争が激化。
1988年 6分前   3分戻る   米ソが中距離核戦力全廃条約を締結。
1990年 10分前   4分戻る   東欧の民主化。冷戦の終結。
                  湾岸戦争。
1991年 17分前   7分戻る   ソビエト連邦の崩壊。
                  ユーゴスラビア連邦解体。
1995年 14分前   3分進む   ソ連崩壊後もロシアに残る核兵器の不安。
1998年 9分前   5分進む   インドとパキスタンが相次いで核兵器の保有を宣言。
2002年 7分前   2分進む   前年にアメリカ同時多発テロが起こる。
                  アメリカがABM条約からの脱退を宣言。
                  テロリストによる大量破壊兵器使用の懸念が高まる。
2007年 5分前   2分進む   北朝鮮の核実験強行。
                  イランの核開発問題。
                  地球温暖化の更なる進行。
2010年 6分前   1分戻る    バラク・オバマ米大統領による核廃絶運動。
2012年 5分前   1分進む    核兵器拡散の危険性の増大。
                   福島第一原子力発電所事故を背景とした原子力の安全性への懸念。
2015年 3分前   2分進む    気候変動や核軍備競争のため。
2017年 2分30秒前 30秒進む    ドナルド・トランプ米大統領が核廃絶や気候変動対策に対して消極的な発言[6]。
2018年 2分前   30秒進む    北朝鮮が行っている核開発の影響による核戦争への懸念[7]。
2020年 1分40秒前 20秒進む    中距離核戦力全廃条約失効による核軍縮への不信感
                   アメリカとイラン、アメリカと北朝鮮の対立
                   宇宙・サイバー空間上などにおける軍拡競争の激化
                   気候変動に対する各国の関心の低さ
2021年 1分40秒前 変化なし     新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の歴史的な蔓延。
                    各国政府、国際機関が核兵器や気候変動という文明を終わらせる真の脅威に対応する準備ができず。
2022年 1分40秒前 変化なし     北朝鮮のミサイル発射やウクライナ情勢などによって世界の脅威が増加
                    核戦争や気候変動などの危険な課題に向けた準備が不十分
                    新型コロナウイルスのさらなる蔓延と度重なる変異株の出現
                    気候変動への目標が十分に達成されていない


 見ているとため息がでる。このウクライナ侵攻が長期化し泥沼化すると2023年の針はどうなるか? できるだけ早期に外交努力によって沈静化することを切に願う。

 国際社会から核爆弾、兵器がなくなり、核エネルギーよりも優れて安全な新エネルギーの発見がなされ、「昔は《世界終末時計》なんてものがあったのさ」と笑い話にできる日が来ることが目指すべき道。現実は逆行している。
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