素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

引き出しの増え方

2010年04月30日 | 日記
 今日、銀行に行ったら、おなじみになった窓口嬢から「大型連休どこかに行かれるのですか?」と尋ねられた。苦笑して「ニュースでは大型連休始まる!って言ってるけど、いつも超大型連休の身やからな」と答える。「じゃ家でゆっくりとですか?」「無理に出かけなくてもいいから、まあ行くとしても近場にちょろっとかな」「退屈しないですか?」「不思議なことに、次々興味あることが増えてくるんやね。銀行に預けてるお金も同じように増えたらいいんやけどね」「申し訳ございません」と微笑みながらそつのない答が返ってきた。

 1年前に比べて“自分の引き出し”の数は微増という感じがする。これは自分自身でも意外なことである。周囲では6ヵ月もすれば、することがなくなって、時間に縛られる生活に戻るだろうという観測が大方であったが、1年を過ぎても時間に縛られない生活を続けたいと思い続けている。

 先日、堺に出かけ古墳巡りをした。その時、仁徳天皇陵は上から見ない限り形や大きさはわからないだろうと思った。近くに1つだけ手ごろなマンションがあった。最上階の通路ならひょっとしたら陵墓が俯瞰できるかもと思い行ってみた。(昔からこういう思考と行動をよくするので、一人歩きが無難)当然のことだがセキュリティ万全のマンション、部外者が簡単に入れないシステムになっていた。「当然やな。」と納得して俯瞰することは断念して周遊路を一周した。帰路についた時、小さな観光案内所があり、立ち寄っていろいろな資料をもらうと、堺市役所に21F展望ロビーがあることを知る。もう一度堺を訪れ、“堺市役所とその西側を散策しよう”という引き出しができた。さらに、そこから出発している“竹内街道を當麻寺まで歩く”というのもできた。その時には、以前住吉大社まで歩いた時に興味を持った“阪堺電車で来よう”というアイデアも浮かんだ。

 TVの場合もある。先日の水曜日の「歴史秘話ヒストリア」では“陰陽師”にまつわるエピソードが3つ紹介された。その中で『2』の“京都・陰陽師紀行”にひかれた。昔の御所は現在の位置より西側にあったという話から旧御所の「鬼門」にあたる所にあるのが「晴明神社」。いかに平安時代の人々が「鬼門」の凶意をのぞくことに心をくだいていたかということが伝わってきた。放送後、『鬼門』をキーワードにして検索していると、平安京の鬼門の方向にあるのが比叡山延暦寺で裏鬼門の方向にあるのが八幡石清水八幡宮というように、今までバラバラにあったものが1本の線で結ばれ、新しい“引き出し”に入った。江戸城の場合は表鬼門が寛永寺で、裏鬼門が増上寺。

 さらに、不登校の生徒の家に家庭訪問した時に、駐車場をよく使わせてもらった「片埜神社」が豊臣秀吉によって大阪城の鬼門の方角にあることから鬼門鎮護の社とされたことを知り、“新しい目でもう一度行ってみよう”と引き出しができた。

 また、「平安京」を眺めていると、その前の、今一番ホットな「平城京」のことをもっとじっくり見てみないといけない。という思いも出てくる。こういう具合に1つのことがきっかっけに、バラバラにあったものがつながったり、深まったりして新たな興味ある対象に生まれ変わったりしていくのである。

 したがって、“引き出し”の数は減少せず、増加していくのである。
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第11回交野自然ふれあいウォークに同行してきました

2010年04月29日 | 日記
デジブック 『自然ふれあいウォーク』


 深夜から早朝にかけ、雷まじりの強い雨が降り中止かな?と思ったが、8時を過ぎるとぐんぐん天気は回復していき、開会式の始まる9時には絶好のウォーキング日和となった。3年前から参加しているがすべて6kmコース。今年は1ランクあげて12kmコース。広報「かたの」の取材も兼ねているので結構忙しく動く必要がある。もう1つ上の18kmコースはちょっと厳しいかなと考えた。

 歩くコースそのものは、普段歩いているおなじみの所ばかりだが、集団で歩くとまた違った景色に見える。小学生から75歳の方まで計155名の大所帯、引率するスタッフのみなさんは大変だったと思う。
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エネルギーの蓄積

2010年04月28日 | 日記
 ここ1週間、片付けを精力的にしている。去年の今ぐらいから約2ヶ月が第一波とすれば、第二波である。その間はいろいろな所に出かけた時の資料が無分別のまま溜まるだけで、雑然としていた。片付けたいという気持ちはあるが、体が動かないのである。不思議と1週間前から体が動き出したのである。

 最初にしたのが資料の整理。必要なものはファイルをして、必要でないものは捨てるという当たり前のことだが、捨てるというのには結構“心のエネルギー”が必要である。10年余り前に、高校の頃から書いていた日記をすべて学校の焼却炉で燃やしてしまったことがあった。あの時も大きな“心のエネルギー”が働いた。

 次に、本の仕分けである。第一波の時にかなり処分したので、多くはないが、新しく購入した数以上の本は処分しようと決めて選んでいった。今残っている本にはそれぞれ買った時の思い出がある。処分するというのはそれらを断ち切る行為なので資料以上に“心のエネルギー”が必要であった。

 今日は、可燃粗大の日だったのでレコードを処分した。本以上に愛着もあり、何度もためらう気持ちも出てきたが、「断ち切るべし」という“心のエネルギー”の強さで、思い出のレコードはもう部屋にはない。

 “心のエネルギー”の蓄積がないと体は動くことはできない。蓄積には一定期間必要である。というようなことは経験から実感しているのだが、地震や台風の発生と同じで、“心のエネルギー”が臨界点に達し、突き動かしてくる時を予測し、コントロールすることはできない。ある日突然起こるのである。 やっかいなものであるが、これからも付き合っていかなければならない。この第二波はいつまで続くことやら。
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雨あがる。

2010年04月27日 | 日記
 今22:10。新しく始まった番組の中で気に入っている『絶対零度』を見終わって2階に上がり「雨はどうかな?」とカーテンを開けるときれいな月が飛び込んで来た。夕方からの強風をともなった雨はいつのまにか止んでいたのだ。明日が満月。風はまだ残っていて、雲が月の前を次々と通り過ぎる。季節違いだが、百人一首にある

 秋風に たなびく雲の たえ間より もれいづる月の かげのさやけさ  を連想する。

 月のことはハプニングで、『チームバチスタ2』を捨てて(基本的には録画して後で見ることはしない)2階に上がったのは、昨日から少し考えていることを書き留めておきたかったのである。50歳代の新任さんの話の最後に少人数授業の話が少し話題になった。

 彼女の学校では算数に加えて、今年から国語も少人数が実施されるようになった。ということである。彼女にとって従来から持っていた“学級”という単位で学習する機会が減り違和感を感じるというのである。

 私が最後に勤務した中学でも、1年生で数学、2年生で英語を少人数授業でしていた。1年生の担任になった時、自分のクラスの生徒でありながら半数の生徒は授業で接することができないということを初めて経験した。

 体育の場合、男女別で授業があるので、男の担任であればクラスの女子については授業中の様子はわからない。よく半分しか授業で接していないからと言っていたが、その気持ちが33年目にして初めてわかった。生徒や保護者側の心理にも微妙なものが有り、非常に気を使った。

 少人数授業や個人選択授業の導入で、従来当たり前のように考えてきた“学級”を単位にした授業がなしくずしに崩されていって良いのだろうか?という疑問を持った。そのことを久しぶりに思い出したのである。 

 本棚から 柳 治男著『〈学級〉の歴史学~自明視された空間を疑う~』を取り出す。以前読み始めてそのままツン読になっていたものだ。最後までじっくり読みたくなった。「“学級”とは何か」を深く考える必要があるのではないか、そのことを抜きにして場当たり的な改革をした結果、現場に大きな混乱と戸惑いを与えたような気がする。

 “本書の目的”というページから抜粋する。 現代の学校について、これまで「子どもの自由を奪った」、「ゆとりがない」、「偏差値教育が原因だ」という議論や、逆に「今の教育は自由放任すぎる」、「道徳教育をしっかりやらないから子どもが荒れる」、「心の教育が不十分だ」などという、すぐに犯人や原因を求める議論が行なわれてきた。しかし、本書では、このような「悪い教育」を探し出す作業をするのではない。

 もっと広く、「そもそも学校とはどのような組織としてできあがったのか」を問うことを課題としている。なぜなら、自明視されてまったく問われることがなくなってしまった学級制が、どのように現代の学校の中に入り込んできたのかを明らかにする必要があるからである。この作業を通じて、学校にとっての学級制、さらには児童・生徒にとっての「学級」の意味を明らかにしたいのである。

 そのさい視野を学校のみに限定せずに、現代を特徴づける組織や営業形態とも比較しながら、検討を進めるのが有効である。今までの学校論は、あまりにも学校のみに視野を限定し、教育の世界で問題の犯人を探し、教育の世界で解決法を探るという方針に拘泥しすぎたのではないだろうか。むしろ、学校以外の、あるいは教育以外の人間の活動をも視野に入れながら、学校や「学級」という組織を考えた方が、問題をより客観的に理解できると思われる。

 「こんなクラス最低や」と言って、クラスに入ろうとしない生徒を目の前にしている時はとても悠長に考えている余裕はなかった。ただ、クラス分けに対する拒否の姿勢が一過性ではなく、1年間引き継ぎ続ける生徒が多くなったという思いを強くして退職した。このことも含め、本書を元にちょっと考えてみようと思いたった。

目次は、第1章 「学級」を疑う

    第2章 「クラス」の誕生と分業される教師

    第3章 義務教育制度の実現

    第4章 学校組織の矛盾

    第5章 日本の学校はいかに機能したか

    第6章 学校病理の解明

    終 章 変わる学級制ー共同体幻想からの脱却



 
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50歳代の新任のその後

2010年04月26日 | 日記
 新学期の立ち上げのあわただしさが少し落ち着くのがこの時期である。裏の現職の女先生も少しゆとりができたのか、夕方、お孫さんの遊び相手をしながら庭の草を引いていた。

 「50歳代の新任さん達、元気にしてますか?」『ハ~イ、元気ですよ』

 「担任してるのかな?」 『56歳の方が2年生、54歳の方が4年生の担任です』

 「もう孫に近いから、かえっていいかも」 『まだ始まったとこですからね。それよりも新任研の多さに大変みたい』

 「個々の学校の行事なんか考慮できないから」 『そうなんですよ、結構、行事のある、担任としてクラスを見たい時にあったりするんですよ』

 「そうそう、大事な時にクラスをほっておいて、研修でクラスづくりの大切さを聞いてたりする。」 『出張のフォローをする現場も大変なんですよ』

 「学校や学級が落ち着いていればいいけど、何か問題を抱えている時はむずかしいやろね」 『それに聞いてくださいよ、今年から、10年研にプラスして市独自に5年研も始めたんですよ』

 「じゃ、出張だらけやね」 『そうなんですよ、最近みんな黒い服着るでしょ。だから学校、黒い服だらけという感じです。』

 「大変だ」 『5年研では、月に3人の公開授業がノルマなんで、また、それを見に行く出張もあるんですよ』

 「授業力向上、学力向上のためにがんばっているつもりが、肝心の自分の授業が落ち着いてできないという皮肉なことにならなければいいのにね」 『ハ~イ がんばります』

 まだまだ、先は長い、機会があったらいろいろな人に話しを聞いてみようと思う。 
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