今日、銀行に行ったら、おなじみになった窓口嬢から「大型連休どこかに行かれるのですか?」と尋ねられた。苦笑して「ニュースでは大型連休始まる!って言ってるけど、いつも超大型連休の身やからな」と答える。「じゃ家でゆっくりとですか?」「無理に出かけなくてもいいから、まあ行くとしても近場にちょろっとかな」「退屈しないですか?」「不思議なことに、次々興味あることが増えてくるんやね。銀行に預けてるお金も同じように増えたらいいんやけどね」「申し訳ございません」と微笑みながらそつのない答が返ってきた。
1年前に比べて“自分の引き出し”の数は微増という感じがする。これは自分自身でも意外なことである。周囲では6ヵ月もすれば、することがなくなって、時間に縛られる生活に戻るだろうという観測が大方であったが、1年を過ぎても時間に縛られない生活を続けたいと思い続けている。
先日、堺に出かけ古墳巡りをした。その時、仁徳天皇陵は上から見ない限り形や大きさはわからないだろうと思った。近くに1つだけ手ごろなマンションがあった。最上階の通路ならひょっとしたら陵墓が俯瞰できるかもと思い行ってみた。(昔からこういう思考と行動をよくするので、一人歩きが無難)当然のことだがセキュリティ万全のマンション、部外者が簡単に入れないシステムになっていた。「当然やな。」と納得して俯瞰することは断念して周遊路を一周した。帰路についた時、小さな観光案内所があり、立ち寄っていろいろな資料をもらうと、堺市役所に21F展望ロビーがあることを知る。もう一度堺を訪れ、“堺市役所とその西側を散策しよう”という引き出しができた。さらに、そこから出発している“竹内街道を當麻寺まで歩く”というのもできた。その時には、以前住吉大社まで歩いた時に興味を持った“阪堺電車で来よう”というアイデアも浮かんだ。
TVの場合もある。先日の水曜日の「歴史秘話ヒストリア」では“陰陽師”にまつわるエピソードが3つ紹介された。その中で『2』の“京都・陰陽師紀行”にひかれた。昔の御所は現在の位置より西側にあったという話から旧御所の「鬼門」にあたる所にあるのが「晴明神社」。いかに平安時代の人々が「鬼門」の凶意をのぞくことに心をくだいていたかということが伝わってきた。放送後、『鬼門』をキーワードにして検索していると、平安京の鬼門の方向にあるのが比叡山延暦寺で裏鬼門の方向にあるのが八幡石清水八幡宮というように、今までバラバラにあったものが1本の線で結ばれ、新しい“引き出し”に入った。江戸城の場合は表鬼門が寛永寺で、裏鬼門が増上寺。
さらに、不登校の生徒の家に家庭訪問した時に、駐車場をよく使わせてもらった「片埜神社」が豊臣秀吉によって大阪城の鬼門の方角にあることから鬼門鎮護の社とされたことを知り、“新しい目でもう一度行ってみよう”と引き出しができた。
また、「平安京」を眺めていると、その前の、今一番ホットな「平城京」のことをもっとじっくり見てみないといけない。という思いも出てくる。こういう具合に1つのことがきっかっけに、バラバラにあったものがつながったり、深まったりして新たな興味ある対象に生まれ変わったりしていくのである。
したがって、“引き出し”の数は減少せず、増加していくのである。
1年前に比べて“自分の引き出し”の数は微増という感じがする。これは自分自身でも意外なことである。周囲では6ヵ月もすれば、することがなくなって、時間に縛られる生活に戻るだろうという観測が大方であったが、1年を過ぎても時間に縛られない生活を続けたいと思い続けている。
先日、堺に出かけ古墳巡りをした。その時、仁徳天皇陵は上から見ない限り形や大きさはわからないだろうと思った。近くに1つだけ手ごろなマンションがあった。最上階の通路ならひょっとしたら陵墓が俯瞰できるかもと思い行ってみた。(昔からこういう思考と行動をよくするので、一人歩きが無難)当然のことだがセキュリティ万全のマンション、部外者が簡単に入れないシステムになっていた。「当然やな。」と納得して俯瞰することは断念して周遊路を一周した。帰路についた時、小さな観光案内所があり、立ち寄っていろいろな資料をもらうと、堺市役所に21F展望ロビーがあることを知る。もう一度堺を訪れ、“堺市役所とその西側を散策しよう”という引き出しができた。さらに、そこから出発している“竹内街道を當麻寺まで歩く”というのもできた。その時には、以前住吉大社まで歩いた時に興味を持った“阪堺電車で来よう”というアイデアも浮かんだ。
TVの場合もある。先日の水曜日の「歴史秘話ヒストリア」では“陰陽師”にまつわるエピソードが3つ紹介された。その中で『2』の“京都・陰陽師紀行”にひかれた。昔の御所は現在の位置より西側にあったという話から旧御所の「鬼門」にあたる所にあるのが「晴明神社」。いかに平安時代の人々が「鬼門」の凶意をのぞくことに心をくだいていたかということが伝わってきた。放送後、『鬼門』をキーワードにして検索していると、平安京の鬼門の方向にあるのが比叡山延暦寺で裏鬼門の方向にあるのが八幡石清水八幡宮というように、今までバラバラにあったものが1本の線で結ばれ、新しい“引き出し”に入った。江戸城の場合は表鬼門が寛永寺で、裏鬼門が増上寺。
さらに、不登校の生徒の家に家庭訪問した時に、駐車場をよく使わせてもらった「片埜神社」が豊臣秀吉によって大阪城の鬼門の方角にあることから鬼門鎮護の社とされたことを知り、“新しい目でもう一度行ってみよう”と引き出しができた。
また、「平安京」を眺めていると、その前の、今一番ホットな「平城京」のことをもっとじっくり見てみないといけない。という思いも出てくる。こういう具合に1つのことがきっかっけに、バラバラにあったものがつながったり、深まったりして新たな興味ある対象に生まれ変わったりしていくのである。
したがって、“引き出し”の数は減少せず、増加していくのである。