素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

大晦日

2010年12月31日 | 日記
 天気予報では日本全国に雪マークがついていた。とはいっても案外大阪は降らないものだとたかをくくっていたらとんでもなかった。急いで外にある寒さに弱い鉢植えのものを室内に入れる作業となた。40鉢余りあるので結構大変である。一応、霜のあたらない所には置いておいたのだが横なぐりの雪ではいたしかたない。空いた場所に今度は“クンシラン”の鉢を15ほど移動する。

 午後になると雪もおさまってきた。1日中降るのかと覚悟しただけに拍子抜け。「運動不足やから歩いて買い物に行こう。」と声をかけられる。片道50分ほどの道のりだが鉢運びで筋力トレーニングしたからちょうどよい有酸素運動にいいかと一緒に出かける。以前であれば、正月は1週間近く店が閉まるので買いだめに大変であった。昨今は元旦から、遅くても2日には店が開くので気楽である。店のほうもいつもよりは少し混んでいる程度であった。黒門市場のようなところはどうかわからないが、身近な所では歳末のムンムンとした熱気は消えた。

 夜は紅白を聞きながら、1年間記録し続けた体重の月別平均を出してみた。体重は起床後と就寝前に測定していたが、起床後のものが目安になる。就寝前は、その日の過ごし方、特に夕食によって左右される。体重管理のポイントに“基礎代謝のアップ”がある。就寝中にどれくらい体重が減るのか?ということを目安にしている。そのためにも2つの体重測定が必要なのである。春、夏頃は500g~700gが多かったが、秋、冬には800g~1000gが多くなってきた。体重の月別平均の結果。

 1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月
 80.5 80.6  80.4 80.7  79.7  79.3 79.0  79.0  79.4  78.1  77.9  76.9

 年間で見ると3.6kgの減となり、目標どおりになった。あとは現状維持または1kgの減が今年の目標となる。

 “ゆく年くる年”は知恩院の鐘が主役。とてもなつかしく思った。煩悩多きままの年越しである。
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井沢式「日本史入門」講座⑤を読み終わる

2010年12月30日 | 日記
 歴史シリーズ完結である。今回のテーマは“朝幕併存と天皇教”である。鎌倉幕府成立時に、源頼朝は天皇家を根絶やしにしなかったのか。世界史の中では類をみない「朝幕併存」という支配体制の核心にせまっている。徳川幕府が大政奉還という形で武家政治に終止符を打ち、天皇を中心とする新体制で明治の時代は進んだ。その帰着が第二次世界大戦、太平洋戦争であったが、アメリカを中心とする連合国側は“象徴としての天皇”を残すことを決めた。

 大戦後の米ソの冷戦時代において、日本の地理的要因を分析し、スムーズに米国側の新体制に日本を組み込むためには必要であると判断したのだろう。そこには日本人のアイデンティティーへの深い洞察があったように思われる。先に読んだアフガニスタンの話でも米ソの対立に翻弄されたことが悲劇の最大の要因だが、もう一つにはアフガニスタンの国内での民族間の対立がおさまらず、内乱状態が続いたということも拍車をかけた。

 井沢さんは“国家権力=悪”ではないと言っている。 「もし国家権力がなかったら、みんなばらばらにそれぞれが好き勝手なことをして暮らすことになりますが、それは結局、けんかの強い者が勝つ弱肉強食の原始社会なのです。人類は昔から国家をつくってきました。国家は、“家”という字がついているように、ファミリーの発展形です。いろいろなファミリーが、それぞれ一つの法律なり思想、あるいは宗教のもとに団結して一つの組織をつくり、これを運営していく。その際、みんなが勝手なこと言ったら運営できないわけですから、国の最高権力者を決めることがどうしても必要になります。」

 それを戦争によって奪い取るという長い時代を経て、今の日本では選挙によって選ぶという時代になっている。近代国家と前近代国家を分ける目安に、“その国家に野党があるかどうか”である。個人であれ党であれ独裁という形態を持っている国は前近代国家である。アフガニスタン、イラク、フィリピンなどの国では選挙による最高権力者の選出にむけ血みどろの戦いがなされていると思う。

 日本も60年余り経て、ようやく本格的な政権交替ということを経験した。この1年の混迷は政治家も国民も不慣れからきていることもある。歴史入門を読んでいて、長い時間をかけてそれぞれの民族は自分たちにあった体制を試行錯誤しながらつくってきたし、これからも作り続けるのだと強く思った。

 レシャード・カレッドさんは本の中で、オバマ政権の米軍増派はさらに事態を悪化させると懸念している。

 アフガニスタンでは、武力のみで解決できないことも多く、そのような時には、民族や部族の長老が集まって協議で治安や紛争を解決することも古くから習慣として行なわれてきました。最新の武器に頼らず、古来の知恵を活かすことも忘れてはならないと思います。私自身、この難題の解決方法は暴力ではなく、対話以外にはないと、かねてから訴えてきました。
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歌三昧の夜

2010年12月29日 | 日記
昨夜、娘の仕事が終わるのが遅かったため「おかあちゃんと一緒にイルミネーションを見る」という約束が果たせなかったので、娘と孫はもう一晩泊まり、夕方“山ナリエ”を見てから満足して帰った。大人だけの生活にもどると一息つくことができる。

 18:30~21:00は「レコード大賞前夜祭」その後はBSで「今夜よみがえる!夢の紅白、名歌手たち、名勝負・名対決」を23:30までとなつかしい歌漬けになった。歌っている年が出ると、私が17歳の時だとか就職した頃やなとか頭の中で自分を基準に換算してしまう。ボケ防止にはいいかもしれない。やはり1976年~1985年の約10年間が子育てなどで生活に余裕がなかったため歌に関しては空白の時代であった。

 “歌は世につれ世は歌につれ”と言われるが、その通りやなと思いながらいつになく浮かれている自分がいた。3日間孫のペースで過ごした反動かもしれない。

小沢さんも海老蔵さんも会見を開き、年内にひとまずゴタゴタを整頓しておこうということかな。小沢さんをめぐる動きは不可解で与野党もっと違う方向をみつめて議論してほしいと思う。しかし、私が思っているより小沢さんの影響は陰ではあるのかなとも思うが、騒ぐことで主役になっている気がする。この際、司法にまかせて小沢無視で未来に向かうというのはダメなのか?

 海老蔵さんの問題は落ち着くところにおさまったかなと思う。2つの記者会見を見て、役者としての魅力があると思った。酒癖の悪い人とも多々お付き合いしてきたが、どういう心理状態なのか私にはわからない。ひょっとして幸せな人?と思ったりもする。

 

 
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レシャード・カレッド著「知ってほしいアフガニスタン~戦禍はなぜ止まないか~」

2010年12月28日 | 日記
 マラソンとヨットで世界一周をする“アースマラソン”に挑戦中のタレント間寛平さんが27日にユーラシア大陸を走破して、目的地の中国山東省青島市の青島五輪セーリングセンターに到着したことが報じられていた。ちょうど昨日の深夜に中国に入った間さんを訪問インタビューした様子が放映されていた。

 最後に旅を振り返って思うこと。という問いに1つは『地球はでっかい』という答え。もう1つが『世界のどこに行っても子どもはかわいい。キラキラした目をしている。なのにいつから戦争で人を殺すようになってしまうのか』という答え。サラエボを始めたくさんの紛争や戦争で荒廃した所を目の当たりにしてきた率直な思いであった。

 今日、「知ってほしいアフガニスタン~戦禍はなぜ止まないか~」を読み終えたが、何ともいえない悲しさは「戦争はだめや、平和やないと」と何度もつぶやいた寛平さんと相通じるものがある。著者のレシャード・カレッドさんは1950年にアフガニスタンのカンダハールに生まれ、1969年4月に千葉大学留学生部を経て京都大学医学部へ進み、語学の大きな壁を乗り越え、三度目のチャレンジで国家試験に合格した。結核胸部疾患を専門とし、呼吸器科の勤務医として各地の病院で献身的な医療活動をされた後静岡県島田市で医院を開設し地域医療の充実に奔走するかたわら祖国アフガニスタンの復興支援のためにNGO「カレーズの会」を設立し、現地に診療所と学校を建設し医療・教育の面で支援を続けている。

 本は 第Ⅰ章 日本で医師として生きる
     第Ⅱ章 アフガニスタンが歩んだ道
     第Ⅲ章 「カレーズの会」八年間の歩み
     第Ⅳ章 アフガニスタン人は何を望んでいるか 
の4つからなっている。理不尽なできごとに対しても冷静に、論理的に、暖かい心で書かれている。1979年のソ連軍によるアフガニスタン侵攻(1980年のモスクワオリンピックボイコットにつながる)から始まり、30年間複雑な要素がからまいあいながら戦乱状態が続き、国土は破壊されつくしている。そのあたりの動きについては無知であったが、この本のおかげでぼんやりとではあるが見えてきたものがある。
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『山ナリエ』も峠を越す

2010年12月27日 | 日記
 今年の『山ナリエ』関西ウォーカーやテレビ、新聞などでとりあげられたこともあって、見に来る人が急増した。かなり広い広場を駐車場にしていたが、ピーク時には満杯。あふれた車が200mほど列をなし一般の車の走行に支障をきたし、京阪バスからは抗議が寄せられパニック状態におちいった。

 今さらながら、マスコミの影響の強さを思い知った。遠い所では神戸の方からわざわざ来たという人もいて、「こちらからはルミナエリに出かけ、そちらからは山ナリエですか」と大笑いである。来る人が広範囲になると、どうしても観光気分にもなりマナーの悪い人も増える。24日のクリスマスイブからは、駐車場も閉鎖し、庭を開放されていた2軒の家もロープを張って、進入禁止の処置をとった。クリスマスが過ぎて平日となった今日、やっと本来の落ち着きを取り戻し、駐車場も開放され、“ウルトラマンの館”と呼んでいる家も開放された。

 孫が来ると必ず行く家なので、ヤレヤレであった。いつものようにたくさん集められた人形を見て満足していた。自治会の夜回りも今日で終わり。1時間弱かけて町内を拍子木をたたきながら「戸締り用心、火の用心」と言いながら周って来た。結構いい運動になる。だんだん年末気分になってきた。

 それにつけても紅白歌合戦は宣伝のし過ぎ。年々ひどくなってくる。舞台裏を余り見せられると興ざめになる。
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