素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

4年に1度の29日、政倫審も吹っ飛ぶ大谷SNS

2024年02月29日 | 日記
大谷選手がSNSで日本人女性と結婚したことを発表したのを私が知ったのは、NHKの「ニュースLIVE・ゆう5じ」の中、ニュースのトップで報じられたみたいだが、その時はまだスイッチを入れていなかった。「産地めし!」のコーナーで大分・姫島村からの中継で、主役のさくら鯛を紹介する中で、現地リポーターの「大谷翔平さんの結婚に合わせたみたいな立派な鯛・・・」という声に「エッ!結婚?確かに結婚と言ったよな」と近くにいた妻に確認した。「聞き間違いと違う?」と言うのでスマホでニュースを見ると大騒ぎになっていた。
  その後、民放に切り替えると大谷選手の結婚報道ばかりであった。29歳の大谷選手が結婚することは不思議でもないので「羽生結弦さんの時の二の舞にならなければいいのにな」程度しか思わなかった。「人の恋路に大騒ぎすることはない。」というのが基本。

 20時過ぎに帰ってきた息子も開口一番「大谷さんばっかりやったな」とあきれていた。公開、非公開でぐずぐずしていた衆院政治倫理審査会、岸田首相が現職首相として初めて出席、しかも公開という捨て身の策で全員の公開での開催にこぎ着けた初日の様子は霞んでしまった。

 「ニュースウオッチ9」のトップはどちらになるかという話になった。私は「当然衆院政治倫理審査会だろう」と言ったが、息子は「大谷君と違うか?」ときた。「一応NHKのニュース番組でも重き存在の「ニュースウオッチ9」のトップは国政の「政倫審」だろう。大谷君のことはSNSでの発表以後たくさん報道されていて二番煎じ、三番煎じをトップにするはずがない。」と自信満々に返した。

 結果は息子に軍配。「NHKも落ちたものよ」は私の負け惜しみ。見ても仕方ないというのは二人の一致したところで即スイッチを切った。明日の旧安倍派幹部4人の政治倫理審査会も影が薄くなるだろう。

 2024年の2月29日は思いがけないニュースで盛り上がった。
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ミモザ

2024年02月28日 | 日記
 大階段を下りていくと黄色い花が目に入った。1週間前には気付かなかったので少々驚いた。年々大きくなっていき春を告げるものとしての存在感が増している木である。
 

 ミモザとは、マメ科アカシア属の植物の俗称で、本来「ミモザ(mimosa)」というのはオジギソウの学名。アカシアの葉や花の形がオジギソウに似ていることから誤用された。今では、ミモザというと一般的にはギンヨウアカシアを指す。


ミモザの花粉にはアレルギー症状を引き起こす可能性があるといわれている。びっしりと密集した小さな黄色い花をみているとあって不思議ではないと思ってしまう。

 ミモザは春を告げる花としてヨーロッパでは大変人気があり、主要な産地のフランスのニースの西側にある海沿いの街モンドリューラナープルでは1931年から毎年2月にミモザ祭りが開かれている。という。春を待つ心はどこでも同じ。
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昨夜見た夢を考える

2024年02月27日 | 日記
 ジムなどで強めの筋トレ、有酸素運動をやった日には、なぜか嫌な夢を見ることが多い。一番多いのは定期テストが迫っているのに試験範囲まで授業が進まず、おまけにテスト問題も作成できないというもの。夢なので展開は支離滅裂なのだが焦る気持ちに圧迫されて目が覚める。2番目が試験後の採点が進まず、成績を出す期限に間に合わないというもの。現役中にプレッシャーのかかっていたことがいまだに夢の中で追いかけて来るという感じである。

 寝屋川エンジョイマラソンを走り、今日はジムで普段と変わらないメニューをこなしたので全身の筋肉の張りを強く感じて床に就いた。やはりいつも通り苦しい夢を見た。あれこれとオムニバス形式で事が進んで行ったが、最後に卒業式シーンとなった。私はなぜか卒業生の入場に合わせて一人一人の名前を読み上げる役だった。実際は担任が読み上げるのが普通だが、そこは夢。私が全員を読み上げるのである。しかも、彼ら、彼女らとはなじみの薄い設定で、読み間違い、読み飛ばしなど悪戦苦闘の連続というもの。保護者、同僚、生徒からの冷たい視線に「よく知らない人間の名前を読み上げるなんて無茶なことをさせるな!俺は人間だ!機械じゃないぞ!」と開き直ったところで目が覚めた。

 「あの夢は一体何だったのだ?」と考えてしまった。

 眠っている時、夢がどんな仕組みで現れるのかは全く分からないが、私は自分自身への警告だと受けとめている。するべきことを先送りにするなまけ心が私にはある。現実の生活で失敗しないために、夢という仮想空間の中でなまけ心がもたらした切羽詰まった状況を体験するのだと考えている

 しかし、今回の夢は少し趣きが違った。おそらく、生成AIの登場で、人間にとっての「言葉」の問題がクローズアップされてきたことに起因しているのかもしれない。日常生活の必需品であり、知性や芸術の源である「言葉」は人類の長い歴史の中で生まれ、発展してきた。特に、漢字、カタカナ、ひらがな、アルファベットなど多様な文字を取り入れ独特の言語世界を形成している日本で生まれ育った私にとって「言葉」の問題については関心が高くなっている。

 作日の毎日新聞朝刊の【メディアの風景】に武田徹さんが「東京都同情塔」と生成AI 対話装う独り言の氾濫というタイトルで寄稿されていた。

 第170回芥川賞を受賞した九段理江氏の「東京都同情塔」を読んだ。コミュニケーション「できる」ことと、言葉の意味が「わかる」ことが懸け離れつつある状況への違和感が表明されている作品だと思った。

 主人公の女性建築家は使い慣れて意味がよくわかる言葉を、意味不明な外来語や和製英語に言い換えてしまう傾向を嫌う。高層の刑務所「シンパシータワートーキョー」を設計中の彼女はカタカナ語の氾濫の中で、それを断固として「東京都同情塔」と呼ぼうとする。

 そんな彼女の前に登場する、意味がわからないままコミュニケーションができてしまう“真打ち”が生成AIだ。彼女が差別的な言葉で挑発的に問いかけてもAIは礼儀正しく応答し、差別的表現が好ましくない理由まで説明してくれる。

 だが、著者が書くようにAIは「人間が『差別』という語を使いこなすようになるまでに、どこの誰がどのような種類の苦痛を味わってきたかについて関心を払わない」。生成AIは過去の言葉遣いを集めた大規模なデータベースを用いて、問いに対して出現率の高い、無難な答えを演算して示すプログラムにすぎない。
】という書き出しにハッとすることがあった。

 AIによるニュースの読み上げ、岸田首相の答弁などを聞いている時に感じる違和感に通じるものがあった。端的に言えば、「自分の身体を通しての言葉ではない。」ということかな。

 卒業証書授与の時の名前の読み上げをAI音声ですれば正確で間違うことはない。しかし、そこには入学以来いろいろなことを経て卒業に至るまでの個々の生徒の歩みは抜け落ちている。担任がその生徒の名を読み上げる時は、万感の思いが込められている。その違いは大勢の人には分からないかもしれないが、身近に関係してきた人には伝わるのである。苗字と名前の間に2秒の間が出来た時、その2秒は1年間なり3年間の歩みが凝縮されされたものであり、読み上げられた名前に重みを与える。

 そういうことを考えていたことが夢につながったのかと思った。武田さんの【経験から遊離した言葉を独り歩きさせない姿勢には、生成AIの社会的受容法を考えるヒントも含まれているのではないか。】という締めを頭に入れて「言葉」の問題を考えていかねばと思っている。



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万事休す

2024年02月26日 | 日記
 昨日の「余録」は、1924(大正13)年2月25日に創設された東京の落語協会が100年を迎えたことにちなんだ話。そこで枕に使われたのが元は上方落語の演目でのちに東京に移されたいう説のある演目「百年目」。百年目には「おしまいの時」「運のつき」のような意味合いがある。時代劇の敵討ちの相手に放つセリフ『ここで会ったが百年目』には、「ここで拙者に会うとは貴様の運も尽きたようだな。観念しろ」という意味になる。敵を取られる方からすれば「万事休す」である。

 「余録」の本題は別の事にあったが、私は「万事休す」を見て「エッ!」と声を上げた。今の今まで「休す」の部分を「窮す」と思い込んでいたからだ。「窮」の字は困窮、貧窮、窮屈、窮状など「ゆきづまる、困る」という意味合いがあり、「すべてがゆきづまった」=「万事窮す」という具合に頭の中でなっていた。

 明鏡国語辞典で調べてみると当然だが「万事休す」であった。「もはや施す手段がない」とあり「休す」は【停止する・おしまいになるの意】と補足されていた。救いは注意として「きゅうす」を「窮す」「急す」と書くのは誤り。とあったこと。良く間違うということだ。でも間違いは間違い。すぐに修正しておこう。

 これまで漢字の勘違いは度々あったが、まだ尽きることがない。

「百年目」というオチは?

古来まれな、百年の長寿を保ったとしても、結局最後には死を免れないところから、究極の、もうどうにも逃れようもない命の瀬戸際をいう。「ここで逢ったが百年目」というのは、「百年に一度の奇跡」と解しがちだが、実は「(おまえにとっての)百年目で、もう逃れられない」という意味。旦那様に醜態をみられた番頭の絶望観を表す言葉として、このオチは見事に効いている。
圓生 百年目


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寝屋川エンジョイマラソン・2024 無事完走

2024年02月25日 | 日記
 予報は外れなかった。昨夜、寝床に着くと雨とともに風が雨戸をたたく音に雨中の走りを覚悟した。ただ、起きてみると風もおさまり雨足も弱くなっていた。寒さの方も思っていたよりましでこれなら何とかなるだろうと少しホッとした。

 ギリギリまで家で粘って自転車で会場に着いたのは8時45分。ハーフマラソンから10kmのエンジョイマラソンに規模が縮小されたせいか参加者の数も減った。スタート地点から走力によってA、B、Cと区分されて整列するのだが、ギリギリに行ったためCゾーンの最後尾になったが以前のようにスタート地点までに数分要するようなことはなかった。スタートした時は雨もやみラッキーだった。

スタート直後からの坂道の往復は事前に2度走っているので気分的には楽であったが、私のペースでは他の人達とはどんどん離れていって、スタート地点付近に戻ってきた時には「独走」モード。「普段の外ランと同じやな」と思いつつ打上治水公園を目指した。治水公園の手前付近で公園を周回してきたランナーたちとすれ違い大会気分が戻った。

 公園の周回コースに入ると再び「独走」モード。公園出口の約6.4km地点が関門となっていて10時までに通過しなければいけない。後は制限時間との闘いである。関門は9時50分過ぎに通過できたので後はペースを崩さずにゴールを目指す。ゴールまでに1つだけ想定外の坂の往復があり、これは少々精神的にきつかった。この時、一人のご婦人が私を抜いて前に出てくれたおかげで「独走」モードが解除され、後からくっついてゴール前の3つの上り坂を走り切ることができた。感謝感謝であった。ラスト約300mは下り坂。自転車旅の火野正平さんが「人生下り坂最高!」と叫んだ気持ちが良くわかった。とにもかくにも今ある自分の力通りのタイムで完走できた。次は2ヶ月後の交野マラソンである。

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