宮間俊樹さんの「芭蕉の道」紀行も前半の大きな山場「松島」に到着した。
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。・・・」で始まる「おくの細道」。みちのくへの旅立ちを前にしての高揚した気持ちを綴っているが、その最後に「・・・、取るもの手につかず、ももひきの破れをつづり、笠の緒付けかへて、三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかかりて、住めるかたは人に譲り、杉風が別墅に移るに、
草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家
表八句を庵の柱に掛け置く。」とあるように松島は、訪ねたいと思った第一の場所だったに違いない。みちのくの歌枕を訪ねての旅は失望することが多かったみたいだ。
「昔よりよみ置ける歌枕多く語り伝ふといへども、山崩れ、川流れて、道改まり、石は埋もれて土に隠れ、木は老いて若木に代はえば、時移り、代変じて、その跡たしかならぬことのみを、ここに至りて疑ひなき千歳のかたみ、今眼前に古人の心を閲す。行脚の一徳、存命の喜び、羇旅の労を忘れて、涙も落つるばかりなり。」
歌人が想像力でつくった名所という側面もあり致し方ないとも思う。そういう芭蕉にとって塩竃から船に乗ってたどり着いた松島は期待以上の絶景だったことが「おくの細道」の文章から伝わってくる。松島を初めて訪れた宮間俊樹さんも芭蕉の高揚感が納得できたみたいだ。
私が今回の紀行文の中で、「オッ!」と心が動いたのが次の箇所、
「遊覧船が松島湾観光船発着場に着いた。松島は日本三景の一つで、有名な観光地だが、私自身は松島に来たのは初めて。伊勢志摩国立公園内で生まれ育ったからなのか、日本三景の中でもリアス式海岸など似通ったところが多い松島にはライバル心を抱いてきた。しかし、多くの観光客でにぎわっているのを見ると「さすが日本三景だ」と認めざるを得ない。」
宮間さんも私と同じように英虞湾のリアス式海岸を見て育ち、私と同じような思いを持っていたのだと親近感を覚えた。途端に宮間さんのことを知りたくなり検索してみた。
「2006年10月入社。奈良支局、大阪本社写真部を経て12年10月から東京本社写真部。出身地は三重県。生まれ育った伊勢志摩地方は県内でもサッカーの盛んな四日市や伊賀地方とは違い、プロ野球で戦前に活躍した沢村栄治投手、西村幸生投手らの故郷でもあり野球が盛んだった。物心がつき自然と手にしていたのが野球ボールにバット、グラブ。サッカーの本格的なプレー経験はなく、サッカーの取材経験も4年目とW杯の取材者としては青二才。現在はサッカーの街「浦和」に居を構えて、4歳の長男のお気に入りの公園の一つが「埼玉スタジアム」と、サッカーが周りにあふれる生活を送っている。」
高校で初めてサッカーという競技に触れたことは以前書いたことがある。宮間さんとはずい分年代は違うが、伊勢志摩地方はサッカー後進地域には変わりがないと苦笑いしてしまった。
「芭蕉の道」の紀行がますます楽しみになってきた。
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。・・・」で始まる「おくの細道」。みちのくへの旅立ちを前にしての高揚した気持ちを綴っているが、その最後に「・・・、取るもの手につかず、ももひきの破れをつづり、笠の緒付けかへて、三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかかりて、住めるかたは人に譲り、杉風が別墅に移るに、
草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家
表八句を庵の柱に掛け置く。」とあるように松島は、訪ねたいと思った第一の場所だったに違いない。みちのくの歌枕を訪ねての旅は失望することが多かったみたいだ。
「昔よりよみ置ける歌枕多く語り伝ふといへども、山崩れ、川流れて、道改まり、石は埋もれて土に隠れ、木は老いて若木に代はえば、時移り、代変じて、その跡たしかならぬことのみを、ここに至りて疑ひなき千歳のかたみ、今眼前に古人の心を閲す。行脚の一徳、存命の喜び、羇旅の労を忘れて、涙も落つるばかりなり。」
歌人が想像力でつくった名所という側面もあり致し方ないとも思う。そういう芭蕉にとって塩竃から船に乗ってたどり着いた松島は期待以上の絶景だったことが「おくの細道」の文章から伝わってくる。松島を初めて訪れた宮間俊樹さんも芭蕉の高揚感が納得できたみたいだ。
私が今回の紀行文の中で、「オッ!」と心が動いたのが次の箇所、
「遊覧船が松島湾観光船発着場に着いた。松島は日本三景の一つで、有名な観光地だが、私自身は松島に来たのは初めて。伊勢志摩国立公園内で生まれ育ったからなのか、日本三景の中でもリアス式海岸など似通ったところが多い松島にはライバル心を抱いてきた。しかし、多くの観光客でにぎわっているのを見ると「さすが日本三景だ」と認めざるを得ない。」
宮間さんも私と同じように英虞湾のリアス式海岸を見て育ち、私と同じような思いを持っていたのだと親近感を覚えた。途端に宮間さんのことを知りたくなり検索してみた。
「2006年10月入社。奈良支局、大阪本社写真部を経て12年10月から東京本社写真部。出身地は三重県。生まれ育った伊勢志摩地方は県内でもサッカーの盛んな四日市や伊賀地方とは違い、プロ野球で戦前に活躍した沢村栄治投手、西村幸生投手らの故郷でもあり野球が盛んだった。物心がつき自然と手にしていたのが野球ボールにバット、グラブ。サッカーの本格的なプレー経験はなく、サッカーの取材経験も4年目とW杯の取材者としては青二才。現在はサッカーの街「浦和」に居を構えて、4歳の長男のお気に入りの公園の一つが「埼玉スタジアム」と、サッカーが周りにあふれる生活を送っている。」
高校で初めてサッカーという競技に触れたことは以前書いたことがある。宮間さんとはずい分年代は違うが、伊勢志摩地方はサッカー後進地域には変わりがないと苦笑いしてしまった。
「芭蕉の道」の紀行がますます楽しみになってきた。