素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「芭蕉の道」⑨松島

2022年07月31日 | 日記
 宮間俊樹さんの「芭蕉の道」紀行も前半の大きな山場「松島」に到着した。

「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。・・・」で始まる「おくの細道」。みちのくへの旅立ちを前にしての高揚した気持ちを綴っているが、その最後に「・・・、取るもの手につかず、ももひきの破れをつづり、笠の緒付けかへて、三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかかりて、住めるかたは人に譲り、杉風が別墅に移るに、
 草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家
表八句を庵の柱に掛け置く。」
とあるように松島は、訪ねたいと思った第一の場所だったに違いない。みちのくの歌枕を訪ねての旅は失望することが多かったみたいだ。

 「昔よりよみ置ける歌枕多く語り伝ふといへども、山崩れ、川流れて、道改まり、石は埋もれて土に隠れ、木は老いて若木に代はえば、時移り、代変じて、その跡たしかならぬことのみを、ここに至りて疑ひなき千歳のかたみ、今眼前に古人の心を閲す。行脚の一徳、存命の喜び、羇旅の労を忘れて、涙も落つるばかりなり。」

 歌人が想像力でつくった名所という側面もあり致し方ないとも思う。そういう芭蕉にとって塩竃から船に乗ってたどり着いた松島は期待以上の絶景だったことが「おくの細道」の文章から伝わってくる。松島を初めて訪れた宮間俊樹さんも芭蕉の高揚感が納得できたみたいだ。

 私が今回の紀行文の中で、「オッ!」と心が動いたのが次の箇所、
 「遊覧船が松島湾観光船発着場に着いた。松島は日本三景の一つで、有名な観光地だが、私自身は松島に来たのは初めて。伊勢志摩国立公園内で生まれ育ったからなのか、日本三景の中でもリアス式海岸など似通ったところが多い松島にはライバル心を抱いてきた。しかし、多くの観光客でにぎわっているのを見ると「さすが日本三景だ」と認めざるを得ない。」

 宮間さんも私と同じように英虞湾のリアス式海岸を見て育ち、私と同じような思いを持っていたのだと親近感を覚えた。途端に宮間さんのことを知りたくなり検索してみた。

 「2006年10月入社。奈良支局、大阪本社写真部を経て12年10月から東京本社写真部。出身地は三重県。生まれ育った伊勢志摩地方は県内でもサッカーの盛んな四日市や伊賀地方とは違い、プロ野球で戦前に活躍した沢村栄治投手、西村幸生投手らの故郷でもあり野球が盛んだった。物心がつき自然と手にしていたのが野球ボールにバット、グラブ。サッカーの本格的なプレー経験はなく、サッカーの取材経験も4年目とW杯の取材者としては青二才。現在はサッカーの街「浦和」に居を構えて、4歳の長男のお気に入りの公園の一つが「埼玉スタジアム」と、サッカーが周りにあふれる生活を送っている。」

 高校で初めてサッカーという競技に触れたことは以前書いたことがある。宮間さんとはずい分年代は違うが、伊勢志摩地方はサッカー後進地域には変わりがないと苦笑いしてしまった。

 「芭蕉の道」の紀行がますます楽しみになってきた。
 

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天の川七夕まつり

2022年07月30日 | 日記
 今日は、50年近く付き合いのあるHonda Cars 北河内の夏のフェアの開催日である。元々は倉治で三光ホンダという名前で開業したが、堅実な営業が実り、今は4つの店を持っている。フェアの案内のDMは私、妻、息子に届いた。見ると来場記念品が星田店では花火、倉治店では素麵、U-Select交野ではボトル飲料と異なる。そこでジムも休みなので運動がてら自転車で3つを回ることにした。

 猛暑日になると予想されたので、9時過ぎに出発した。10時開店なので時間つぶしに今日の15時30分から行なわれる「天の川七夕まつり」の準備の様子を見ようと思った。私市水辺プラザ周辺では多くの地域の人が準備に余念がなかった。遊歩道に沿って大笹飾りや行燈、キャンドルグラスランタンなどはすでに設置が終わっていた。
  
多くの人が集中していたのが、天の川の岸辺に飾るグラスランタンの地上絵の完成である。原画をもとにグラスランタンを並べていく根気のいる仕事だ。点灯式の19:00まで時間と暑さとの戦いである。

 
【交野市市制施行50周年記念/天の川七夕まつり】第一弾「七夕の里・交野の今と昔」


 自転車での営業店巡りは快適だった。各店で少しおしゃべりをして体を冷やしての移動であった。この夏のフェアも2年間はできず、今回も準備段階では予想しなかった急激な感染拡大で、するべきかどうかを迷ったと言っていた。ただ、半導体不足のよる生産台数の削減は続いており販売店側にとっては苦戦が続いているとのこと。フェアを取り止めっるとますます士気が下がってしまうので開催に踏み切ったという。

 最後のU-Select 交野店を出たら雲行きが怪しくなってきた。青空がどんどん分厚い雲で覆われてきたのだ。うかつにも布団を干したままで出かけてきた。局地的などしゃ降りになったら大事である。フルスピードで家を目指した。火事場の馬鹿力である。家の着いたとたん汗が吹き出した。天気の方は崩れることなく雲の間から日が射してきた。

 すぐに水シャワーをして体を冷やした。天気の神に遊ばれた気分であった。いい運動になったと感謝すべきか?
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ジムは4日連続の休館日

2022年07月29日 | 日記
 今日から8月1日(月)までの4日間はジムは休館となる。駆け込み需要ではないが、昨日はいつもより多くの人が来ていた。休み前にしっかり運動をしておこうという思いからだろう。私もそうである。家ではできない器具を使ってのトレーニングを重点的に行なった。

 猛暑が続く中、ジムで半日ほど過ごすことができるのはありがたい。家にいても9時をを過ぎると外での仕事はきつくなる。室内でも場所によっては外より暑さがこもり熱中症の危険度がアップする。

 今日は、保育園のお迎えを急に頼まれたので夕方から夜にかけては退屈しないで済んだ。いつもより新聞をていねいに読むのも休館日のおかげ?
論説委員の小倉孝保さんの【金言】が興味深かった。

 タイトルは「シェークスピアの信仰』である。橋爪大三郎さんや小室直樹さんの本をたよりに自分なりに宗教について勉強中の私にとって考えさせられる内容だった。

 元々はカトリック教会の一部であった英国国教会が、16世紀のイングランド国王ヘンリー8世から女王エリザベス1世の時代にかけてローマ教皇庁から離別し、1534年に独立した教会となった。

 そのそもそもの発端は、ヘンリー8世の離婚問題がこじれたことにあった。という。キャサリン・オブ・アラゴンを離婚しようとしたヘンリー8世が、教皇に婚姻の無効を宣言するよう求めたにもかかわらず、教皇クレメンス7世がこれを却下したことが引き金となった。しかしこれは単なる離婚問題というより、キャサリンの甥にあたる神聖ローマ皇帝カール5世の思惑なども絡んだ複雑な政治問題であった。とも言われている。

 女王エリザベスⅠ世は1559年、カトリック信仰を禁じ国教会の礼拝を欠席する者に罰金を科した。1564年に生まれたシェークスピアが5歳の時だった。シェークスピアの信仰については自身も語らず確たるものはないが、最近では「カトリック教徒だった」という見方が強い。それが露呈して危害を加えられるリスクを避けるため、40代の若さで「引退」したという説もあるそうだ。

 1616年にシェークスピアは亡くなったが、カトリック解放に待望久しかった市民的諸権利の回復を保障し、16世紀以来非合法化されてきたカトリック教会の再建が可能となったのは、彼の死後200年余り経った1829年のカトリック教解放法の成立後だった。

 現職首相でカトリック信者であることを公言したのは、近々辞任するジョンソン氏が初めてだそうだ。辞任を表明した後次期首相に名乗りをあげたスナク前財務相はヒンズー教徒、ブレイバーマン法務長官は仏教徒、ベーデノック下院議員とトゥゲンハート下院外交委員長はともに、カトリック信者というように第二次世界大戦後、旧植民地から大量の移民を受け入れ多様化した社会の姿が政治指導者選びに反映されていると小倉さんは指摘する。そしてコラムを次のように締めくくっている。

 「多様性は社会を強くする。シェークスピアも今なら、信仰を堂々と語り、より多くの名作を残していたかもしれない」

 このコラムのおかげで、ジム休館日の1日目の午後、イギリスの独自の宗教改革について色々と調べて学ぶことができた。そして改めて「宗教」がわからないと世界の動きは理解できないと思った。
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「芭蕉の道」も第8回、仙台までやって来た

2022年07月28日 | 日記
 毎週日曜日に掲載される写真家宮間俊樹さんの「芭蕉の道」も8回目で仙台までやって来た。宮間さんの紀行文を読みながら日本大地図と照らし合わせ、角川ソフィア文庫の「おくのほそ道」を読み進めるという形が出来てきた。
  20年以上使われずに引き出しの隅に追いやられていたライト付きの拡大鏡がとても役に立つ。

 長谷川櫂さんは「おくのほそ道」の前半は「歌枕」を訪ねて心の世界を展開するということが主眼だったと記している。王朝時代、和歌を詠むための題材として選ばれた名所である歌枕がみちのくには数多くあった。ただそれらは王朝時代の歌人たちが現実に見たものではなく想像力で作り上げた名所である。和歌を通して心の中で築き上げられてきた架空の名所を巡ることで芭蕉は何かをつかもうとしていたのではないか。と長谷川さんは考えている。

 今回の宮間さんの紀行もその「歌枕」を求めてのものだった。岩沼市の「武隈の松(二木の松)」宮間さんが見たのは植え継がれての7代目の松。芭蕉の見たのは5代目らしい。ここで、角川ソフィア文庫で原文を味わう。

 武隈の松(たけくまのまつ)
岩沼に宿る。
武隈の松にこそ目さむる心地はすれ。
根は土際より二木に分かれて、昔の姿失はずと知らる。
まづ能因法師思ひ出づ。
往昔、陸奥守にて下りし人、この木を伐りて名取川の橋杭にせられたることなどあればにや、「松はこのたび跡もなし」とはよみたり。
代々、あるは伐り、あるいは植ゑ継ぎなどせしと聞くに、今はた千歳の形整ひて、めでたき松の気色になん侍りし。
  武隈の 松見せ申せ 遅桜  と、挙白といふ者の餞別したりければ、
  桜より 松は二木を 三月越し


 次に、目指したのが、歌枕「十符の菅」(仙台市宮城野区)、宮間さんが見つけた案内板には次のような記述があった。と検索してわかった。
「十符の菅」「十符の池跡」
 「十符の菅」は、中世以来「みちのくの 十符の菅薦 七符には 君を寝させて 三符に我が寝む」等と詠まれ、その菅は網目が十筋の菅薦の材料として使用される良質なものといわれ、陸奥の歌枕として知られていた。
 第四代藩主伊達綱村がこの地を訪れ、「十符の菅」の名所が荒廃しないよう菅守を設け保護し栽培することを家臣及び村中の者に命じた。
 元禄二年(一六八九)五月八日(新暦六月二十四日)には松尾芭蕉と曽良がこの地を訪れている。芭蕉が著した「おくの細道」には「かの画図にまかせてたどり行かば、おくの細道の山際に十符の菅有。今も年々十符の菅薦を調て国守に献ずと云り」があり、「十符の菅薦」が藩主に献上されていることが記されている。また、この文中に見える「おくの細道」が「奥のほそ道」の書名の由来となったともいわれている。
(岩切歴史探訪会)
ただ、岩間さんはそれらしき植物は見つけられなかったみたいだ。通りかかった人に「十符の菅」をッ尋ねると「あいつ(芭蕉)が来た時も山しかなくて、こんな感じだったと思うよ」との返答。長谷川さんが「芭蕉は歌枕ではなく歌枕の廃墟を旅したのです。そこで感じたのは失望と幻滅でした。」と書いていたことと符合して面白かった。

 こういう感じで読んでいくので1週間充分楽しめるのである。ちなみに調べてみると「「十符の菅」を育てている人がいるみたいで写真があった。


 昨日、新型コロナウイルスの感染状況を示す独自基準「大阪モデル」が赤信号となり、通天閣や太陽の塔が赤色にライトアップされた。今日から1ヶ月高齢者の外出自粛要請が出た。直近1週間で新規感染者に占める70代以上の割合は6.9%と低いが、入院患者では70%を超えるからみたいだ。意味があるのかと疑問もあるが、地図上の芭蕉の旅は自粛生活にはピッタリかな。



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毎日新聞・朝刊の「水説」が面白い

2022年07月27日 | 日記
 毎週水曜日に掲載される古賀攻専門編集委員の政治を中心としたコラム「水説sui-setsu」が面白い。
 【恐れ入らない神社界(6/22)】で、戦前の国家神道体制が解体されたのに伴い、1946年に包括宗教法人として発足した全国の約8万社を束ねる神社本庁が、川崎市に持っていた職員宿舎の不可解な売却を発端として内部で騒動が起こっていることを取り上げていた。裁判で組織運営の不透明さをとがめられたのに、恐れ入らない神社本庁の動向が書かれていたのだが、その後の事態はますます常軌を逸していると【一線を越えた神社界(6/29)】で更に内部の権力争いを詳しく書いている。

 コンパクトに完成されたコラムなので下手な紹介はできない。興味のある方は、毎日新聞のニュースサイトで「水説」を検索すれば読むことが出来る。(https://mainichi.jp/search?q=%E6%B0%B4%E8%AA%AC)

 すると、「本庁代理人」という弁護士から、総長の選任手続きを「主たる争点とした裁判手続き」が進行中なのに、公平な書き方ではないとの趣旨の質問書が届いた。という。それを受けて【神ながらの道の正常化(7/6)】というタイトルでコラムを書かれた。

 7月15日(金)夕刊の特集ワイドで、思想家の内田樹さんへのインタビュー記事「言論への信頼取り戻せ」の中で、内田さんが最後に言ったこと「他の人はともかく、自分一人は自由な言論の場には審判力があると信じて、自分の言葉をそこに託す。身銭を切って言論の場に信用を供与する。そういう人の数を一人ずつ増やしてゆくこと。それが、言葉の力を再構築するということだと思います。」
を読んだ時、この3つの「水説」に思いを馳せた。

 十分な信頼に足りうる、論理的で、感情豊かで、節度ある自由な言論が失われつつある昨今、「水説」のようなコラムを大切にしていきたいものだ。

 今日27日(水)は【旧統一教会への依存】というタイトル。とてもタイムリーで、面白く読めた。
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