素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

機物(はたもの)神社

2022年03月16日 | 日記
 昨日の「ニュースほっと関西」の「ええやん!この街」のコーナーは交野市であった。「何処へ行くんやろな?」と俄然注目。當麻陽香リポーターが降りたのは星田駅。「星田駅からだと妙見宮かな?」と思いきや機物神社が登場。「それはないやろ。星田駅から機物神社まではおよそ4.5km、歩いて行くにはちょっと遠い。JRの最寄り駅は2つ先の津田駅で、そこからだと約700m。でも津田駅は枚方市だから番組的には苦しいところやな」とツッコミを入れる。

 七夕まつりの時はよく行っていたのでお馴染みの所だが、葉書の語源といわれている「タラヨウ(多羅葉)」通称ハガキの木が紹介されていた。これは初耳だったので陽気も良かったのでサイクリングがてら立ち寄った。
  
 番組でも出演していたが、中村宮司は皆から慕われている地元の名士である。

 機物神社の由来についての談がある。
「機物神社の呼称及び七夕伝説との結び付きについては諸説ありますが、一説によると、古代、枚方市「津田」を「秦田(はただ)」、
交野市の「寺」を「秦山(はたやま)」、「倉治(くらじ)」を「秦者(はたもの)」といっていた時代がありました。
神社の名称はこの「秦者」の人たちが祀る社ということで、「ハタモノの社」が本来の呼び名であったと思われますが、
後に七夕伝説と結び付けられて、「秦」の機織りの「機」に換えて現在の機物神社のイメージ作りが行われたといわれています。
起源は古く四~五世紀にあるとも考えられますが、五~六世紀の頃に秦氏に代表される交易商人によって組織された養蚕布織の
技術を持った民が大陸から渡来して、一部の集団が東部産地の麓に定住した時といわれています。」


 目当ての多羅葉は社殿の向かって左手にあった。確かに葉の裏に文字が浮かび上がっていた。
   

 その後は、長尾まで行き穂谷川から淀川そして天野川と主に堤防をぐるりと3時間ほど走り帰宅した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする