素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

第64回 正倉院展に自転車で行く

2012年10月31日 | 日記
 先日、妻が大阪市に住んでいる叔母の家にお邪魔した際、正倉院展の招待券をもらってきた。会期は10月27日~11月12日だが招待券の有効期間は11月2日までである。予定がびっしりつまっている妻は行くことができないので私にまわってきた。予定と天気を考えると今日しかない。

 朝までは、自動車を般若寺の駐車場(無料)に停めて、奈良国立博物館まで歩いていこうと思っていた。ところが朝になって娘が突然、運びたいものもあるので自動車を使わせてほしいと言ってきた。仕事をしている人間優先なのでゆずることになった。

 明日に延期しようかとも思ったが天気のことを考えると今日のほうが良いにきまっている。そこでこれも一つのきっかけと考え自転車で行くことにした。大阪府庁まではおよそ1時間、京都府庁までは2時間強だったので奈良県庁までは2時間ぐらいかなと概算した。

 一番の問題は生駒山を越えるルートである。交通量と道の広さなどから清滝峠を越えることにした。越えた後は“ならやま大通り”を走り奈良市街地に入って行くのが多少アップダウンが多くあっても一番安全なルートだろうと考えた。最優先は安全である。9:48に家を出て奈良県庁前に着いたのが11:46。1時間58分は予想より早かった。

 奈良公園で地域のうまいもん市のイベントがひらかれていたので腹ごしらえをしてから正倉院展に行くことにした。いろいろあったが奈良なんだからと“秋の手鞠わさび葉寿し”に決めた。さわやかな秋風の中、合い席の人と雑談しながら遠足気分で食べた。

 

 腹ごしらえをしていて正解だった。予想以上に長蛇の列ができていた。係員に言わせるとこの状態はまだましとのこと。30分ほどで入場できた。今回の目玉展示は“瑠璃杯”と“螺鈿紫檀琵琶(らでんしたんのびわ)”だろう。ポスターや新聞でもよくみかける。

   実際の瑠璃杯を見た時は「小さい!」と思った。よく考えればグラスではなく“さかずき”だから当然のことである。なかなかしゃれたものであった。ガラスの部分はペルシャ付近で作られ、土台の脚の金属部分は朝鮮半島の製品らしい。グローバルなさかずきである。聖武天皇愛用の琵琶はぜいたくの極みである。精巧な細工をこらした象牙のバチに日本にはない紫檀の木材、貝とタイマイ(ウミガメの甲羅)で作った花や鳥、雲などの模様がはめられている。中尊寺金色堂でも思ったが螺鈿の技術というものはたいしたものである。

 双六で使ったガラスのコマがいやに多く展示されているようにも思えた。アイデアグッズやなとほほえましかったのは“紫檀金銀絵書几(したんきんぎんえのしょき)”簡単に言えば巻物を読んだり見たりするための書見台。

 いつも感心するのは古文書の数々。写経や戸籍、決算報告書など実に几帳面に書かれている。1000年以上も前に書かれたものだと思うとなぜか不思議な感慨みたいなものが湧いてくる。手書きの持つ魅力ともいえる。

 帰りは清滝峠を越えないで磐船街道を一気に下った。信号でできる空白を利用すると自動車に追いかけられることもなく走ることができる。これは下りだからできることで上りでは無理、渋滞を引き起こしてしまうこと100%である。

 奈良方面は往路は清滝越え、復路は磐船街道がベスト。総走行距離56.34km、総走行時間3時間48分、平均速度14.8km/h、Max45.1km/hならやま大通りも適度なアップダウンがあり道も整備されているのではしりやすい。

 きちきちと予定を作っていないのだが、いろいろな偶然が重なってちゃんと日暮しができるようになる。感謝感謝の毎日である。


 
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水耕菜園、順調には育っているのですが!?

2012年10月30日 | 日記
 水耕マットに移し替えてから定期的に液体肥料をあげ、太陽にしっかりあてて順調に大きくなっている。

 し か しである。私がまいた種はブロッコリーなのだが、今の段階では私がイメージしているブロッコリーの姿とほど遠いのである。果たしてこの後どうなっていくのかいささか不安もある。初めてのことなので見通しもたたず、なりゆくままに見守るしかないといったところ。

 今日、京都マラソンの抽選結果がメールで届いた。当選であった。これで3月10日(日)に2度目のフルマラソンを走ることになった。ジムでのトレーニングももとのペースにもどってきた。これから4ヶ月余り昨年の経験をベースにしてぼちぼちと取り組んでみたい。5時間前後を目標にしている。
  
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2012年・花の万博記念 コスモス国際賞授賞式に

2012年10月29日 | 日記
 2週間ほど前に私宛に一通の封書が届いた。封筒の表に“2012年花の万博記念「コスモス国際賞」授賞式 ご招待状”とある。最初は新たな催眠商法の客集めかなと思ったが、裏の送り主を見ると“財団法人 国際花と緑の博覧会記念協会”とある。

 施設にあるチラシやパンフレット、新聞紙上などにイベント情報を見つけるとせっせと応募している妻のなせる業かとたずねてみた。「記憶にはないが可能性はある」という答。そのおかげで見聞を広めるということも過去多くあったので応募した結果には極力委ねることにしている。
 中に入っていた*コスモス国際賞授賞式ご出席に伴うお願いについて*を読んでビックリ“●男性はダークスーツかブラックスーツ、女性はそれに準ずる服装でのご出席をお願いい たします”とある。

 スーツにネクタイを締めて電車に乗るなんて滅多にない。何となく別人になったような落ち着かない感じで3時前にいずみホールに着いた。クラシックをメインに演奏会が行われている所だが入るのは初めてである。手頃な規模のホールである。確かにすべてにわたっておごそかな雰囲気を漂わせている。

 初めて同時通訳の器械も渡された。米原万里さんの対談集「言葉を育てる」で同時通訳のことは興味深く読んでいたが、実際に耳にしてみると緊張感のようなものが伝わってくる。知的な格闘技みたいなものであるということが実感できた。

 20回目となる今年の受賞者はハーバード大学ペレグリノ特別名誉教授エドワード・オズボーン・ウィルソン博士(83歳)であった。アリの自然誌および行動生物学の研究分野で卓越した研究業績をあげ、その科学的知見を活かして人間の起源、人間の本性、人間の相互作用の研究に努めてほか、生物多様性保全や環境教育を推進する実践家として活躍されている。

 アリの研究の専門家であり、今もフィールドワークにでかけアリについての研究に余念がない。受賞者紹介映像を見ていると少年ののすごいようなこころをずっと持ち続けておられるのだなと強く感じた。

 授賞式の後の祝賀演奏は仲道郁代さんのピアノであった。式のお飾りというのではなく、受賞者へのこころ配りをしつつも仲道ワールドに案内してくれた。特にラストのモーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調ではモーツァルトの時代の演奏スタイルを再現してくれた。当時は指揮者はいなくて作曲したモ-ツァルト自身がピアノを弾きながら指揮もしていたという。指揮者の位置にピアノを備え客に背を向けた仲道さんがコスモスアンサンブル2012を指揮をしてピアノを弾き、時には片手で弾きながらもう一方で指揮をする。またピアノを弾きながら目で指揮をしたりとピアノ演奏家に持っていたイメージを打ち破られた新鮮な驚きと感動があった。

 初めてのことが多くあった授賞式で予想外に楽しめた。外に出るとものすごい風。後で“こがらし1号”であったとわかった。季節は確実に進んでいる。
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デジブック 『秋の枚方山野草展示会』

2012年10月28日 | 日記
山野草展の片付けが3時からあるので手伝いに行った。少し早く着いたので待ち時間にみなさんの作品を撮ることにした。花の写真の中でも山野草はむずかしいと思っている。見たイメージと写真におさめたものにすごくギャップを感じることが多い。花をはじめ繊細な世界なので焦点のあて方や切り取り方が思うようにならない。橋本治さんの「場数を踏んで慣れることが大切!」という言葉にしたがって初めて花ばかりのデジブックにチャレンジしてみた。思ってもいなかった展開になったが、楽しめた午後であった。


デジブック 『秋の枚方山野草展示会』
 枚方の菊フェスティバルは24日から始まっているが見頃は11月に入ってからだろう。
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午前は鶴見緑地でのフラワーフェスティバル、午後は交野九条の会による講演とミニコンサートに

2012年10月27日 | 日記
 イベントの秋である。各施設、各団体でさまざまな催しがなされている。所用のついでに鶴見緑地に立ち寄ってみるとフラワーフェスティバルをしていた。植木市、花のコンテスト、花関係の業者のブースがずらりと並んでいた。
 ちょうど高校生によるフラワーアレンジメントのコンテストの真っ最中で審査員の厳しいまなざしの中、黙々とアレンジメントに取り組んでいた。昨今は料理、お菓子など様々な分野での高校生の進出が耳目を集めているが、ここにもその世界があるのだなとしばし眺めていた。


 午後からは交野市のゆうゆうセンター多目的ホールで開催された“交野九条の会”主催の『ミニコンサートと講演のつどい』に出かけた。第一部のミニコンサートは交野うたう会の女声合唱。
 一本筋の通っている合唱団でいつも美しいハーモニーを聴かせてくれる。特に♪ダニーボーイ♪がこころにしみた。

 第二部の講演は中嶌鉄演氏の『いのちか 原発か~宗教者からのメッセージ~』であった。中嶌氏は1942年小浜市に生まれ、東京芸術大を中退し高野山大学仏教科卒業後真言宗御室派棡木山明通寺の住職をつとめながら1968年より「原発設置反対小浜市民の会」の事務局長をなされてきた方である。

 講演会のチラシを見た時中嶌さんと明通寺から2冊の本が頭の中に浮かんだ。1つは高橋秀実さんの『からくり民主主義』。その第7章“危険な日常~若狭湾原発銀座~”に中嶌さんへの取材ルポがある。このルポは15年前の1997年に書かれたものである。原発の安全神話が崩れていない時である。ていねいな取材をしているということを今回、中嶌さんの話を直接うかがってよくわかった。フクシマの事故後という大きな状況の違いはあるが話の内容に重なることが多かった。

 2時間余りでは語りつくせないことも多かったのではないかと思った。会場で販売されていた風媒社から2012年3月20日に出版された小出裕章との対談“いのちか原発か”を購入した。

 もう1つは、白洲正子さんの『私の古寺巡礼』である。その“若狭紀行”に明通寺が登場する。

 明通寺は大同元年(806)、坂上田村麿の草創による古刹である。ゆずり木の大木で、三尊仏を彫刻したと伝え、昔は「ゆずりき寺」とも称したと聞くが、現在の山号も「棡木山(ゆずりぎざん)明通寺」という。その名にふさわしい幽邃の境で、杉木立の中を登って行くと、右手にどっしりとした本堂が見えて来る。その向こうに軽快な三重塔も望める。ともに鎌倉時代(十三世紀)の堂々とした建築で、本堂の内陣には、藤原時代の薬師如来を中尊に、二体の脇士が祀ってある。脇士の降三世(ごうざんぜ)明王と、深沙大将(じんじゃだいしょう)は、特にみごとな彫刻で、いかにも山奥の寺らしい森厳の気にあふれている。


 この文章にふれてから、明通寺をはじめ若狭にある古寺は私の引き出しに大事にしまわれている。そういうこともあり今回の講演はご縁を感じるものであった。
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