素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

言葉は難しい

2022年09月30日 | 日記
 日中国交回復50周年の節目を迎えた。先日、NHKニュースの特集で、当時交渉のため中国へ田名角栄首相、大平正芳外相とともに同行した外交官の方が裏話を語ってくれた。

 晩餐会での田中の挨拶「過去数十年にわたって日中関係は遺憾ながら不幸な経過をたどって参りました。この間わが国が中国国民に多大な“ご迷惑”をおかけしたことについて、私はあらためて深い反省の念を表明するものであります」

 この「迷惑」という言葉が、中国側に不快感を与え、交渉にブレーキをかけたという。特集は要約されていたので、私にはなぜ不快感を与えたのか理解できなかった。今日の「余録」にそのあたりのことが書かれていて「そういうことか」と納得した。

漢語には中国から伝わった後に日本独自の意味を持った言葉が少なくない。「稽古(けいこ)」は元々、いにしえの道を考えることで「馳走(ちそう)」は単に馬を走らせる意味、「遠慮」は将来について熟慮することだった▲違いが外交で表面化したのが半世紀前の日中国交正常化交渉である。「中国国民に多大のご迷惑をかけた」という田中角栄(たなか・かくえい)首相の「迷惑」を通訳が「添了麻煩(ティエンラ・マーファン)」と訳し、中国側を怒らせた▲迷惑の中国語の意味は「心が迷い、惑う」で不利益を与えるというニュアンスはない。「女性のスカートに水をかけた時に使う言葉」という訳への反発に、首相は「そんな軽々しい内容ではない」と釈明した

 つくづく言葉は難しいとあらためて思った。

 周恩来「ご迷惑とは、中国では道ばたでうっかり女性のスカートに水をかけたときにわびる言葉でしかありません。それをあなたは、日中間の不幸な過去の説明に使ったのです」

田中「日本語で『迷惑をかけた』とは、万感の思いをこめてわびをする時にも使うのです。この言い方が中国語として適当かどうかは自信がない」
 誠心誠意のお詫び、その気持に偽りがないことを田中首相は繰り返し訴えたという。

 「迷惑」論争で最悪の状況の中、最大の争点である「日中戦争はいつ終わったのか」という問題を打開する必要があった。台湾と日華平和条約を結んだ昭和27年に日中戦争は終わったと主張する日本。しかし中国は台湾を認めず、今回の共同声明の公表の日に終了すると主張。

 田中首相の指示で、大平外相と外交官はホテルで徹夜で打開策を協議したと振り返っていた。そこで考え出されたキーワードが「不正常な状態」である。

大平正芳「日中両国のこれまでの関係は『不正常な状態』と表現できないだろうか」と中国外相に伝えた。そしてその夜、突然毛沢東の家に案内される。

毛沢東「けんかはもうすみましたか けんかは避けられないものですよ」
毛沢東「あなたがたは、あの『ご迷惑』問題をどのように解決しましたか」

田中「我々は中国の習慣に従って改めるよう、準備しています」

毛沢東「しかし迷惑をかけたという言葉の使い方は日本の首相の方がうまいようですね」

この後開かれた協議で、中国側から戦争状態の表現について大きな譲歩が示された。
中国案『本声明が公表される日に、中国を日本との間の極めて不正常な状態は終了する』

日本側「日華平和条約で戦争が終わった」と解釈
中国側「今回の交渉で戦争が終わった」と解釈

 両国のメンツが保たれたという。

そして日本と台湾との今後の関係が話し合われ、日本の次の提示で合意。
1. 日本と台湾との外交関係は解消
2. 日本政府は「二つの中国」の立場はとらない
3. 台湾との民間交流は継続される

そして昭和47(1972)年9月29日 日中共同声明が調印される。

 外交交渉は?を考えさせられた。過去の話で終わらせてはいけない教訓が詰まっている。
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我が家の「ど根性●●●」は?

2022年09月29日 | 日記
「ど根性●●●」の元祖は、「週刊ジャンプ」(集英社)に1970年7月25日号から1976年6月14日号まで連載された、吉沢やすみさんの「ど根性ガエル」だろう。
ど根性ガエル 石川進


 2005年兵庫県相生市でアスファルトを割って生えた大根が「ど根性大根」と言われて話題にのぼった。「大ちゃん」と命名され全国的に有名になり、各地でも「ど根性大根」が登場し、ど根性野菜のブームとなった。

 2011年の東日本大震災の大津波のあと、宮城県石巻市で、瓦礫の中から一本のひまわりが芽を出した。津波によってどこからか流れ着いた一つのひまわりの種が、塩害にも負けずにたくましく育ち、その夏、大きな花を咲かせた。勇気をもらった石巻の人たちは、そのひまわりを「ど根性ひまわり」と呼び、全国に反響を呼んだ。

その夏の終わりに採れた約150個の種は2世3世と生命を繋ぎながら、「負けない心」「励ましの心」のシンボルとして日本各地や海をも越えて大勢の人に育てられている。

 昨日のNHKニュースで、和歌山市の堤防で、コンクリートの隙間からスイカが芽を出して成長し、直径6センチほどの実がなって、「ど根性スイカ」として地元で話題となってると報じていた。わずかに縞模様も現れているのが見てとれたが、果たしてどこまで大きくなることか?

 我が家にも、私が勝手に付けているだけだが「ど根性」が生まれた。郵便ポストの取り出し口の隙間に生えている「ど根性ムラサキシキブ」である。最初はただの雑草かと思っていたが、しっかり紫色の実をつけ存在をアピールしている。

 実からムラサキシキブを育てるのは結構難しいのに、どのようにしてここに入ったのかは謎である。10月中旬に「秋の山野草展」がある妻は、移し替えて出品したいと言うが多分抜くことは不可能だろう。「これはここにあってこそ値打ちがある」とくぎを刺した。
 
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秋の野に咲きたる花を・・・

2022年09月28日 | 日記
 今日の18時からのNHK「ニュース ホット関西」の天気予報コーナーでは「秋の七草」が話題に取り上げられた。
秋の七草の元になったと言われている「万葉集 巻八(1537-1538)の句」に関するクイズが気象予報士の坂下さんから出された。
      

 もともとは七夕の夜に供える七草を選んだのだともいわれているが、1300年余り後の時代にも「秋の七草」として受け継がれてくるとは作者も思い及ばなかったことだろう。クイズは作者を4択で問うもの。
 

 万葉集で、長歌(五音と七音の二句を三回以上続けて最後を七音で止めるのを原則)と短歌(反歌)の組み合わせの連作形式は多いが、
短歌(5・7・5・7・7)と旋頭歌(せどうか)(5・7・7・5・7・7)の連作はきわめて珍しいと解説にあった。

 ちなみに
尾花:薄(すすき)の古語。雅語的表現としては現代でも用いることがある(「枯れ尾花」など)。
撫子:ナデシコ科の多年草。セキチク、カーネーションと近似種。
女郎花:オミナエシ科の多年草。秋に黄色い可憐な花を咲かせる。語源は「美人(をみな)・減(へ)し」、美人も真っ青になるぐらいの可愛い花
朝顔:桔梗(ききょう)のこととされる。現在言うアサガオ(ヒルガオ科)は、まだ(中国から)伝来していなかった。

 朝夕は秋めいてきたが、日中はしばらく夏日が続きそうである。
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「国葬」はこれで最後にしてほしい

2022年09月27日 | 日記
 やっと終わったというのが一番の思い。7月14日に岸田首相が記者会見で「国葬儀」を行うと表明してから2カ月余り、賛否両論飛び交う中で事態が収束することなく国葬の当日となってしまった。この間、さまざまなことを考えさせられた。

 そして、安倍さんの政治家としての評価、旧統一教会との関係などを抜きにして「国葬」で政治家を追悼するのは無理があるというのが私の結論。戦後70年余り、2009年~2012年の3年間を除いて自民党が政権を担ってきたので「国」と「政府=自民党」の区別がぼやけている点に問題の根があるように思う。

 「国」には様々な立場、考え方の人が住んでいる。それぞれの思いと近い人物、またそれらの集合体の党に「国」のかじ取りを託す。そのために選挙がある。自民党の支持率は、一時的な上昇、下落はあるが概ね40%~50%である。見方を変えると半数前後の人は、「政府=自民党」のかじ取りに納得していないのである。

 そのことを踏まえると「政府=自民党」は国民を説得するための説明が不可欠である。それをあえてしないで開き直って強引に事を進めたのが安倍、菅政権だったと思う。岸田さんは違いをアピールするために「聞く力」と「丁寧な説明」をキャッチフレーズにした。最初の会見で聞いた時、リーダーとして当たり前のことを敢えて『特技』と言ったことに違和感があったが、その後の政権運営を見ているとポーズだけでと違うか?という疑念が湧き、今回の国葬騒動でやっぱりそうだと確信した。

 岸田さんの中には、「国」=「政府=自民党」という図式が根付いているのだと思う。だから政府、自民党、国民有志の合同で行う「国民葬」と「国葬」との大きな違いを認識していなかったのではないかと考えればすべてが納得できる。

  その点、最近あったアメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリアなどの国政レベルの選挙を見ていると「国」と「政府」の相違がくっきりと見える。その分、シビアで厳しい論戦が交わされるし、良し悪しは別にして有権者も自分の利益のためには誰が良いかを考えることが当たり前になっている。

  そのことで、世界の主要国は政権交代の時期にさしかかっているように思う。安定から不安定な世界になりつつある。安穏ぐうたらな生活を望む私の心は「嫌だ 嫌だ」とつぶやいている。
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良心的兵役拒否

2022年09月26日 | 日記
 ロシアのプーチン大統領がウクライナ侵攻のために出した部分的動員令から逃れようとするロシア人の様子がニュースで報じられた。SNSの時代、リアルタイムで生の映像が届く時代、抗議している人達を排除する荒っぽさは想像以上である。国家権力の暴力的な部分がむき出しになった。という感がした。物語やドラマの世界ではないところが怖い。

 それらを見ていて、学生時代に出合った「良心的兵役拒否」という言葉がふと浮かんだ。岩波書店から1969年に出版された阿部 知二さんの『良心的兵役拒否の思想 』(岩波新書)という本がきっかけだった。

 大学に入学した頃、学内は「70年安保闘争」で騒々しかった。60年安保の時は、9歳だったのでよくわからず「安保反対」のシュプレヒコールやデモの様子、国会に乱入した時の混乱の中で東大生の樺美智子さんが亡くなったこと、岸首相の「声なき声」という言葉など断片的な記憶しかなかったが、70年安保の時はいろいろな立場の人と平和や戦争について話をした。

 そういう時にこの本のタイトルに「これは何だ?」と手に取った。今、この本は手元になく内容もはっきりと覚えていないが、信仰にもとづいて戦争に反対し,兵役に就くこと,あるいは兵役に服しても戦闘業務に就くことなどを拒む行為が社会的に認められている国がある。ということに当時の私は驚いた。

 「こういう立場もあるのだ」という感動から、その後不勉強で言葉だけ頭に残って今に至っている。これを「平和ボケ」と言われても返す言葉はない。ロシアのウクライナ侵攻をきっかけにもう一度学び直さねばと思っている。

 今、ロシアから逃げ出そうとしている人達をウクライナを支援している国々はどう受け入れるのか?情勢はますます混沌としてきた。心が重くなった。

召集令状が来た / 良心的兵役拒否 / 逃走 / 民族差別 / 特高 / 監視 / いじめ...
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