日中国交回復50周年の節目を迎えた。先日、NHKニュースの特集で、当時交渉のため中国へ田名角栄首相、大平正芳外相とともに同行した外交官の方が裏話を語ってくれた。
晩餐会での田中の挨拶「過去数十年にわたって日中関係は遺憾ながら不幸な経過をたどって参りました。この間わが国が中国国民に多大な“ご迷惑”をおかけしたことについて、私はあらためて深い反省の念を表明するものであります」
この「迷惑」という言葉が、中国側に不快感を与え、交渉にブレーキをかけたという。特集は要約されていたので、私にはなぜ不快感を与えたのか理解できなかった。今日の「余録」にそのあたりのことが書かれていて「そういうことか」と納得した。
漢語には中国から伝わった後に日本独自の意味を持った言葉が少なくない。「稽古(けいこ)」は元々、いにしえの道を考えることで「馳走(ちそう)」は単に馬を走らせる意味、「遠慮」は将来について熟慮することだった▲違いが外交で表面化したのが半世紀前の日中国交正常化交渉である。「中国国民に多大のご迷惑をかけた」という田中角栄(たなか・かくえい)首相の「迷惑」を通訳が「添了麻煩(ティエンラ・マーファン)」と訳し、中国側を怒らせた▲迷惑の中国語の意味は「心が迷い、惑う」で不利益を与えるというニュアンスはない。「女性のスカートに水をかけた時に使う言葉」という訳への反発に、首相は「そんな軽々しい内容ではない」と釈明した
つくづく言葉は難しいとあらためて思った。
周恩来「ご迷惑とは、中国では道ばたでうっかり女性のスカートに水をかけたときにわびる言葉でしかありません。それをあなたは、日中間の不幸な過去の説明に使ったのです」
田中「日本語で『迷惑をかけた』とは、万感の思いをこめてわびをする時にも使うのです。この言い方が中国語として適当かどうかは自信がない」
誠心誠意のお詫び、その気持に偽りがないことを田中首相は繰り返し訴えたという。
「迷惑」論争で最悪の状況の中、最大の争点である「日中戦争はいつ終わったのか」という問題を打開する必要があった。台湾と日華平和条約を結んだ昭和27年に日中戦争は終わったと主張する日本。しかし中国は台湾を認めず、今回の共同声明の公表の日に終了すると主張。
田中首相の指示で、大平外相と外交官はホテルで徹夜で打開策を協議したと振り返っていた。そこで考え出されたキーワードが「不正常な状態」である。
大平正芳「日中両国のこれまでの関係は『不正常な状態』と表現できないだろうか」と中国外相に伝えた。そしてその夜、突然毛沢東の家に案内される。
毛沢東「けんかはもうすみましたか けんかは避けられないものですよ」
毛沢東「あなたがたは、あの『ご迷惑』問題をどのように解決しましたか」
田中「我々は中国の習慣に従って改めるよう、準備しています」
毛沢東「しかし迷惑をかけたという言葉の使い方は日本の首相の方がうまいようですね」
この後開かれた協議で、中国側から戦争状態の表現について大きな譲歩が示された。
中国案『本声明が公表される日に、中国を日本との間の極めて不正常な状態は終了する』
日本側「日華平和条約で戦争が終わった」と解釈
中国側「今回の交渉で戦争が終わった」と解釈
両国のメンツが保たれたという。
そして日本と台湾との今後の関係が話し合われ、日本の次の提示で合意。
1. 日本と台湾との外交関係は解消
2. 日本政府は「二つの中国」の立場はとらない
3. 台湾との民間交流は継続される
そして昭和47(1972)年9月29日 日中共同声明が調印される。
外交交渉は?を考えさせられた。過去の話で終わらせてはいけない教訓が詰まっている。
晩餐会での田中の挨拶「過去数十年にわたって日中関係は遺憾ながら不幸な経過をたどって参りました。この間わが国が中国国民に多大な“ご迷惑”をおかけしたことについて、私はあらためて深い反省の念を表明するものであります」
この「迷惑」という言葉が、中国側に不快感を与え、交渉にブレーキをかけたという。特集は要約されていたので、私にはなぜ不快感を与えたのか理解できなかった。今日の「余録」にそのあたりのことが書かれていて「そういうことか」と納得した。
漢語には中国から伝わった後に日本独自の意味を持った言葉が少なくない。「稽古(けいこ)」は元々、いにしえの道を考えることで「馳走(ちそう)」は単に馬を走らせる意味、「遠慮」は将来について熟慮することだった▲違いが外交で表面化したのが半世紀前の日中国交正常化交渉である。「中国国民に多大のご迷惑をかけた」という田中角栄(たなか・かくえい)首相の「迷惑」を通訳が「添了麻煩(ティエンラ・マーファン)」と訳し、中国側を怒らせた▲迷惑の中国語の意味は「心が迷い、惑う」で不利益を与えるというニュアンスはない。「女性のスカートに水をかけた時に使う言葉」という訳への反発に、首相は「そんな軽々しい内容ではない」と釈明した
つくづく言葉は難しいとあらためて思った。
周恩来「ご迷惑とは、中国では道ばたでうっかり女性のスカートに水をかけたときにわびる言葉でしかありません。それをあなたは、日中間の不幸な過去の説明に使ったのです」
田中「日本語で『迷惑をかけた』とは、万感の思いをこめてわびをする時にも使うのです。この言い方が中国語として適当かどうかは自信がない」
誠心誠意のお詫び、その気持に偽りがないことを田中首相は繰り返し訴えたという。
「迷惑」論争で最悪の状況の中、最大の争点である「日中戦争はいつ終わったのか」という問題を打開する必要があった。台湾と日華平和条約を結んだ昭和27年に日中戦争は終わったと主張する日本。しかし中国は台湾を認めず、今回の共同声明の公表の日に終了すると主張。
田中首相の指示で、大平外相と外交官はホテルで徹夜で打開策を協議したと振り返っていた。そこで考え出されたキーワードが「不正常な状態」である。
大平正芳「日中両国のこれまでの関係は『不正常な状態』と表現できないだろうか」と中国外相に伝えた。そしてその夜、突然毛沢東の家に案内される。
毛沢東「けんかはもうすみましたか けんかは避けられないものですよ」
毛沢東「あなたがたは、あの『ご迷惑』問題をどのように解決しましたか」
田中「我々は中国の習慣に従って改めるよう、準備しています」
毛沢東「しかし迷惑をかけたという言葉の使い方は日本の首相の方がうまいようですね」
この後開かれた協議で、中国側から戦争状態の表現について大きな譲歩が示された。
中国案『本声明が公表される日に、中国を日本との間の極めて不正常な状態は終了する』
日本側「日華平和条約で戦争が終わった」と解釈
中国側「今回の交渉で戦争が終わった」と解釈
両国のメンツが保たれたという。
そして日本と台湾との今後の関係が話し合われ、日本の次の提示で合意。
1. 日本と台湾との外交関係は解消
2. 日本政府は「二つの中国」の立場はとらない
3. 台湾との民間交流は継続される
そして昭和47(1972)年9月29日 日中共同声明が調印される。
外交交渉は?を考えさせられた。過去の話で終わらせてはいけない教訓が詰まっている。