素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「ラジオ英語講座、あんこ、野球、ジャズ、時代劇」の思い出①

2022年03月02日 | 日記
 4日ぶりにジムへ行った。ロッカールームへ入ると「こんにちわ」と声が飛んできた。見ると11月から入院のため休んでいたNさんが着替えていた。みんなから『ししょう』と呼ばれていた元気なおじいさんだ。話に味があってジムでは存在感があった。「久しぶりですね!かいふくしたんですか?」と返すと「4ヵ月入院や。3月からジムでリハビリや」と変わりがなくてホッとした。突然、物が二重に見えるようになったそうだ。免疫不全で神経系に異常があり上手く脳に情報がつたわらなかった。と解説してくれた、ピンとこなかったがとにもかくにも復帰できたことは奇跡に近いとのこと。

 さて「カムカムエヴりバディ」の5つの話題の中から「あんこ」の思い出を。

 伊勢と言えば「赤福」。あの絶妙のこしあんの甘さは文句なしである。今でも志摩からの帰り、伊賀の道の駅でよくかっている。「赤福」を食べるようになったのは大人になってから。高校まではちょっとお高いものであった。それに対して大衆的だったのが「七越ぱんじゅう」。

 高校時代は近鉄電車は宇治山田駅が終点。二見、鳥羽方面はJR参宮線を利用するしかなかった。志摩電車(今は近鉄)で鳥羽に出て、国鉄に乗り換え伊勢市駅へ、そこから高校まで30分程歩いて通学していた。伊勢市駅から道をはさんだ駅前通り商店街に七越があった。帰りの列車の待ち時間に時々立ち寄った。店内で食べた焼きたてのぱんじゅうの味は格別だった。


 総本家七越は明治34年、東京神田で創業。パンとまんじゅうを合体したぱんじゅうを開発し、登録商標「七越ぱんじゅう」と命名。
戦後、総本店を東京から伊勢に移転した。大学生の頃近鉄が鳥羽まで延長しさらに志摩電を吸収して賢島まで通じたことで伊勢市駅に下車することがなくなった。就職してからは車を使ったので伊勢市駅前はルートから外れた。

 外宮周辺が整備されたと聞いて出かけた際、懐かしさから行ってみたが店はなかった。聞けば2000年5月に突然廃業したそうだ。理由は、ぱんじゅう作りを切り盛りしていた女将が亡くなり、味の継承ができなくなったからとか。

 別の場所で「ぱんじゅう」を売る店を見つけたので食べたが、似て非なるものだった。あんこの味は本当に微妙だ。

 実家のある磯部には「さわ餅」という名物がある。作っている店は2店。竹内餅店と餅喜商店である。竹内のさわ餅はスーパーや道の駅などでも手軽に手に入るが、餅喜のものは迫間にある店にしか置いていないし、決まった数しか作らないので売切れたら終わりとなる。たいてい午前中には完売する。私は「餅喜」のさわ餅が好きだ。食べ比べたら分かるが餅の厚さが少しだけ竹内より厚く、それが食感の違いを生みだしている。あんこの味は赤福に近いものがある。


 朝ドラでも「あんこの味」が人々の人生に関わる場面が数多く描かれているが、すごくよくわかる。あんこの味の記憶は脳の奥底にしっかり宿っているのだ。
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