素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

やっと終わった1月

2023年01月31日 | 日記
 一定の速度で流れているはずの時間だが、その流れが早いと感じたり遅いと感じることがあることはこれまでに多々経験してきた。

 学生時代のテストの時、スイスイ解けて余裕のある時は時計がゆっくり進み、解けそうで解けない問題に悩まされている時はあっと言う間に時計は進んでいく。また、つまらない授業や講演、会議もなかなか時計が進まない。

 また、人は経験したことがないことをやっているときは、それが強く意識に残り時間が長く感じ、反対に、慣れてしまうと時間の長さが気にならなくなり、あっという間に時が過ぎたように感じまる。と聞いたことがある。子どもと大人の違いでよく引き合いに出される。

 子どもの頃は初めて体験することばかりで、毎日が新鮮で新しい出会いや発見があり一日、一日を長く感じるが、大人になるにしたがって、新しい経験をする機会が失われ、日々の生活に新鮮味がなくなるので一日が早く過ぎるというのである。そういえば「今日も何をするでもなく終わったな」という会話が妻との会話に増えてきたかもしれない。

 ジムのランニングマシーンで走っている時、心身の調子が良い時は「もう5分過ぎた」と時間の進みが早いが、心身が不調の時は「エッ!まだ3分しか
はしっていない」と時間の進みが遅いと感じる。時間の進みの感じ方が心身の調子を測るバロメーターである。

 時間にまつわる経験談は書き出したらキリがない。古今東西の著名人も同じような思いを持ち言葉を残している。

『若い時は、一日は短く一年は長い。 年をとると、一年は短く一日は長い。』 フランシス・ベーコン (イギリスの哲学者・政治家)

『人生は退屈すれば長く、充実すれば短い』 シラー

『人生は、幸せ者には短く、不幸せな者には長ったらしい』 ギリシャのことわざ

『20歳の1年は20分の1である。60歳の1年は60分の1である』 ポール・ジャネー

『新しいものをどんどん知ったり、新しいものを見ると、時間は長く感じます。
 同じ経験したことや同じ見たことを繰り返していくと、時間は短く感るんです』 島田紳助

『人生は、地球上で過ごした年数で測られるのではない。どれだけ楽しんだかで測られるのだ』 ソロー

『遊ぶ時間を持ちなさい。愛し、愛される時間を持ちなさい。与える時間を持ちなさい。それは永遠につづく若さの秘密』 マザー・テレサ

『時間をゆっくり流す方法は、新しいことを始めるんです。今までやってない趣味や、会ってない人と出会うんです』 島田紳助

『一番大切なことのために、充分な時間とお金とエネルギーを使おう』 リチャード・ブロディ


 前置きがずいぶん長くなったが、1月の31日を迎えて「やっと1月が終わった!」とすごく長く感じたのである。結構刺激の多い月だったことは確かだ。
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 前川清の♪恋唄♪を聴くと

2023年01月30日 | 日記
 車で買い物に出かけた。ラジオのスイッチを入れると前川清の特集をしていた。彼の歌の中ではあまり歌われることのない♪恋唄♪が流れた。とても懐かしく感じた。

 この歌を初めて耳にしたのは朝明けやらぬ中を家に帰る車の中だった。世間でいう「朝帰り」だが艶っぽい話ではない。私が枚方市で勤めた1970年代中頃から、高校の新設が相次いだ。地元にできた新設校を育てようと「地元集中運動」が教職員組合や同和教育研究協議会を中心に取り組みが始まっていた。

 私は自分の進路を決める時には自分の意志を大切にして来た。そのために受験では数々失敗をしてきたが悔いというものはなかった。そういう私にとって「地元集中運動」のやり方は違和感だけしかなかった。大きなうねりの中で流されないようにするのが関の山だった。

 極力、進路担当者になることは避けてきたが、40代半ばともなると学校の事情で進路担当を引き受けざるを得ないこととなった。公立高校の出願期間中は夜7時頃から各中学校の進路担当者が出願状況を持ち寄り会議を開いて調整をした。締め切り前の大詰めには徹夜状態で会議が行なわれることが多かった。

 仮眠1~2時間で出勤して授業をするという生活は今考えると異常というほかない。ブラックそのものである。そういう帰り道聞いたのが♪恋唄♪であった。「いい歌があるから」とNさんから渡されたカセットテープを何気なくかけたのだが、睡眠不足と徒労感でいっぱいの心身にものすごくしみこんできた。車を停めて何度も聴き返したほどだった。

 この曲を聴くと当時の様々な思いや記憶がよみがえってきた。歌の持つ力かな?

 恋唄 前川清


 地元集中運動は20年余り続いて消滅した。第二次ベーブ―ム世代が中学生になった頃のことだが、大きな社会実験だったと思う。渦中にいた一人として教訓はしっかり心に留めておかなければいけないと♪恋唄♪を予期せぬ形で聴きあらためて思った。
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星田に残る家康ゆかりの場所へ久しぶりに

2023年01月29日 | 日記
 旧星田村には家康ゆかりの場所が3つある。こちらに住み始めた頃、史跡巡りに参加して巡ったが、印象に残ったこともなく、近過ぎるということもあり顧みることはなかった。今年の大河ドラマで家康が主人公になったということで、当のNHKはもとより民放まで「家康、家康」とにぎやかしい。この傾向年々ひどくなってきているように思う。情報過多症候群とも呼べる状態だ。と、ぼやきながら触発され、天気も久々好天なので気分転換がてら自転車でゆかりの場所を巡ってきた。

 先づ、家から自転車で10分足らず、星田妙見宮の向いにある「伝・家康ひそみの藪」へ。1582年6月21日。京都の本能寺に宿泊していた織田信長が明智光秀の謀反にあってこの世を去った「本能寺の変」。その本能寺の変発生の際に、織田信長の同盟者であった徳川家康は堺にいて明智謀反の知らせを知った家康は、超高速で自国の浜松に帰ろうとした。明智の軍勢に見つかると信長の同盟だった家康もきっと生命のピンチを迎えることになる。

 堺→浜松まで隠密に、そして速やかに移動するために選ばれたのが伊賀越えのルート。その時、交野で家康をかくまって、おもてなしをして脱出のサポートに尽力したのが
星田の平井家のご先祖様であった。迫るくるであろう追っ手から家康の浜松戻りをサポートするため、食事を提供して道案内をされたと言われている。当時、家康が潜んだという竹藪が「伝・家康ひそみの藪」として残っている。以前来た時は「どこ?」と思うほど荒れていて古い木札が1枚ぶら下がっていただけだったが、今は交野古文化同好会によって立派な案内板も立てられ、見違えるほど整備されていた。
  

 そこから妙見河原の桜道を抜けて星田の村中に入り、平井家の敷地の一角にある「神祖営跡之碑」へ。大坂夏の陣の時、星田の平井家が家康の陣営となり貢献したという先祖の威徳を偲んで、領主市橋長昭と星田村の平井三郎衛門貞豊が文化3(1806)年に建てたものである。
   

 最後は、平井家から自転車で3分ほどにある新宮山(今は、星田公園)の「旗掛け松跡」へ。大坂夏の陣の時、星田の平井家に家康が宿陣した折そのことを示すために家康の旗印である白旗を新宮山の松の木に掲げたという。

 新宮山は、標高65mの超低山。石清水八幡宮の分霊を祀ったところから新宮山と呼ぶようになった。頂上付近の一段高くなった所に明治の初めまで八幡宮があった。平成9(1997)年に星田公園として整備された。
  植林された松もずい分成長していた。  

 交野一帯は基本的には豊臣方である。その中で徳川を支援した星田村は特異な存在だったと思う。諸説ある中の一つに星田も加わっているが、大河ドラマで取り上げられるか否かちょっと楽しみ。

 伊賀越えについては、交野古文化同好会の定例勉強会「徳川家康伊賀越え迷走記」http://murata35.chicappa.jp/rekisiuo-ku/10-2/takao.htmlが参考になる。

 

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雪は魔術師

2023年01月28日 | 日記
 ありふれた光景を雪は見事に変えてくれる。25日(水)、27日(金)の2日間、朝、起きるたびに「雪は魔術師やなあ!」と思わず言いたくなる光景を目にして来た。2度ある事は3度ある。今朝も思いがけない光景に心動かされた。

 深夜から未明にかけて雪が降ったみたいで、新聞を取りに出ると木々の枝や葉の上にほどよく白いものが乗っていた。先の2日間とはまた違ういい感じだったので皆が起きるまでにカメラ片手にブラブラと町内を散歩した。

 近所のもう見頃を過ぎたロウバイも雪で化粧されると風情を感じた。


その隣のクロガネモチの赤い実も引き立っていた。


ゴミ集積場の奥の枯れ木も樹氷の林のように変身していた。


その隣のピラカンサの赤い実もクロガネモチのと負けず劣らずであった。


 朝食を終えた頃には日も上がり、すっかり雪も溶け平凡な光景に戻った。「早起きは三文の得」。一日のいいスタートが切れた。
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寒波緩まず

2023年01月27日 | 日記
 警戒していた25日(水)の朝は、思っていたほど雪は降らずホッと一息ついたが、今朝カーテンを開けると小雪が降りしきっていた。昨日で寒波の山を越したと勝手に思い、あまり天気予報をチェックしていなかったので不意を突かれた感じだった。急いで天気データをチェックすると昼頃までは雪マーク、昼過ぎから雨に変わり15時頃からは回復に向かうとあった。
 低気圧が太平洋上を通過するため、本来なら雨だが、上空に寒波が居座っているため雪になっている。気温の方は一昨日に比べれば下がっていないので生活には支障がない。

 ジムでも雪の話題が出たが、25日は近くのスーパー「フレスコ」では商品の納入が遅れ、生鮮品のコーナーは欠品でガラガラだったそうだ。車の免許を返上した高齢者が歩いて行くことができる唯一の店だけに慌てた人も多かったみたいだ。

 普段はあって当たり前のものが目の前から無くなると、物流の大切さを痛感するという人もいた。災害などによる欠品のことは度々ニュースなどで見聞きしてきたが、どうしても他人事のようにとらえてしまいがちだったが、目の前に空っぽの陳列棚を見るとしっかりと考えていけないと思ったそうだ。同感である。

 雪は予報より長く降り続き、雨には変わらず15時前に止んだ。その後は一気に天気は回復し夕方には日も射してきた。17時30分を過ぎても明るさは残っていて朝足止めをされていた犬の散歩でにぎやかだった。日が長くなってきたことを改めて実感した。

 仕事が休みだった息子は、京都に出かけ雪化粧の金閣寺などを楽しんで来た。「ニュースや新聞のまんまの金閣寺やった」と写真を見せてくれた。東南アジアからの旅行客の多さに驚いていた。

 今週いっぱい、寒波は緩みそうもない。
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