素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

片付けの日

2023年04月30日 | 日記
 無性に片づけをしたくなる時がある。今日がその日。月末ということもある。家の中に掛けている6つのカレンダーをめくったり、切り取ったりして5月に替えていくと「片づけ」気分が上昇する。

 4月は、気温の変化が激しくて服装も厚手のものもなかなか片づけることができなかった。暖房器具も同じ。日中はいいが夜になると少し暖房したい日がたびたびあった。ようやく「もういいだろう!」と踏ん切りをつけ各部屋にあったオイルヒーターや電気ストーブ、温風ファンなどを集めて埃をはらい、汚れを拭いて片づけた。収納スペースの関係で代わりにまだ少し早いが扇風機を取り出して各部屋に置いた。風薫る5月、まだ扇風機は居心地が悪そうだが、温暖化の時代、すぐに夏日到来となり忙しくなるだろう。

 次は、外仕事。つつじとカイヅカイブキの剪定をする。ツツジは花がまだ終わらない時に刈り込むのが最も理想的というアドバイスに従って毎年作業をしている。来年の花付きを想像しながらの作業は楽しい。庭師の人の「大切なのは想像力を働かせること」という言葉の意味がようやくわかってきた。

 最後は、書類の片づけ。5月に入ると税金関係の書類が届く。うっかりしていると古いものがどんどんたまってしまう。父親が亡くなった時に机を整理していたらその手の書類が束になって出てきた。几帳面な父らしいと思ったがこまめに処分していった方が良いとその時学んだ。

 何だかんだとやっていたら1日が終わった。リフレッシュして明日が迎えられる。
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昭和の日

2023年04月29日 | 日記
 「昭和の日」について内閣府の説明には「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」と記されているが、「天皇誕生日」の後「みどりの日」になり、「みどりの日」を5月4日にトレードして「昭和の日」とした経緯を見れば「ゴールデンウィークを維持するための祝日」というのが妥当である。

 「家族の中に昭和生まれの人がいたら、昭和のときの話を聞いたり、昭和によくやった遊びなどを子どもに伝えてみることも、昭和の日ならではの過ごし方かもしれません。」と言う人もいるが、来月15日94歳になる昭和4年生まれの私の母も昭和26年生まれの戦争を知らない私も、そして3人の子供(昭和51年、53年、58年)と考えると「昭和は長い!ひとくくりではできない!」という思いが強くなる。

 伊藤智栄さんは「土記」で、、元号が令和に改まった頃から「昭和っぽいね」という言い方が出てくると、相づちを打つ人たちも含めて、否定的な語感が強くなった。と指摘している。以前はレトロな趣味にほほえむニュアンスだったのが、うっとうしいものを迷惑がる感じになったと言う。

 昨日の新ドラマ「ペンディングトレイン」(金・夜10時・TBS)の第2話でも、杉本哲太演ずる昭和っぽさを代表するような中年の振る舞いに対して若者の1人から痛烈な言葉が浴びせられた。伊藤さんが、昭和に対して否定的な感じを受けた30~40代、平成の世に10年以上の社会経験を積んだ世代に昭和のイメージについて尋ねた結果をまとめているものと重なっているとドラマを見ていて思った。「土記」でこう書いている。

 『昭和世代を「いい気なもんだよ」と突き放している。複数の言い分をまとめれば、こうなる。

 高度経済成長で頑張ったんだろうけど、結局はバブルでダメにした人たち。何かにつけ夢を持て、努力だ、権力に物申せって言う。高度成長だって実は外国の戦争や貧困のおかげでもあったのに、自分たちは歴史上もまれな幸運に恵まれたという自覚が薄い。

 昭和は長すぎた。初めの20年は戦争と原爆。次の20年は復興と成長。残りの20年は欲望と狂乱。騒々しかった冒険劇の幕が下りると同時に、すべては崩壊した。

 平成は無責任なうたげの後始末を押しつけられた上に、説教と自慢を聞かされる。原発も少子高齢化も地方消滅も巨額財政赤字も全部、昭和の負債処理じゃないか。たまったもんじゃない。』


 江戸、明治、大正、昭和、平成、令和という時代の流れを繰り返し繰り返しいろいろな視点から考え続けることが大切かなと思う。そのきっかけの1つに「昭和の日」があると考えればいいかな。朝ドラの「らんまん」もそういう視点で見ると結構興味深い。
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「赤本が開く 教養の扉」

2023年04月28日 | 日記
 今日の毎日新聞朝刊の「週刊金曜経済・けいざい最前線」の欄を開くと
 「世界思想社教学社 上原寿明社長 赤本が開く、教養の扉 1954年創刊、今や378大学に拡大」
 の見出しが目に飛び込んできた。上原社長は入社して30年ほど赤本の編集に携わり、2010年に取締役に就任し、2014年から社長をされている。自身の経験もふまえ創業から75年となる世界思想社教学社のバックボーンについてのインタビューをもとに編集されている。

 私の頃は共通テストもなく、各大学それぞれの入学試験のみの大学受験であったが、今は制度も大きく変わり、ネット社会となり紙文化の出版業界は苦境に立たされている中で「赤本」が存続しているということが驚きだった。

 私は、千葉大学園芸学部造園学科だけを狙った一本釣りのような大学受験をしたので「赤本」が勉強の羅針盤だった。古典は「枕草子」に比重をかけ、地理では地形図の読み取りを鍛えた。2年間チャレンジしたが結果は不合格に終わったが「赤本」にはお世話になり、良き思い出として残っている。

 記事を読んでいて、単に、大学ごとに入試に出題された問題を集めた過去問集にとどまらず、大学受験の文化としても定着している理由が何となくわかったような気がした。

 先ず、創業のきっかけである。次のように話している。
「太平洋戦争の末期、創業者の高島國男は20歳の時に大阪で空襲に遭い、親戚がいた京都で家族を養う方法を探りました。なぜ戦争が繰り返されるのか、平和を築く仕事はできないか――。親鸞の思想や東洋的な死生観などを読み込む中で、学問の進歩と広い教養が人間を育て争いを抑止することにつながるという考えに至ります。
 敗戦直後は書籍が乏しく、国民は多様な思想に触れる機会がありませんでした。そこで高島は京都大学前に貸本屋を設立し、出版業を始めるにあたって世界思想社と名付けました。48年のことです。

 貸本屋で京大の教授や学生との交流が生まれ、その一人が日本の刑法学の基礎を築いた瀧川幸辰・元京大総長です。高島の理念に共感し、創業の翌年に「刑法読本」を出版。続いて教育部門の教学社を設け、高校社会科の副読本や資料集を刊行します。高校教諭とのつながりから大学入試の過去問集を出してはとの助言を受け、54年に「大学入試シリーズ」の刊行が始まりました。」

 そして、最初は京大、同志社大、立命館大、大阪市立大、神戸大の5大学を扱う3冊から始まった時は青や紫色などのさまざまな表紙だったが、主要な大学の過去問集がそろってきた1964年に書店の本棚で目立つようにと朱色に統一され「赤本」という愛称で呼ばれるようになるのだが、長く編集に携わった上原さんの思いについて次のように語っている。
「同じテーマの問題でも設問形式は大学によって個性が出ます。例えば東大や一橋大は伝統的に論述が基本。その場で考えて表現する力が問われます。
 入試問題は「これが分かる大学生に来てほしい」という大学側からのメッセージ。受験競争に勝つための道具ではなく、自らを成長させる知恵を得ていく糸口です。問題の背景に何が示唆されているのかを読み取ることが重要です。例えば、国語の読解問題は「こういう考え方に接してはどうか」という文献から抽出されていて、出題者はそれを糸口に教養を深めてほしいと願っています。
 正答率は気になるでしょうが、偏差値は受験が過ぎれば意味をなしません。しかし、教養は広げ深めることができ、社会に出てからも生きて働きます。人生は良いことばかりではありません。悩みを抱えて困った時に役立つ知恵を得る方法を学生時代に身に付けてほしいと思います。」


 おおらかな時代だったのか、千葉大学の2年間分の入試問題はその場で回収されず私の手元にある。地理の問題を改めて見ると上原さんの言葉に得心する。

 いいインタビュー記事だった。
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新緑の季節の中、竹だけは・・・

2023年04月27日 | 日記
 目に青葉の頃である。青もみじやメタセコイアなどの新緑がよく話題に登場する。先日の山田池公園でも「げんげ」「なんじゃもんじゃ」の他にもケヤキの新緑が目を引き写真に収めてきた。
 

 そんな中、竹林だけが異彩を放っている。恒例となった「ほっとニュース関西」の気象予報士坂下さんのクイズでもそれに関する問題が出題された。「春」という漢字のついた季語4つの中で、春の季語でないのはどれか?というものだった。正解は「竹春」だった。竹春は秋の季語である。

 若竹が夏の間にぐんぐん成長し、やがて親竹を越えるほどになり仲秋の頃には新旧の竹がともに青々と葉を繫らせるのである。この時期を「竹の春」と呼ぶ。

 それに対する春の季語は「竹秋」である。基本、竹は常緑だが、地中にタケノコが育つ頃にはその勢いが衰え、葉が黄ばんでくる。それが木々の黄葉に似ているので、「竹の秋」と呼ばれる。さらにタケノコが地上に現れる頃、古い葉を落とすので「竹落葉」という言葉がある。これは夏の季語である。

 私の住んでいる地域は、もともと竹林の多かった山を宅地開発したので周辺には大きな竹林が残っている。普段はあまり意識して見ていなかったが「竹春」を答えるクイズの後、意識して見るようになった。

 たしかに、新緑の中、竹林の部分だけは「秋」色になっていた。
 
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ちょっとだけ道を変えれば発見がある

2023年04月26日 | 日記
 ジムへ行くいつもの道が、工事のため通行止めになっていたので少し回り道をした。少しだけ道を変えただけなのに違う風景に出合った。

 1つは、ナニワイバラの花。楠葉に住んでいる妻の知人のフェンスいっぱいにナニワイバラが枝を伸ばし、花の時期は通る人が立ち止まるほどだと聞いた。山草会の会員で水彩画も趣味にしているKさんはスケッチに行ったほどだ。昨年挿し木を妻がもらってきて我が家の門扉にからませえている。まだ花が咲くまで成長していない。話には聞いているが私はまだ見たことがないので来年あたり花をつけるかと楽しみにしている。

 そのナニワイバラを見事に咲かせている家があった。知人宅は赤レンガ造りだから映えるだろうなと容易に想像できた。
 

 もう1つは、ツツジの群生。いつもは住宅に遮られて見えなかったが斜面にツツジが咲き誇っていた。サクラの新緑と青空とのコントラストが見慣れたツツジだがひと味違った。
 たまには違った道を走るのもいいと得をした気分になった。 
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