素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「余録」のいろはカルタで2023年を振り返る

2023年12月31日 | 日記
「余録」のいろはカルタでその年を振り返るのが大晦日の楽しみである。今年の漢字・創作四字熟語と続いてきた言葉遊びの最後である。
お気に入りの5つを選んだ。

①【い】一寸先にクマ
 野生動物との共生の難しさを考えさせられた1年だった。冬眠しないクマも現れていると報じられていた。私の町内の児童公園もイノシシの出没で立ち入り禁止となった。これからますます深刻になる予感がする。

②【ぬ】抜け道の先に裏金プール
 政治と金の問題は繰り返し繰り返し出て来る問題だ。何だかんだ言っても「金」が物を言うのかとつくづく思う。政党助成金って何のためにあるのかなと素朴な疑問が湧く。

③【よ】 世のなさけ頼みの博物館
 法隆寺がクラウドファンディングで運営費を募ったことにも驚いたが、同様に博物館も維持運営するための費用の捻出に四苦八苦しているというニュースには文化国家として情けないなあという思いを強くした。

➃【な】なんでもチャットGPT
AIの分野も新しい世界に突入したという感がした。私の生活圏ではほぼ影響のないことではあるが、孫の世代の事を考えるとどういう詩風になっていくのだろうかと心配になる。

⑤【て】てんてこ舞いナカード
 新しい制度を始めるのは大変なことだとは分かるが、それでも「泥縄の対策」といわれても仕方がない混乱ぶりだ。カードを取得して3年余りになるが、便利になったと思ったことがない。竜頭蛇尾にならなければ良いのに。

 一度、自分のいろはカルタを作ってみたいものだ。無事に1年を過ごすことができたことに感謝。

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「環境に転嫁 罪に背」

2023年12月30日 | 日記
 今日の朝刊のトップの見出しは「環境に転嫁 罪に背」である。京アニ放火殺人事件の裁判を追っての特集である。タイトルは「人を動かすナラティブ」

 弁護士と青葉被告との質疑の内容、それを受けての被害者参加制度を利用した犠牲者の母親による陳述をふまえ記者はこう書いている。

「・・・公判終盤を迎えてもなお被害者意識や環境要因を強調した。それはどこか、居心地の良い”被害者物語”に閉じこもり、自らの”罪”に背を向ける姿にも見える。弁護側による被告人質問は、そんな”殻”から抜け出し、十分に”罪”に向き合うよう促すものでもなかった。・・・」

 ふと思い出したのが「まんがでわかる 7つの習慣」(まんが:小山鹿梨子・監修:フランクリン・コヴィー・ジャパン 宝島社)の中の【「インサイド・アウト」で世界を見る】という章に書かれていることである。

 『他人の言動を見て「間違っている」と、つい批判したくなるときがある。だが、本当は相手のほうが正しいのかもしれない。人は誰しも、過去の経験や知識を参照して世界を見ている。どんなに「自分は客観的な人間だ」と信じる人でも「事象を自分が見たいように見ている」という呪縛からは逃れられない。

 この真理に気付かない人は、自分の正しさを疑わないから、物の見方が狭い。仕事で失敗すれば、職場の雰囲気や上司のせいにする。自分が理解されないことを人のせいにして、相手を責める。結果、ますます周囲から避けられて、成長の機会を逃してしまう。これは、「See(物の見方)⇒Do(物の見方から来る行動)⇒Get(行動の結果、得るもの)の循環が悪いせいだ。いい結果を得たいなら、出発点である「See」を変えるしかない。

 自分は正しい、相手が間違っているというパラダイムを持ち続けていたら何も変わらない。他人や組織、環境など自分の外側(アウトサイド)が変わらないと結果も出ないと思うのが「アウトサイド・イン」という考え方だ。そうではなく、自分の内面(インサイド)、つまり考え・見方・人格・動機が原則に合っているかに気を付け、行動を変えることで結果を引き寄せようとする意識が大切だ。この姿勢を「インサイド・アウト」といい、コヴィーは7つの習慣の前提として重要視している。』


 最近、環境のせいにする風潮が多く見受けられる。間違っているとは思わないが、「だから」ではなく「それでも」と生きて欲しいと思うのである。

 

 
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死刑制度

2023年12月29日 | 日記
 36人の人が犠牲になった2019年の京都アニメーション放火殺人事件の裁判が9月に入ってから続いている。その様子が報じられる機会も多くなった。自然と死刑制度について改めて考えさせられる。死刑制度につて是か非かと問われても私ははっきりしていない。

 どちらかと言えば、「人を殺したものは自らの生命をもって償うべきである」「死刑制度の威嚇力は犯罪抑止に必要」「被害者・遺族の心情からすれば死刑制度は必要」などという思いから死刑制度を是とする方に70%寄っていた。
しかし、今は死刑制度を非とする方に70%寄りつつある。大きな理由は2つある。

 ①死刑は一度執行すると取り返しがつかない。裁判には誤審の可能性があることが避けられない。冤罪の再審の道がいかに困難かは袴田さんの事例で身に染むようになってきた。

②死刑に犯罪を抑止する効果があるか否かは疑わしい。むしろ、ここ最近の無関係な人を巻き込む凄惨な事件を見ると「主張を通したいから死刑になってもいい」「死んでもいいから誰彼構わず殺したい」「死にたいけど誰かを道連れにしよう」などなど考える自暴自棄な者たちにとって「死刑制度」というのはむしろ喜ばしいことではないか?と思ってしまう。「自殺したいが為に他人を巻き込み、死刑を望む」といった人間には、被害者・遺族に被害弁償をさせ、生涯、罪を償わせるほうが抑止効果になるのではないか。

 簡単に割り切れない悩ましい問題だが考え続けなければならないだろう。
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ジム終い

2023年12月28日 | 日記
 今年最後のジムである。年の瀬だという実感が湧いていないのは私だけだと思っていたら、ジムでの会話を聞いていたらそうでもないことがわかった。

 いろいろと要因はあるが、みんなの話をまとめると3つぐらいにまとめられる。
1つは、暖かい日が多いということ。この1週間、寒さで身を縮めることがなく、トレーニング室では暖房がないほうが快適なぐらいだった。

2つ目は、自民党の裏金問題に検察の捜査が入ったり、ダイハツが検査の不正が発覚し全国すべての工場の稼働を停止するなど1年をゆっくり振り返るというより現在進行形の大きな事件を追うのにマスコミも騒々しい。

そして3つ目は、まことにローカルな理由。12月中旬にあった、10日間のジムの臨時休業である。年末年始の休業といっても12/29~1/3の6日間だから感覚的には相当長い。それがこのタイミングであったので体内時計が狂ってしまった感じであった。

 とにもかくにも1年間無事に通い続けることができたことに喜び合い、新年には元気な顔で再会することを願い別れの挨拶を交わした。
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今年最後の満月に誘われ高倉のとんどへ

2023年12月27日 | 日記
 今年最後の満月は美しかった。風もなく空気も澄んでいてナイトウォークには絶好の条件がそろった。夕食後、住宅の合間から顔を出す満月を見ながら、オイゲン・キケロの軽やかなピアノ演奏を聴きながら散歩した。
     
 どうせ歩くのだったら、少しだけ足を延ばして寝屋川市の高倉とんどのライトアップを見てこようと思い立った。家からだと30分余りである。今度の干支「辰」をどう表現しているのかも興味があった。

 府道20号線を忍ケ丘駅方面に歩いて行くと讃良川と交わる所を左に折れて下りていくと田んぼの中に龍の姿が浮かび上がっていた。
 

 3つの部分に分割して大きさを表現していた。うまく考えたと感心した。いろいろな角度から写真を撮って楽しんだ。
   

1月14日の17時30分頃に火が入れられ焼かれるようだ。


 

 
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