素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

緩衝国家の宿命

2022年03月08日 | 日記
 昨日のブログで、「大国間のはざ間にある国の持つ宿命」という表現をしたが、毎日新聞のweb記事《「プーチン悪玉論」で済ませていいのか»の中で、国連メンバーなどとして世界各地で民兵の武装解除などを進めてきた国際法と紛争解決のプロである東京外大教授の伊勢崎賢治さんの話の中に、緩衝国家という言葉が使われていた。

 大国間のはざ間にある国は、大国間のクッション役の国家としての役割を担っているというのだ。それはその国の国民の意思や善悪を超えた宿命だという。

 伊勢崎さんは、プーチン氏の行いはひどいし、早く権力の座を去って欲しいと思っているが、現実の戦争は「善」と「悪」で簡単に割り切れるものでないと指摘する。

 国連憲章では「武力の行使」を禁じているが、そこに「個別的あるいは集団的自衛権の行使は認める」という例外がある。この「集団的自衛権の行使」が大国に悪用されてきた歴史をしっかり踏まえておかないといけないと言う。

 今回のプーチン露大統領の屁理屈は次のようになる。「ロシアはウクライナからの独立を主張する「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」を2022年2月に国家として承認し、同盟を結んだ。その2国からの要請に応じ、ウクライナの攻撃からこれらの政権を守るために武力を行使した。侵略ではなく国連憲章が認めた集団的自衛権の行使だ。」

 民間人に犠牲者が出るなど、弁解の余地のない蛮行だが、残念ながらこの屁理屈は国際法上は成り立ち得るのだという。このジレンマを解決する糸口を探っていかないといけないと言う。

 今は善玉の役割になっている米国などNATO諸国による2001年のアフガニスタン侵攻も集団的自衛権の行使が名目だったし、米国が化学兵器を使ってまで軍事介入したベトナム戦争も南ベトナムへの集団的自衛権の行使が理由になされたし、結果的に大量破壊兵器を保持していた物証が見つからず、大義名分すらなかった2003年のイラク侵攻など、大国による集団的自衛権の「悪用」は数多い。

 日本も米中露のはざ間にある緩衝国家という自覚が必要だ。緩衝国家としての振る舞いには智恵がいると痛感している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする