素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

休暇村・帝釈峡へ

2013年03月31日 | 日記
8時30分に家を出た。日曜日ということもあり、トラックの数が少なく非常にスムーズに走ることができ9時には吹田ICより中国自動車道に入ることができた。何度も走った中国自動車道だがこんなに車が少ないのは初めてである。米子道との分岐を過ぎると貸し切り状態に近くなった。自分の運転だけに注意をはらえば良いのでストレスが少なく楽であった。
11時45分に大佐(おさ)SAで昼食。そこで帝釈峡の情報を得る。上と下があり、休暇村は下帝釈峡のエリアにあるという。そこで東城ICで下りて上帝釈峡へ向かった。上帝釈峡は帝釈川に沿った遊歩道を歩き石灰岩でできた岩壁や巨岩の風景を楽しむ。秋の紅葉がシーズンでオフの今は訪れる人もなく貸し切り状態だった。そこから車で20分、休暇村・帝釈峡には14時40分に入ることができた。
休暇村は神龍湖の畔の小高い山の上にある。湖までは約1.2km山を下らないといけない。時間があったので行ってみることにした。ここもシーズンオフですべての施設が閉じていて、またまたまた貸し切り状態を楽しむ。紅葉の頃を想像しながら枯れ葉の敷き詰められた山道を歩くのも良い。枯れ葉の中に早春の山野草を見つけるのも楽しい。休暇村の敷地の林に作られた自然の小径という周回路も歩いたので結局2時間余りのウォーキングとなった。十分帝釈峡を味わった。雄橋という名所だけ見逃したのは残念であった。明日は世羅高原に向かう。さて花と巡り合えるか?というところ。
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妙見河原は花見客でいっぱい

2013年03月30日 | 日記
 交野八景に1つである妙見河原の桜、先日写真を撮りに行った時は咲き始めであったがあれよあれよという間に満開となった。明日天気は下るという予報が出ているから今日が花見客でいっぱいだろうと「広報かたの」から頼まれていた花見風景を撮りに出かけた。予想通りの人手であった。
    毎年のことながら変わらぬ風景になぜか心がなごむ。写真を撮った後はジムへ出向きかなり追い込んだトレーニングをした。明日から1泊で帝釈峡、世羅高原に行くので来週の交野チャリティーマラソンを考えると今日あたりで目途をつけておく必要がある。

 60分間走で10.5kmランニングマシーンで走ることができたので上出来である。今回は高速道路がほとんどの旅である。往路は中国自動車道を走り、休暇村帝釈峡泊。復路は世羅高原から尾道へと出て山陽自動車道をひた走りの予定。
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日本大学文理学部教授・広田照幸さんの「これが言いたい」に我が意を得たり

2013年03月29日 | 日記
 最近の教育行政の流れには「これでいいのかな?」という思いを強く持つ。しかし、それを表現するのはなかなか難しいものがある。そんな時昨日の毎日新聞朝刊にあった「これが言いたい」という欄にあった広田教授の『画一化の懸念が大きい安倍内閣の教育改革・教育者の主体性を奪うな』は心のうちを代弁してくれているように思えた。



 まもなく新年度が始まる。現場は新しい体制を1週間足らずで作り上げなければいけないから政治の動きに目を向けている余裕はないだろう。またいまの状況ではこの大きな流れを変えることは至難の技。広田さん同様、ため息をつくしかない。せめて心ある現場の人たちが呑み込まれて個々の持っている良さを失わないことを祈るのみである。

 京都マラソン以来初めて本格的に外を走った。心身ともに回復するのに3週間かかった。家から寝屋川公園を周回して戻ってくる新・10kmコースプラス30間分フリージョギングで汗を流した。桜、ユキヤナギ、レンギョウ、コブシとコース沿いには次々と満開の花が応援してくれていてとても気持ちよく走ることができた。久し振りだったので不安はあったが思いのほかイーブンペースで楽に走ることができた。10kmのタイムは1時間03分12秒であった。引き続き30分間走ができたことが収穫。
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交野花巡り②・くろんど園地の水芭蕉も見頃

2013年03月28日 | 日記
 最近は走ることや自転車が中心の生活になっていた。歩くといっても大阪市内の街歩きである。自然の中をゆったりと歩いてみたいという声が身体の中から聞こえてきた。昨日、このあたりの自然に詳しい人と偶然ジムで一緒になり、くろんど園地の水芭蕉が咲いているという情報をもらった。

 気分転換に歩いて行ってみようと思っていたが予報のようには雨が上がらず、しつこく降ったりやんだりを繰り返していた。昼近くまで迷っていたがジムでランニングマシーンに乗る気持ちも起きないし、かといって雨読という心境でもないので霧雨になったのを幸いに「春雨じゃ濡れてまいろうぞ」と出かけることにした。ビニール傘では様にならないが気分はそんなところ。

 京阪私市駅前までが30分、そこから月の輪の滝を通りくろんど池へ向かうハイキングコースを歩く。月の輪の滝周辺の巨岩と尺治川の水音は浮世を離れたという気分にさせてくれる。ウグイスの鳴き声がさらに加わったので天気の悪さなど気にもならなくなった。
  私市駅前から40分ほどで園地案内所に到着。小休憩して掲示してある情報を見る。水芭蕉の他にショウジョウバカマの花も沿道に咲いているとあった。50mほど管理道を進むと道は二股に分かれる。右はくろんど池へと続く。水芭蕉のある八つ橋は左に続く管理道をそのまま歩いてキャンプ場に入る。そこを抜けて200mぐらいである。20分ぐらいで到着した。
   ラクウショウの景観も独特のものがある。今まで見に来た中では一番見頃やなと感じる水芭蕉たちであった。
     大きな目的は果たしたし天気の回復も遅いので帰りはさっさと戻ろうと思って歩き始めたが、やはり生来の寄り道癖が出てきた。340度のパノラマが楽しめる展望台の標示板を見た瞬間に絶対今日は展望できないとわかっていても⇒に従って『そよかぜの路』にそれた。必然的に山登りコースとなる。展望台は案の定霞んで眺望は開けない。ここは下見ということで晩秋から冬にかけて空気の澄んだ日に再度来ることに決めた。馬酔木のきれいな花を見つけた。万葉時代から歌に詠まれてきたものである。
  
  磯の上に生うる馬酔木を手折らめど 見すべき君がありと言はなくに(万〈二〉166) 

 展望台から『そよかぜの路』を下って往路で休憩した園地案内所に戻った。そのまま私市駅に向かうつもりでいたが、案内地図を眺めていたら慢性病になっている〈同じ道を戻りたくない病〉が発症して、私市カントリークラブの中を抜けて磐船神社からほしだ園地に入りやまびこ広場を抜けて妙見東に出るコースに変更した。15時過ぎだったので16時30分には家に帰ることができるだろうとふんだ。

 そのおかげでもないがくろんど園地では見つけることができなかったショウジョウバカマをやまびこ広場の手前で見つけることができた。
  
 声明のきこゆる如き谷間(たにあい)に ショウジョウバカマ花つけいたり (鳥海昭子) 花言葉は希望。

 予定より少し早く家に着くことができた。休憩等含めてトータル3時間56分余りの花巡りであった。



 
 
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別のピラティスのレッスンにも初参加

2013年03月27日 | 日記
 今年に入ってから、月曜14時から50分間「はじめてのピラティス」というスタジオレッスンにできるだけ参加している。マラソンももちろんだが長い目で見た時に筋力トレーニングだけではなく体幹いわゆるインナーマッスルも意識してトレーニングする必要があると思ったからである。本などで自己流に行なったりはしていたが姿勢とか呼吸とかよくわからない部分もあるし、苦手な部位のトレーニングはついつい避けてしまうきらいがある。

 用事があったりして毎週コンスタントに参加とはいかないが回を重ねてくると何となくイメージがつかめてきた。同じレッスンに参加している人やスタッフから水曜日にあるピラティスも参加してみてはすすめられていた。難点は時間である。12時20分から50分となると1日のリズムのつくり方が難しくなる。そこまで無理して受けなくてもいいと参加していなかった。「月曜よりは少しきついが、絶対に参考になるので惜しいなあ」と言われていた。たまたま今日は12時20分に行くことができるようになったので参加してみることにした。

 「バランスピラティス」というレッスン名で月曜日とは違う方の指導である。ポイントの押さえ方が上手く、呼吸のタイミングや姿勢の取り方などであいまいだった所がよく理解できた。ただバランスとなっているだけあって難度は高い。プルプルと体がよく震えた。

 急所をしっかり押さえつつ初めてで思うように動けない者を励ましサポートしてくれる居心地の良いレッスンを受けながら「教える立場にある人は、時々学ぶ立場に身を置くべきだ」ということを強く思った昔のことを思い出した。

 私が自動車の運転免許を取得したのは勤め始めてからであった。結婚して子育てをしながらの共働き生活を考えた時、自分が同じような境遇で育ってきた経験も思い起こし、自動車の免許は絶対必要だと思った。それまでは自動車が嫌いだったが、生活のためにはそんなこと言ってられないと勤務後の夜や休日を使って自動車学校へ通った。

 今はずい分変わったと聞くが、当時は自動車学校へ行く人の数が多く、横柄な教官がたくさんいた。高圧的な物言いは当たり前という感じであった。一歩まちがえれば命に係わることだから厳しくても仕方がないかと思っていた。知識が乏しくて、不慣れで自信のない人間にとって教える人の言動がどのように影響するのかということを学んだことは貴重だった。

 10名ぐらいの教官に教えてもらったがその中で2名の方だけが感情的にならず、初心者のわからない部分や心理状態をよく踏まえて的確に指導してくれた。この経験は、自分自身が教える立場でわからない生徒、できない生徒、失敗をしてしまった生徒を前にした時にどうすべきかを決める参考に大いになった。

 それ以来、逆の立場に身を置くことは心がけてきた。「教える」ことと「学ぶ」ことは不即不離の関係である。

 「教える」立場に立つことがなくなった今、「学ぶ」ということに身を置くことの意義は『脳へ新しい刺激』をもらうということになるのかなと考える。他にも自分の経験を絶対視したり美化するということを戒めてくれるということにもつながるかもしれない。

 水曜日12時20分は厳しいが、できるだけ参加していこうと思った。
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