素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

雨の多かった5月も終わり

2011年05月31日 | 日記
 カラッとした五月晴れの日が少なかった。雨が多く、晴れたと思ったらひどい黄砂に見舞われて視界不良であったり、やけに蒸し暑かったりした。いつもの年より外に出る機会が少なかったように思う。その分、ジムで安定したペースでトレーニングができて、体重は減少した。去年も5月には大きく減少しているのでリズムのようなものがあるのかもしれない。

   1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月   
2010 80.5 80.6  80.4 80.7  79.7  79.3 79.0  79.0  79.4  78.1  77.9  76.9
2011 76.3 76.3   76.5  76.5  76.1

 今日はジムは休館日。昨日はかなり負荷のかかるトレーニングをしたので午前中は家の雑用と読書で過ごす。今は北山修さんの「劇的な精神分析入門」と姜尚中さんの「姜尚中の政治学入門」がメインになっている。両方とも歯ごたえがあり、消化するのに時間がかかる。午後、1時間余りブラブラと歩く。星田駅の裏手付近で足を踏み入れたことがない場所があったのだが、ひょんな事から迷い込んでしまった。そうなると道の続き具合が気になるというしだい。今まで歩いていた道と新しく見つけた道がつながるとなぜか快感。

 田んぼは田植えの真っ最中、あぜ道でアザミを見つけた。
 高校生の頃にもどって、ついつい歌ってしまった。

♪ 山には山の 憂(ウレ)いあり
   海には海の 悲しみや
   まして心の 花園に
   咲きしあざみの 花ならば

♪ 高嶺の百合の それよりも
   秘めたる夢を 一筋に
   くれない燃ゆる その姿
   あざみに深き わが思い

♪ いとしき花よ 汝(ナ)はあざみ
   心の花よ 汝はあざみ
   さだめの道は 果てなくも
   香れよせめて わが胸に
   
いい気分転換になった。
 



     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「一病息災」か

2011年05月30日 | 日記
 糖尿病を患った医者の克服の話が新聞にあった。その中で“一病息災”という言葉が使われていた。明鏡国語辞典によると“一つぐらいは病気をもっている方が無病の人よりも健康に気を配るので、かえって長生きをするということ。→「無病息災」のもじり。近年さらにもじって「多病息災」とも。”

 できることなら無病が一番だが、それでも生身の体、どこかは不調になる。その時にネガティブに受け止めるのではなくポジティブに立ち向かっていくための心の持ちようを示した言葉として考えたい。

 私の場合は、小2の時に急性腎炎で1ヶ月入院、小5の時に右手骨折、小6の時に肺のX線撮影でひっかかり半年余り精密検査のため運動停止、中2の時に右大腿部剥離骨折で1ヶ月入院という経験が健康というものを強く意識させてくれた。特に、2度の入院生活は大きい。総合病院であったからさまざまな病気、怪我の人たちのことを見聞きすることになる。

 健康に悪いであろうと思われることは極力避けるようになった。基本的には自然治癒力を信じる。いかにすればそれを高めることができるかということにはアンテナをはっている。

 ウォーキングを意識的に始めたのは、働いていた時毎年あった検査で中性脂肪の値が異常に高かったから。退職してからは検査をしていない。なぜなら、改善に必要なことはすべて実行しているからである。今もし、異常な値が出てもこれ以上できることはないと思っている。大切なことは継続していくこと。

 ひざの違和感のおかげで意識的になったのが関節の可動域をひろげること。特に、股関節が大切だとわかってきた。だから、生活のいろいろな場面でストレッチをふくめ可動域を広げる動きをしている。

 “こころ”の問題では呼吸法の大切さを感じている。もう一度、家にある呼吸法の本を参考にいろいろ試している。

 その時に、肝に銘じているのは“特効薬、即効薬はない!」ということ。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初めて、生のオペラを観る

2011年05月29日 | 日記
 《スルッとKANSAI》のプレゼント企画で関西二期会の第74回オペラ公演のチケットが当たったので、尼崎にあるアルカイックホールに出かけた。台風2号の接近であいにくの空模様ではあったが、私はさほど苦にならない。オペラを生で観るのは初めてである。
  以前住んでいた家の隣に、定年退職をした老夫婦がいた。奥さんの口癖は「うちは年金生活なので・・・」旦那様は古武士風の風貌で、落語の林家彦六(先代の正蔵)によく似ていた。勤めていた頃の習慣が続いているのか、日曜日の午前中はきまってオペラのレコードを聴かれていた。

 9時過ぎになると朗々とした歌声が流れてくるのである。オペラになじみのなかった私には、その響きがとても高尚なものに聞こえ、敷居の高さを感じた。ある日、庭で万年青の世話をしているご主人にそのことを話したら、風貌通りの生真面目さで「そんなことはないですよ。色恋沙汰の話が多く、メロドラマです。」と答えてくれた。むずかしい顔からメロドラマという言葉が出たことにインパクトがあった。オペラを観ながら老夫婦のことを思い出した。

 この歌劇「つばめ」も典型的な色恋沙汰の物語。全3幕であらすじは

  第1幕 パリにあるマグダの豪華なサロン
 昼下がり、この家の女主人マグダはパリでも屈指の銀行家ランバルドの愛人である。毎日のように常連が集まって詩人プルニエを中心に機智に富んだ会話を楽しんでいる。詩人プルニエはピアノの前に座って新作の詩「ドレッタの夢」を披露するが完成に至らなかったので、マグダが後を継いで仕上げる。
 
 女心の機微を知るプルニエはマグダの手相を見る。それによれば彼女は再び恋を得るが、その恋はつばめのようにしばらくロマンの里を飛び回ったあげく、彼女が馴れた昔の生活に戻ってくることになろうという。
 そこヘ銀行家ランバルドの旧友の息子ルッジェーロがランバルドに会いに来た。マグダはこの青年に強く心ひかれ、パリに来たのは初めてかと尋ねると、ルッジェーロはパリに対する憧れを熱く語る。
 
 そしてルッジェーロはランバルドからパリの最初の夜を楽しむ場所を教わって書きとめる。
客が帰った後、マグダは詩人プルニエの謎めいた占いについて考えこみ、テーブルの上にルッジェーロが書きとめたクラブの名を見つけて何か思いついたように急いで自分の部屋に入る。

 一方、マグダの小間使いリゼットは、プルニエに誘われてマグダの豪華な衣服を無断借用し、連れ立って出て行く。代わってお針子姿で出て来たマグダは鏡を見て自分の変装に満足し心はずんで出かける。

第2幕 ブリエの舞踏会場
人々が食事や踊りに興じている。ルッジェーロが一人、ぽつんとテーブルについている。言い寄る女たちに口をきこうともせず、あたりを物珍しそうに跳めている。お針子姿でやって来たマグダは、たとえみすぼらしい格好をしていてもその美しさに男たちは黙っていない。彼女はルッジェーロの横に座るが、彼はそれがまさかマグダとは気付かない。意気投合した二人は踊り、踊り疲れて席に戻るが、名前を聞かれてマグダは出まかせにポーレットと答える。マグダは初恋のような甘い感覚にひたり、ルッジェーロの胸に抱かれて唇を重ねる。
 
 一方、詩人プルニエに伴われて来たリゼットはそこに主人マグダを見つけて驚くが、マグダの目くばせでそれと察したプルニエはその場をごまかす。やがて銀行家ランバルの姿を見つけたプルニエは気をきかせてリゼットとルッジェーロをその場から連れ出す。

 思いがけぬ所でマグダを見つけたランバルドは「一緒に帰ろう」と彼女を誘うが、マグダは「私は恋を見つけたからここに残る」と答え、ランバルドは「後悔しないように」と忠告して去る。人気のなくなったホールでマグダとルッジェーロは固く抱きあい出て行く。

第3幕 リヴィエラの海岸にあるマグダとルッジェーロの別荘
 数ヶ月後、二人はここで甘い生活を送っている。ルッジェーロは親元に金の無心をして、本気でマグダと結婚しようと両親に承諾を求める手紙を出したことを語る。マグダは自分の過去を打ち明けるべきかどうか悩む。そこへ詩人プルニエと小間使いリゼットが来る。歌手を志して小間使いをやめたリゼットは夢破れて再びマグダのもとに戻ることを決め、マグダはプルニエから銀行家ランバルドがいつでもパリに戻って来るようにと言っていることも知る。
 
そこへ母親からの結婚承諾の手紙を受け取ったルッジェーロが喜び勇んで駆け込んで来る。

 しかしマグダは自分が汚れた身の女であることを告白し、清らかな乙女を装って彼の花嫁になることは出来ないと涙を浮かべ、自ら見いだした生涯のただ一度の愛を捨ててルッジェーロのもとを去って行く。


 とにかく、甘美な旋律に酔わされてしまった。原語上演・字幕付だから良かったと思う。もし、日本語で歌っていたら酔うことはできなかっただろう。

 終演後、外に出ると風雨がさらに強まっていて、台風の接近を予感したが、帰宅して天気予報を見ると温帯低気圧に変わっていて肩透かしをくらった感じである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風2号がやって来るとは

2011年05月28日 | 日記
 来ることはないと高をくくっていたが、天気予報のたびに予想進路が近畿に向かう方向になってきた。今朝の予報を見て「こりゃやばい」と思い始めた。最接近は30日になりそうなので少しホッとした。夕方には沖縄が暴風域に入った。修学旅行シーズンで、大阪の中学でも沖縄に行く学校が増えているので大変だなとつい思ってしまう。

 今日は一日中雨。特に予定もない。4日間ほどジムで負荷の高い運動を続けたので今日は休養することにした。映画にでも行こうかと思ったが初日なのでやめた。結局、片づけをすることにした。本に関しては、新しく買った分だけ今までにある本を処分していくということを決めているので10冊ほど選ばないといけない。選んでいるとついつい読み直すものもあったりして時間がとられる。

 昼過ぎに久しぶりにTVの吉本新喜劇を見る。“笑いのツボ”が押さえられていて単純に笑わせてもらった。こういう時はもうけたと感じる。笑いはエネルギーを与えてくれる。夕方までの片付けがてきぱきとはかどった。つまみ食いのように本を読んでも結構、脳は満杯になる。

 夜は、山登りの番組を見ながら気分転換。しばらくは好天が期待できないみたいである。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝の目覚めはホトトギスの鳴き声で

2011年05月27日 | 日記
 しばらく前までは朝目覚めると「ホ~ホケキョ ケキョ ケキョ ケキョ」というウグイスの鳴き声が聞こえたが、最近は「ケキョケキョケキョ」という鳴き声がする。

『鳴きかたの下手なウグイスやな』と言うと『野鳥の会の人に教えてもろたけど、あれはホトトギスやて』という答え。

『そうか、目に青葉 山ホトトギス 初鰹っていう季節やもんな』 『もう梅雨入りしてしもたけど』

『世間では“テッペンカケタカ”とか“トッキョキョカキョク”とか“イッピツケイジョウ”と聞こえるというけど、ウグイスの鳴きぞこないがピッタリやな』

『渡り鳥で、自分の巣を持たず、ウグイスなどの巣にちゃっかり卵を産むみたいやな』 『子育て放棄の元祖かいな』

『なぜか昔から人気のある鳥みたいやね。万葉集にも150首余り詠まれているみたいやで』 『きれいな鳴き声とは思えんけど』

『現れるタイミングかな。季節を感じる鳥とでもいうか。♪卯の花の匂う垣根に ほととぎす早もきなきて しのびねもらす 夏は来ぬ♪』

『小学生の時、“しのびねもらす”がよくわからんで、オシッコをするんかと思てたわ』『鳥のフンを頭に落とされた人多いもんな』

『情緒のない話や。本当は“忍音”で、その年のホトトギスの初めての鳴き声のことで、最初やから、けたたましくなくひそやかなんやて』

『全然関係ないけど、明治の頃の言葉はむずかしいやろ、もう1つ勘違いしてたのは浦島太郎の歌。』

『♪むかしむかし浦島は♪かいな』『そう、後半や♪帰ってみれば こは如何に 元いた家も村もなく♪のところ』

『てっきり“怖い蟹”が元いた所にうようよ歩いていたと古文を習うまで思っていたんや』『日本語はむずかしいからな』

『それはともかく、平安の頃、ホトトギスの“忍音”(=初音)を誰よりも早く聞こうと夜通しでがんばるなんてこともあったみたいやで』

『枕草子にあるんや。橋本治さんの“桃尻語訳”やけど、第38段に鳥のことがつらつら書いてあって、その最後に《ほととぎすは今更言うことなしね。いつの間にか得意顔で鳴いてて、卯の花や花橘なんかに止まって見え隠れしてるのも、シャクにさわるぐらいの風情よねェ。五月雨(さみだれ)の短か夜に目ェ覚まして、「なんとかして人より先に聞きたい」って待ちわびてて、真夜中に鳴き出した声が洗練されてて魅力のあることったら、本気で放心状態・・・もうどうしようもないわね。六月になっちゃえば声も出さなくなっちゃう。もうぜェーンブ、言うだけ野暮よ。夜鳴くものは、なんでもかんでもエライの。赤ン坊だけはそうじゃないけど》とある。こんなの読むと人間って変わらへんなと思う』

『それ以外でも古今集や新古今集にもそれぞれ40首余りホトトギスは詠まれているみたいやから、日本人にとって特別な何かを感じさせる鳥やったんかな』

『信長、秀吉、家康の性格をあらわしている有名な川柳も、鳴かないホトトギスをどうするかやからね。何でホトトギスなんやと思ったりもしたが、やっぱり鳴き声の存在感は鳥の中では別格なんや』

『これは理屈ではなく、事実やから。朝、心して聞かないとな』『そうそう、織田家の末裔で、フィギアスケートの選手に織田信成くん。』

『ちょっと信長のイメージとは真逆な感じの』『名前につぶされず、よくがんばっているやん』

『鳴かないホトトギスをどうするかということで、彼自身が詠んだのが“鳴かぬならそれでいいじゃんホトトギス”

『オリンピックで金メダルをとったら、三人の天下人に加わって後世に残る句となるかな(笑)』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする