交野市古文化同好会が平成20年に“交野郷土史かるた”の改訂版を発刊した。それを契機に今月から、毎月1回(全8回)かるた札にちなんだ史跡などへの見学会を行なうことになった。歴史解説ボランティアと一緒に2時間30分ほどの歴史ウォークである。
今日は第1回で“神宮寺地区”である。広報「かたの」の取材をかねて同行した。参加者は30名弱。
昭和29年に神宮寺で天平時代の礎石が発見され、古代の交野に大きな寺が栄えていたことが確認された。そして1441年に作成された「興福寺官務牒疎」という書物に河内交野郡の開元寺の記述があるので、天平時代に開創された開元寺の跡とされていたが、最近の研究で、元になった書物が偽文書の可能性は高く信ぴょう性が疑われている。
ただ、開元寺という名称は別にして、神宮寺に天平時代創建と推定される寺院があり、交野山には鎌倉・室町時代に山岳仏教寺院があったことは事実なので調査研究は専門家にまかせわれわれは素人の強み、この地に立ち遠い昔に思いを寄せていきましょう。というガイドの平田さんのスタンスには共感。
かるたに描かれている土器は尖底土器といい、神宮寺遺跡から破片がたくさん見つかっている。また、表面に楕円形・斜格子目文・特殊菱形文・市松文などの模様のついた土器も出てきた。この模様が入った土器は発見当時は全国に前例がなかったので、発見発見された地名をとって「神宮寺式土器」と命名された。現在は縄文時代早期を代表する土器の一つとして全国的に有名である。平田さんは、こんな石碑1つじゃなくて、もっと説明図なども入れて知らせないといけないと力説されていた。
最後は、七夕で有名な“機物神社”みんなの後にいたら話しかけてくる老人いた。宮司さんで95歳になるとのこと。3つのおもしろいものをみんなとは別に案内してくれた。平田さんには悪かったのですが得した気分になりました。とても元気なのには驚きでした。
物事を決める時のくじ。絶対開かない超頑丈な鉄製の筒に番号が刻印してある鉛の棒が入っている。葉に特徴のある“梶の木”。楠に自然に寄生した蘭(デンドロの仲間)。一番の見頃であった。
のんびりと2時間30分あまりかけてまわってきた。よく行っている場所なのだが視点を変えると新しい発見がある。一昨日、昨日の疲れが少々残っていて広報のしばりがなかったら出かけていなかっただろう。しばりのおかげで新しい出会いを楽しめた半日であった。