素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

まるで遺跡発掘です

2010年05月31日 | 日記
床が低い上、見えない部分の床下に廃材の柱を使っていたため悲惨です。夕方までには何とかなおりそうです。その後、片付けになるので大阪には深夜に帰ることになるかな。

  

 3時半には2つの部屋に真新しい畳を敷き、大工さんと一緒に大きな家具のセッティングをすることができた。父も母もヤレヤレといったところ。大工さんが帰った後、こまごましたものを戻し、5時30分にはとりあえず私がいなくても何とかなるところまではできたので、夕食後19時30分に家を出た。22時20分に着くことができた。
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30年来の汚れと格闘

2010年05月30日 | 日記
今日は大工さんは休み。明日、畳をとり床を張りかえる部屋のタンスのたぐいを移動した。30年たまったほこりをはらい、カビをとりネズミのあけた壁の穴を修理したりと結構大変である。

 白ありも調査してもらったが、幸い姿がなかった。
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実家に帰る

2010年05月29日 | 日記
田舎の母から帰って来て欲しいとの電話があったので、土、日、月と帰ることになった。用事は二つ。一つは、庭の梅の木の実をちぎること。もう一つは、2つの部屋の床が腐ってきて抜けるおそれが出てきたので大工さんに直してもらうため、荷物を片付けたりするため。

取り敢えず今日は梅の実をすべてちぎったみかんを入れる段ボールに1箱と半分。木の枝も切ったので結構大変だった。雑草も伸びてきているのでついでに引いたら足腰がだるい。

梅の実は10kgもあった。

梅の木も無駄な枝がなくなり、スッキリした。
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第1回“かるた・歴史ウォーク・神宮寺地区編”に同行する

2010年05月28日 | 日記
 交野市古文化同好会が平成20年に“交野郷土史かるた”の改訂版を発刊した。それを契機に今月から、毎月1回(全8回)かるた札にちなんだ史跡などへの見学会を行なうことになった。歴史解説ボランティアと一緒に2時間30分ほどの歴史ウォークである。

 今日は第1回で“神宮寺地区”である。広報「かたの」の取材をかねて同行した。参加者は30名弱。

    

 昭和29年に神宮寺で天平時代の礎石が発見され、古代の交野に大きな寺が栄えていたことが確認された。そして1441年に作成された「興福寺官務牒疎」という書物に河内交野郡の開元寺の記述があるので、天平時代に開創された開元寺の跡とされていたが、最近の研究で、元になった書物が偽文書の可能性は高く信ぴょう性が疑われている。

 ただ、開元寺という名称は別にして、神宮寺に天平時代創建と推定される寺院があり、交野山には鎌倉・室町時代に山岳仏教寺院があったことは事実なので調査研究は専門家にまかせわれわれは素人の強み、この地に立ち遠い昔に思いを寄せていきましょう。というガイドの平田さんのスタンスには共感。

 

 かるたに描かれている土器は尖底土器といい、神宮寺遺跡から破片がたくさん見つかっている。また、表面に楕円形・斜格子目文・特殊菱形文・市松文などの模様のついた土器も出てきた。この模様が入った土器は発見当時は全国に前例がなかったので、発見発見された地名をとって「神宮寺式土器」と命名された。現在は縄文時代早期を代表する土器の一つとして全国的に有名である。平田さんは、こんな石碑1つじゃなくて、もっと説明図なども入れて知らせないといけないと力説されていた。

   

 最後は、七夕で有名な“機物神社”みんなの後にいたら話しかけてくる老人いた。宮司さんで95歳になるとのこと。3つのおもしろいものをみんなとは別に案内してくれた。平田さんには悪かったのですが得した気分になりました。とても元気なのには驚きでした。

  

物事を決める時のくじ。絶対開かない超頑丈な鉄製の筒に番号が刻印してある鉛の棒が入っている。葉に特徴のある“梶の木”。楠に自然に寄生した蘭(デンドロの仲間)。一番の見頃であった。

 のんびりと2時間30分あまりかけてまわってきた。よく行っている場所なのだが視点を変えると新しい発見がある。一昨日、昨日の疲れが少々残っていて広報のしばりがなかったら出かけていなかっただろう。しばりのおかげで新しい出会いを楽しめた半日であった。


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大阪市の渡し船巡り

2010年05月27日 | 日記
デジブック 『大阪市渡し船巡り』


 大阪市の渡し船のことを見聞きすることが増えた。道路地図でチェックして、ケーニスベルグの7つの橋ではないが、8つの渡し船を使って一筆で周ることはできないかと考え た。桜島駅から出発。千島公園の昭和山ゴールのコースが一番合理的に周ることができると地図上では目途がたった。

 後は、渡し船の待ち時間でどれ位のロスが出るのかがわからない。7つの渡し船は15分毎または20分毎の運行なので何とかなると思ったが、木津川渡だけは45分毎となっていたので少し不安はあったが、出たとこ勝負!と運にまかせて行くことにした。

 すべての川には橋がつくられたのだが、大型船の航行のため橋脚が高く、歩行者や自転車のための道もつくられてはいるのだが長いスロープを上がる必要があり、老人や婦人には厳しいので渡し船が存続している。

 実際、いってみると本当に生活の中に根付いていると実感できた。独特の空気感はその場に立たないとわからないと思う。工場群と近代的な橋や高層ビルの景色。ゆったりと航行する大型船。川から吹く風の感触。トラックの行き交う音。工場から聞こえる金属音。渡し船のエンジンの音などなど五感でたくましい人間の営みを感じた一日であった。
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