素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

今年もあと1日。[大晦日定めなき世の定めかな] 井原西鶴

2009年12月31日 | 日記
 一昨日、昨日とは打って変わって、風の強い冬型の気候である。片づけをするにしてもこういう気候だと動きも鈍くなる。志摩の実家では穏やかな日和の中で外周りの仕事が充分できたのでラッキーであった。

志摩のほうでは土手の陽だまりには水仙がたくさん花をつけて咲いていたが、我が家の庭ではチラホラと咲いてきた程度である。冷たい空気によく似合う花である。花言葉は「自己愛・崇高」

 紅白歌合戦も部分部分を観ては、なぜかしらけてしまって、静かに物思いにふける大晦日となった。

 満月が くっきり浮かぶ 大晦日 過ぎ去りし日々 鬱々たどる

  

 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年もあと2日

2009年12月30日 | 日記
 いかだ荘の部屋の窓の真正面の方角から朝日があがると宿の人から聞いていたので楽しみにしていたが、あいにく雲が多くてほんのわずかな時間、雲の合間からの朝日を見るにとどまった。しかし、朝焼けの空と海は美しかった。的矢湾越しに見える太平洋の水平線上をゆっくりと進む大型貨物船の姿もなかなかよかった。

 的矢は、江戸時代、風待ちの港として栄えた。当時、航海の途上で命を落とす者もあり、船乗りの無縁仏が数多く葬られているそうだ。古来、漁民の信仰をあつめ海難事故に霊験があるといわれているのが、昨日、立ち寄った青峰山正福寺である。


50年ぶりに訪れたが、山門の威風堂々とした様には感激した。昔は、寺内の燈明岩で、毎夜護摩を焚いて海上安全を祈ったという。今も、海が荒れて闇夜で一寸先も見えなくなったとき、ここから光が差して遭難船を導いてくれるといわれている。

お寺の金堂(本堂)に掛けられている絵馬のほとんどが舟の絵馬で、海運の安全や豊漁を祈念するものである。

 その中に、父方の叔父の奉納した額もあった。若いときに「五十鈴丸」という漁船で遭難をし、海上を漂流して奇跡的に救助されたことに感謝して奉納したものである。最近、新聞で志摩の歴史を回顧するシリーズの中でとりあげられた記事のコピーも横に掲げられていた。

 
 
     私の生まれる前の話で、何回か話の中では聞いていたが、実際の絵馬を見ると、九死に一生を得た叔父の人生をあらためて考えてしまった。

 生きていく 人それぞれに歴史あり その真の重さ 誰にもわからず

 的矢から鵜方にまわり買い物をしてもどる。12時30分ごろに弟が来たので、バトンタッチをして大阪に帰る。道はスムーズに流れ16時30分に到着。 

 


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年もあと3日。的矢のいかだ荘へ

2009年12月29日 | 日記
あと片付けも予定通り終わったので、3時30分過ぎに家を出て、青峰山に立ち寄って、的矢のいかだ荘へ行った。的矢牡蠣のフルコースを食べて両親と一泊して、一足早く、行く年来る年を祝った。10種類の牡蠣の料理に堪能した。

生に焼き フライ土手鍋 おろし牡蠣 いかだ荘にて 英気養う
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年もあと4日。帰省する。

2009年12月28日 | 日記
雨あがり 片付けの待つふるさとへ 仕事納めの日 渋滞もなく

  9時過ぎに出発した。西名阪はいつもより少し車の数が多いとは思ったが、スムーズに走り12時30分に到着した。 さすがに、内宮に向かう道は車の列ができていた。おかげ横丁は賑わっていることだろう。

 伊勢道路を通り、神路山を抜けると、日ざしが柔らかくなる。志摩は温暖やなとあらためて思う。

 早速、障子を貼り替える仕事が待っていた。一段落したので伊雑宮まで歩いてみた。ちょうど陽の落ちる時であった。隣にある御田に向かって一心に祈る人がいた。神々しい風景であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年もあと5日

2009年12月27日 | 日記
 正月を迎える準備として欠かせないのが葉牡丹の寄せ植え。町内を歩いていると年末が近づくにつれて、家々の玄関先に葉牡丹の寄せ植えが増えていくのである。それぞれの家の流儀があるみたいで、大きさ、種類、組み合わせる花木などがすべて違う。それらを見ながら歩くのもまた楽しい。

 妻は、毎年、お世話になった家に自分でつくった葉牡丹の寄せ植えを持って行くことにしている。その数が少しずつ増えている。今年は10鉢以上は持って行った。それらを通じて新たなネットワークができていくように思う。明日、志摩の実家にも蘭の花、パンジーの苗とともに寄せ植えも持っていく。花言葉は“祝福”“愛を包む”



 今日から、全国高校ラグビーが始まる。昨日の新聞に、各代表校の25名の登録メンバーが掲載されていた。島根県の石見智翠館(旧:江の川)には最後に担任をした北本くんの名前があった。171cm、91kgとなっていたからずい分がっちりとたくましくなったようだ。高知県の高知中央には、3年間数学を教えた別役くんの名前があった。1年から登録メンバーに入っているのを見て、親元を離れ不慣れな環境でよくがんばったとほめてあげたい。

 花園で 楕円の球に 夢を賭け ぶつかり合う 若き魂

 顧問をしていたサッカー部の連中も それぞれの進学先でがんばっていると伝え聞いた。全国高校サッカーの京都府代表は立命館宇治が勝ち取ったが、3年間苦楽をともにしてきた玉田くんが1年生ながら、先発要員として活躍しているようで、とても嬉しい。特に、天王山であった対伏見工戦では、虎の子の1点を彼のへディングシュートで奪った。いいシーンであった。

http://www.youtube.com/watch?v=jdAACQbyxsA←クリック
 
 中学校の3年間は成長の過程で、一番変化の激しい時期である。それゆえに心身ともに不安定である。「だから おもしろい」とよく生徒には話した。「偶然の出逢いで、人生の多感な時期の君たちと付き合えることがとても楽しい。」「これでいいのだという正解はない。すこしだけ長く生きてきた者として、何か手助けできれば幸せである」と思ってきた。

 「3年間はできるだけのことはする。しかし、卒業して新たな道を歩みだしたら、中学のことは忘れるぐらい“今”をがんばってほしい。私もまた、新しい生徒との生活をがんばるから」というようなことをよく言って、卒業させてきた。

 今の私には、次の生徒はいないので、少しだけ余裕を持って、教え子の活躍を見守ることができる。

  



 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする