素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

第一回「交野ゆめとぴあ」の取材へ

2014年08月31日 | 日記
 「交野元気ッズ☆来夢音」主催・「交野夢工房ぴあぴあ」共催で★交野ゆめとぴあ★というイベントが企画された。8月10日(日)にゆうゆうセンター4F多目的ホールで開催する予定だったが、台風接近による暴風雨警報発令のためゆうゆうセンターが閉館となり延期されることになった。

 8月最後の日曜日、「交野いきいきマルシェ」が開催されているいきいきランドを使えば一石二鳥ということで開催が決まった。その連絡が入ったのが5日ほど前、妻の方は別の用事が入っていたので久しぶりに広報レポーターの代役で私の出番となった。

 いきいきランドの野球場では、大阪府総合体育大会の軟式野球の試合が行われていた。競技人口は多い割に硬式野球の陰に隠れている軟式野球だが、第59回全国高校軟式野球選手権の準決勝で4日間にわたるサスペンデッドゲームを中京(東海・岐阜)と崇徳(西中国・広島)が戦ったことで今、注目の的となっている。時間が早かったのでしばらく観戦をした。昨日までで45回ゼロが並ぶほど点が入りにくいものかと思っていたが、確かにボールが飛ばないし、打球も遅い。投手と守備がしっかりしていれば点は取りにくいとわかった。ソフトボールと同じ理屈である。準決勝は延長50回、3対0で中京が勝ち、その2時間30分後に行なわれた決勝では待ちくたびれた三浦学苑(南関東・神奈川)を中京が2対0で降し優勝した。延長50回にも驚いたがその日の内に決勝をしたことにはさらに驚かされた。

   「交野いきいきマルシェ」について、いつも取材に行っていた妻から「だんだん店も少なくなり、活気がなくなってきた」と聞かされていた。ドーム前の広場に行ってみるとテントの数も多いし、活気ある子どもたちの声が聞こえてくる。「結構、にぎやかにやってるやん」と近づいて行ったら、マルシェのほうはどんよりした空気がただよっていた。活きの良かったのは「子ども株式会社」のテント群であった。
 
    大学祭の模擬店の小学生版という感じ。「交野いきいきマルシェ」を活性化の起爆剤となるか今後の活動に注目である。

 目的の「交野ゆめとぴあ」はドーム2Fのサブ・アリーナである。本来の企画は午前、午後にわたるプログラムであったが、予期せぬ変更のため半分くらいの規模に縮小されていた。
 12時15分から1時間ほどはワークショップ。風車づくり、紙ヒコーキづくり、アートバルーン、焼き板などのコーナーがあり親子連れが思い思いに楽しんでいた。
    自分の子育て時代のことなどをふと思い出しながら写真を撮った。13時15分から「ゆめとぴあ」の企画の目玉、音楽劇「めっきらもっきらどぉんどん」である。10年間にわたり主に子どもミュージカルに取り組んできた経験を発展させ新たに、交野市教育委員会が進める「本の森プロジェクト」に賛同して絵本を題材とする「音楽劇」に取り組み始めた。その記念すべき第1回の発表である。

 絵本を繰り返し読み、その世界を製作・役者・表現チームにわかれ表現方法を考え、まとめていったという。子どもたちの自由な柔らかい発想で創られた楽しい舞台であった。
  

 暑さを覚悟していた8月はあっけなく終わったという感じ。猛暑日ゼロというのが大きかった。8月といえば、朝、夕の花木への水やりにウンザリするのが通常だが、朝夕どころかほとんど水やりをしないで終わったような気がする。水道代の請求が来たらよくわかるだろう。
 
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食欲益々旺盛、ひとまわり大きくなった『亀蔵』

2014年08月30日 | 日記
 『亀蔵』の水槽の水は2週間ごとに替える必要がある。水槽が大きくなった分大変である。その間『亀蔵』には一時避難をしてもらうわけだが、外の水道を使うので近くに置いてあるジョロの中がずっと避難場所であった。ところが8月初めに替えた時ジョロの取っ手が邪魔をして『亀蔵』がスムーズに入らなくなった。大きくなったことを実感した。

 その後は、古い洗い桶を避難場所にしているが、持ち上げた時手にズシリと重みを感じるようになってきた。エサは朝、夕2回、数分で食べきる量を目安に与えていたが、8月になってから徐々に1回に与える量が増えている。以前であれば食べ残しがあったと思われる量もぺろぺろとまたたく間にたいらげてしまう。かといって無秩序に増やすこともできないので「まだいける」とアピールしてくるが量は制限している。

 玄米をつきに近くのコイン精米機にいくのだが、精米機の機械音が鳴り始めると7~10羽スズメがどこからともなく寄って来る。機械音⇒くず米というパターンが長年の生活で出来上がっているのだろう。私もそうだが、たいがいの人は精米中のひまな時間に床にこぼれているコメを備え付けの箒で掃き出すことをする。それらを的確にスズメたちは拾っていく。エサにありつけるパターンがしっかり組み込まれているのである。人間で言えば生活の知恵だ。『亀蔵』も同じで、朝、私が部屋のカーテンを開け始めると「さあ食事だとばかり」水槽のふちにそって泳ぎ回り、時々、水中から首を出して「まだか、まだか」と待ち受ける。この時ばかりは日ごろの用心深さもなく私がエサを入れるのを待つ。
 そして、エサが入るといったん水中に入り後は狙いすましたように次々と口の中に放り込んでいく。以前であれば一粒づつしか無理であったが、ちかごろは2,3粒いっぺんに食べる。早く食べ終わるはずだ。人間だったら「よく噛んで食べなさい」と注意される勢いである。
   食べつくしたことがわかると植木鉢でつくった亀石の上に上り日光浴タイムとなる。
 去年は冬眠のことを知らずに秋が深まってきてからの食欲不振、行動の鈍さにとまどったが、今年は冬眠に入るまでの時間をいとおしく思いながらつき合うことができる。
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昼は寝屋川公園20km(4km×5)ラン・夜はモーツアルト

2014年08月29日 | 日記
 「8月の終わりには20kmを走っておきたい」ということを望んではいたが、残暑の厳しさにまず無理だろうと思っていた。しかし、昨今の涼しさに「走れるかも?」と思うようになった。ゆっくりでもいいから長い距離を走った時の現時点での身体の状況をつかんでおけば9月、10月のコンディションづくりのイメージが湧く。

 残り少ない8月の中では今日がベストの日だと思ったので、去年の5月12日(2時間06分14秒)以来およそ1年3ヶ月ぶりに寝屋川公園の4kmコースを5周する20km走に挑んだ。目安は時速8kmのペースで2時間30分。夜に枚方市民会館でのコンサートの予定があるのでスタートは13時過ぎにした。普通ならば30℃を越える気温となる時間帯だが今日は初秋を思わせる空気の中、暑さを感じないで走ることができた。問題は足のスタミナである。

 1周目は27分40秒、2周目は28分56秒、3週目は29分37秒とジリジリペースダウンしながら30分(時速8kmのペース)以内を保つことができた。4周目、5周目は失速感はなかったが、30分47秒、31分22秒と足がの重さはいかんともできなかった。計2時間28分52秒は上出来であった。ちょうど走り終わってから自転車で家に帰る途中からポツポツ雨が当たり出した。「こんなこと天気予報で言ってなかったぞ、ほんまに近頃の天気はわけがわからない」とブツブツ愚痴る。シャワーを浴びる頃には本降りの雨。 さすがにエネルギーを使い果たした感じで、その後は何もする気が起らなかった。

  19時からの公演、桂米團治の案内でモーツアルトの5歳、8歳、22歳、母の死、父の死、35歳など人生の区切りにできた音楽を聴きながらモーツアルト35年の波乱の生涯に思いを馳せた。

 モーツアルトの有名な歌劇「フィガロの結婚」を上方落語に転化させ「おぺらくご」なるものを創作するぐらい、クラシック音楽、特にモーツアルトに造詣が深い米團治、舞台からは思い入れの強さがビンビン伝わってきた。

 疲れた身体に音楽が心地よいマッサージとなることも今日の新発見。

 
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京都島屋・竹久夢二展へ

2014年08月28日 | 日記
 大正ロマンを代表する詩人画家・竹久夢二(1884~1934)の生誕130年を記念した竹久夢二展が京都島屋で昨日から始まった。9月8日(月)までである。二人とも予定が入ってなかったので例のごとくアサヒメイトの無料特典を活用することにした。今日の仕事はこれだけなので急ぐ必要はない。七条通りに近い西本願寺の駐車場に車を停めて、四条河原町の島屋までブラブラ歩きをする。
  今回の展示会は夢二の美人画だけではなく、商業美術や出版の世界でも卓越した能力を発揮した幅広い活動にも視点を当てている。同時代にパリで活躍したロートレック(1864~1901)との対比も試みていて見ごたえがあった。
  初期から晩年までの代表作をはじめ、ゆかりの作家の作品や資料など約200点の展示を見ながら、3年余り前に九州のバス旅行で柳川に立ち寄った時に出会った*夢爺*こと安達敏昭さんのことを思い出した。2011年12月1日の旅先からのブログに書いている。 12月6日のブログにその時のデジブックがあったので懐かしく見た。その時に購入した安達さんが自費出版された『夢二の旅』も読み返してみた。展覧会と重ね合わせると夢二の世界が広がった。
 帰りは錦市場商店街を見て行こうということになった。大阪の黒門市場と同様に年末には必ず買い物客でごった返す様子が映し出されるが、通り抜けたことはなかった。思っていたより細い通りで長い商店街だった。京の台所といわれているだけのことはあった。試食と買い物を楽しんだ。観光客の多さには驚き。
   大安という牡蠣専門店では店先でイワガキがむかれていた。「どこのもの?」とたずねると「鳥羽から」と返ってきた。「やっぱりそうか」と妙に納得。鳥羽で食べる夏の岩ガキは濃厚で美味だった。
 持参した雨傘も使うことなく、例年なら残暑の厳しさに辟易する京都市内だが汗一つかかずに町歩きを楽しむことができた。
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秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる

2014年08月27日 | 日記
 平安時代初期の歌人・藤原敏行が立秋の日に詠んだ歌、『秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる』は季節の変わり目の日常のちょっとした変化をシンプルにとらえたもので記憶に残っている歌である。

 今朝新聞をとりに外へ出た時に空気のさわやかさを感じた時、夕方に「まだこんな時間なのに陽が落ちている」とふと思った時にこの歌が頭に出てくる。

 朝食後、妻が「セミが静かになってきた」と言った途端に、ミンミンゼミやアブラゼミが鳴き出した。「ああうるさい。いやみなセミや聞くだけで暑くなるわ」とぼやく。「久しぶりに安定した天気になるみたいやからセミもがんばっているんやで」と私。「そういえばツクツクボウシはまだやな」と妻。
「そんなことないで久保池沿いの道を歩くとツクツクボウシが主になっている。」と返すと「体操教室は8月中休みやから、あちらの方へは行かへんからな」と妻。そこには本当かいなという?が含まれている。その時である。ものすごく近い場所で♪ツクツクボウ~シ ツクツクボウ~シ・・・♪という鳴き声が始まった、それこそ「セミ来ぬと 目にはさやかに見えねども ツクツクの声にぞ おどろかれぬる」である。どうやら窓のすぐ近くにあるムクゲの木にとまって鳴いているようである。おかげで妻は「ほんまやな」と納得した。私はたまたま近くにカメラがあったのでその姿を撮ろうと、そっと窓を開け、鳴き声のするムクゲの枝を見たが姿が見えない。声はすれども姿は見えずである。観察していると1サイクル鳴くと枝を少し移動してから鳴くということがわかってきた。5サイクル目になった時ようやく姿をはっきりとらえることができる位置になった。
 存在を十分アピールできたと思ったのか写真を撮り終わった後の6サイクル目の鳴き声はなかった。

 時間にするとわずか5分ほどの出来事であった。それもあって今日は一日中敏行の歌が頭の中でグルグルまわっていた。
 
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