素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

11月の終わりとは思えない暖かさ

2011年11月30日 | 日記
 少し動くと汗ばむぐらいの暖かさである。11月の平均体重は微増で終えることができた。12月で平均体重の比較は終わりたいと思う。記録しつづけたことで体重管理のポイントなどがだいたいわかったつもり。12月は明日から3泊4日の旅行、月末近くには2泊3日での帰省と体重管理にとっては難敵が2つ控えている。75kg台を記録できれば気分良く今年を締めることができるのだが・・・さて?

 
   1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月   
2010 80.5 80.6  80.4 80.7  79.7  79.3 79.0  79.0  79.4  78.1  77.9  76.9
2011 76.3 76.3   76.5  76.5  76.1  75.9 75.7  75.7  75.8   75.2  75.4

 明日は新大阪6時45分集合である。 
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『ポッカリ月が出ましたら』

2011年11月29日 | 日記
朴慶南さんの『私たちは 幸せになるために 生まれてきた』を読み終えた。20のエッセイ1つずつに“願生”という生き方:苦しくてもつらくても、自分の人生を正面から引き受ける決心をする。自分を害したり、抑圧するものがあれば、それと向き合って状況を変えるように努力し、誰もが最良の自分を生きられるような世の中をめざすために、また生じる縁を善縁とするために、自ら進んで人生のスタートラインに立つ。が詰まっていた。

 その中で、“ナントナク明日ガタノシミ”で登場する親友と“慰霊の鐘が鳴るお寺”でふれられている大川常吉さんのことが15年ほど前に読んだ『ポッカリ月が出ましたら』の第一話と第三話で紹介されていたので、もう一度読み返してみることにした。当時気がつかず、スルーしていたことが見えてきた。本のタイトルが中原中也の“湖上”の最初の一節からとり、中身より先に表題がきまり、そこから“月の満ち欠けに合わせるように、7つの物語を綴った”というはじめにの部分もそうである。当時の私は夜空を眺めた時、オリオンやカシオペアに目が行き、月にはとんと無頓着であった。今は違う。何故なのかは説明できないがさまざまな出会いの結果だろう。

 中原中也は「汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる・・・・・・・」しか知らなかった。自分の中に欠けていたものが1つ埋まると嬉しさを感じる。また、そういう機会を与えてくれた人に感謝する。この連続が楽しい充実した人生を送ることかと思う。
 
   湖上
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう。
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。

沖に出たらば暗いでせう、
櫂(かい)から滴垂(したた)る水の音は
昵懇(ちか)しいものに聞こえませう、
――あなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を。

月は聴き耳立てるでせう、
すこしは降りても来るでせう、
われら接唇(くちづけ)する時に
月は頭上にあるでせう。

あなたはなほも、語るでせう、
よしないことや拗言(すねごと)や、
洩らさず私は聴くでせう、
――けれど漕ぐ手はやめないで。

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう、
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。


 明後日より3泊4日で、九州方面のツアーに参加する。ツアーは運転手、ガイド、添乗員、参加者などとの一期一会の楽しさがある。また、今までの九州旅行でもれた所(柳川、西渓公園、黄金山、竹田・岡城祉、九重“夢”大吊橋、菊池渓谷、高千穂峡、国東半島など)が数多く含まれるツアーなので新たな自然風土との出会いも楽しみにしている。

 旅の伴に、キョンナムさんの本も加わった。
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朴慶南(パク・キョンナム)さんと再会

2011年11月28日 | 日記
 再会といっても実際にお会いしたわけではない。正確にいえば朴さんの書かれた本との出会いである。15年ぐらい前になるだろうか、『私の好きな松本さん』という本を通じて朴さんと出会った。市井で誠実に生きる人との出会いを静かな語り口で平易な文章で書かれていたが、心に
暖かさと元気を与えてくれた。取り上げているテーマは重いものであるが朴さの筆にかかると消化の良いものとして入ってくる。続いてすぐに『ポッカリ月が出ましたら』も読み終えた。

 ところが、その後朴さんに関する情報が私の前から消えた。当時は今のようにパソコンで検索するというシステムも進んでいなかったので梅田などに出かけた時に大きな書店で探すのだが見つけることはできなかった。もう、執筆活動をやめてしまったのかなと思うようになり、いつしか気にかけなくなっていた。

 しかし、先週の日曜日の書評欄に朴さんの本が取り上げられていた。『私たちは 幸せになるために 生まれてきた』という本である。すぐに取り寄せて土曜日から読み始めている。“願生”(がんしょう)という仏教用語をテーマに、朴さんが出会ってきたいろいろな人たちの人生や話を紹介する形で、四季折々のうつろいとともに静かな語り口で書かれている。

 本の中でわかったことだが、1995年の12月に突然病に倒れ、1ヶ月余り集中治療室で生死の境をさまようという経験をされている。ちょうど私が朴さんの本に出会った頃なので、情報が消えたのもそのことも関係していたのかと思った。

 3日間で、ほぼ読み終わっているが心にじんわりと沁みてくる感じは15年ぐらい前と同じである。永平寺の機関誌『傘松』の2009年11月号から2011年8月号まで連載されたものをまとめられたものなのでタイムリーな話題も多く興味深く読み進んできた。俳優・滝田栄さんとの出会いも書かれているが、ちょうど“三蔵法師の天竺展”の時の特別講座で滝田さんの話をうかがう機会があった。その時の内容を思い浮かべながら読ませてもらうことに不思議な縁というものを感じた。
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深北緑地へ

2011年11月27日 | 日記
 午前中は選挙に行ったり、12月の予定を調整したり、片付けなどで過ぎてしまった。ジムは休館日なので、午後は久しぶりに寝屋川公園でも走ろうかと思っていたが、昨日、ジムのランニングマシーンで、60分10km+8分1kmをこなしたので体が“走りたくない”と言ってきた。

 中途半端な時間だったので“じゃ自転車で深北緑地に行ってみよう”と急きょ方針変更。外環を車で走ているのでると深北緑地の横を通るのだが中に入ったことはない。外環沿いに土手があり桜並木になっているので中の様子はわからない。「桜はきれいと耳にするけど、一度行ってみないと」と横を通るたびに妻は繰り返していた。運動と下見をかねてちょっとのぞいてこようというところである。

 四条畷と野崎の間にあるが、四条畷の中心部に入ると、メインストリートだが道は狭い。昨日の話ではないが、自転車で走るには神経を使う。予知能力とゆずりあいの心が必要。30分余りで着くことができた。
思っていたよりも奥行きがあり、広々としていた。子供のための遊具施設もロケット広場、とりで広場、恐竜広場と名づけられた三ヶ所に工夫されたものが設置され、日曜日ということもあるが家族連れでにぎわっていた。
 園内の道路やテニスコート、球技広場に沿ってメタセコイアやモミジバフウなどの背の高い木々が植えられていて秋の彩を楽しませてくれた。もみじの日本的な風情とは違う雰囲気もまたいい。
  

マウンテンバイク、BMXやスケートボード、ローラースケート専用の広場もあり技を磨く若者が多くいた。芝生広場では思い思いにスポーツを楽しむ姿が見受けられた。
 さくらの園に隣接するバーベキュー広場では“ホーッ!”と感心するぐらいたくさんのグループ、家族が食べたり、飲んだりにぎやかにしていた。

 さくら並木のある土手から外環に出て帰ったが、夕日もなかなか美しかった。ただ来る時とは違い帰りは上りが大半なので倍近く時間がかかり、とっぷり暮れてしまった。
  府営の緑地公園はそれぞれに特徴がありおもしろい。

 オリンピックアジア最終予選の対シリア戦を見ていたら、8時ちょうどにテロップが流れ府知事に松井氏、市長に橋下氏の当選確実、維新圧勝と出た。開票率0%での結果に拍子抜け。サッカーは接戦で面白かったので救われた。
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自転車のマナー

2011年11月26日 | 日記
 最近、交差点で警察官の姿を良く見かける。車関係ではなく自転車への警告、取り締まりではなかろうか。近頃、ブレーキをはずしたピスト自転車による事故のことがクローズアップされている。

 自転車の走行に関して、従来からある法的な規制を厳格に遵守させるとともに新たな規制を設けようとする動きが加速している。しかし、歩行者を守るため規則通りに歩道から自転車を締め出すと、車道での自転車の安全がおびやかされるという悩ましい事態があちこちで生じている。

 私の日常生活での移動手段は歩きと自転車と自動車をがほぼ同じ割合であるので、それぞれの立場での“こうあればな”という思いがよくわかる。道というのは、更地に計画的につくられたものではないのが大半である。したがって広さやまわりの条件はまちまちである。

 そこを、一律に法律などで規制しようとするとかえって危険が増大する場所も出てきたりして新たな問題が生じる所が出てくるのは至極、当たり前のことである。かといって、今のようにブレーキなしの自転車で速度をあげて走り回るということを野放しにしておくこともできない。頭の痛い問題である。

 そのことで思い出すのが、昨年の2月19日に大阪天満宮から熊野街道に入り住吉大社まで歩いた時のこと

 3つ目は、阪堺電車上町線の[北畠]と[姫松]間の道路。天王寺駅前から阿倍野筋を線路を真ん中に見て歩くのだが、そこはどこにでもある普通の路面電車の走る風景。[松虫]の手前で電車道とは離れ、再び[北畠]の手前で合流する。そこからの一区間の道路の様子が「なんやこれ!?」と思ってしまった。表現がむずかしいが、私は勝手に「自己責任道路」と即命名した。裏返して言えばとてものどかな空気が漂っている異空間。
 車道、歩道、線路、自転車道が時と場合に応じて自然と変化したことに驚いた。

 原則を決めることは大切だが、最終的には歩行者、運転手、自転車に乗る人がそれぞれ状況に応じて、安全第一ということを考え判断していくという気持ちを持たないとだめだと思う。危険を予測することが求められているのである。ただ、自転車は中途半端な位置にいるので甘くとらえられてきたというのは事実である。だからブレーキをはずして平気で乗るということができるのだと思う。ここは猛省してマナーを高めるべきである。

 ピスト自転車のほかに電動自転車も気をつけなければならない。今日、ジムへの道で私も電動自転車と正面衝突しそうになった。ゆるやかなのぼりの場合、電動自転車はかなりのスピードが出る。その勢いで幅の狭い道で見通しの悪いカーブを曲がるとふくらんでくるので対向する自転車や歩行者にぶつかる可能性が大きくなる。下っている自転車より速いスピードで上ってくる自転車はない。という思いこみをしてはいけない時代になった。

 マナーの向上を図るとともに可能な限り、歩道、自転車道、車道と区分された道づくりは進めていってほしい。
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