素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

3月の終わりにかけるまじない“ だい せんじがけ だらな よさ”

2011年03月31日 | 日記
Carmen Maki - だいせんじがけだらなよさ



 竹内整一さんの書かれた本に『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』というのがある。退職をする年の1月に買ったと思う。毎日新聞の書評欄で取り上げられていた。それまで無意識に使っていた「さようなら」「さよなら」という別れの言葉が、世界的に見ると一般的でない、日本特有の別れの表現であるという指摘に不意を突かれたという感じであった。氏によると、世界の別れの表現、別れ言葉は次の三つのタイプに分類できるということだ。

①“Good-bye”“Adieu”“Adios”“Addio”
②“See you again”“Au revoir”“再見”“Auf Wiedersehen”
③“Farewell”“安寧(アンニョン)ヒ、ゲセヨ”

①は別れに際して、神のような存在のご加護を願うという別れ方。
②は「再び会いましょう」というタイプの別れの言葉。
③は「うまくやって行って下さい」という別れ言葉。

日本人の場合、①の「神の御許に」とか、「仏の御加護を」といったような言い方で別れることはあまり一般的でない。②では、「またね」とか「じゃあ、また」と言って別れる。③でも「御機嫌よう」とか「お元気で」というような別れ方はごく一般的に使われている。しかし何といっても、日本人の別れ言葉としては、「さらば」「さようなら」がもっとも一般的である。


というようなことから、なぜ日本人は、「さようなら(ば)」「それでは」といった言い方で別れてきたのだろうか。その別れ方が、世界では一般的でないとすれば、それは、日本人の、人生や世界のどのようなとらえ方、また他者のどのようなとらえ方に基づているのだろうか。ということを文学の中や歴史的にひもとき、死生観という次元までさかのぼって考察している。

 何度か読んでいるが、なかなか消化しきれていない。しかし、2つのことについては腑に落ちている。

 1つは、日本人が「さらば」「さようであるならば」「さよなら」と別れるのは、古い“こと”が終わったときに、そこに立ち止まって、それを「さようであるならば」と確認し訣別しながら、新しい“こと”に立ち向かおうという心のかまえ、傾向を表している。

 もう1つは、日本人は別れに際して、そうした事態をそうした事態として「あるがままに受けいれて、しかもそれを“言いすぎも”せず、“言い足りなくもな”く「人生の理解のすべて」「すべての感情」を“サヨナラ”の四音にこめて別れているのだ。


 また、作詞家の阿久悠(1937~2007)の晩年に書かれた「ぼくのさよなら史」という文章の中の言葉が紹介されている。これも印象に残った。

『さよならは有能で雄弁な教師であった。』、『人間はたぶん、さよなら史がどれくらいぶ厚いかによって、いい人生かどうかが決まる』

 別れと出会いの交錯するこの季節、現役の時のように必然的に“別れ”に出会うことはなくなったが、それでも生活または人生の中で“別れ”ということに無自覚にならず、切なさや哀しさ、寂しさの自覚は持ち続けていきたいものだ。
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懸案だった“花の棚”出来上がる!

2011年03月30日 | 日記
 先日、塗りなおした花の棚を作った後、玄関前の反対側にも棚があれば良いと言われてはいたが、場所が場所だけにどういうスタイルが良いか考えている間に2年たってしまった。支柱の木は安売りの時とりあえず買っておいたが部屋の隅で寝ていた。1つのことがきっかけで、大工仕事の脳にスイッチが入った。春眠・夏眠・秋眠・冬眠から醒めたという感じ。

 うそみたいにアイデアが湧き、イメージが浮かんでくるのである。孫が2階の部屋から部屋へハイハイしている頃、階段から落ちないようにネットを買ってきて防護柵をつくった。すぐに不要になったので押入れに入れたままにしていた。

 いろいろなアイデアは、目覚める前後に湧き出ることが多いが、ある朝、「突如あのネットを使うことができるのでは」というお告げがあった。サイズをはかってみるとちょうど良い。

 もう1つは、2週間ぐらい前に長居植物園に勤めていた方の家の前を通りかかった時“日本さくら草”の苗をわけてくださった。つくり方も教えてもらったのだが一苗一鉢にと言われ、実際にやってみると14鉢ほどになった。ただでもプランターや鉢で狭くなってしまった玄関前に置くと、うっかり蹴飛ばしてしまうおそれがある。何とかしなければいけないということも持ち上がっていた。これも小さすぎて使えないと物置きに入れられていた三段棚。「ちょうど玄関横のサイズであればぴったりではないか」というお告げもあり、測定してみるとうまくおさまる。

 それではこの2つを組み合わせれば、ちょうど良いということで、朝からとりかかった。午前中に、ほぼ形が出来たので、使い残していたピンクや白の塗料をぬり、乾く間に他の用事を済ませて、夕方最後の仕上げをして設置してみた。自分としてはとても気に入っている。

   

これで玄関の左右に棚が出来、2年越しの懸案が一応決着をみたことになる。

 それでもまだ通路は狭いのでまわりの整備を明日するつもりである。世間でも年度末になると予算執行の工事が目立つ。実際には年度末とは無関係な生活をしているのだが、明日に大工仕事シリーズの区切りを迎えられそうだと思うと嬉しくなる。これも長きに渡って体にしみこんだ習性かな。

今日はいろいろな意味で楽しい日となった。
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♪Billboard大阪♪で音楽に酔いしれる

2011年03月29日 | 日記
  2年ぶりの来店となった。前から行ってみたいと思っていた“熱帯JAZZ楽団”の公演。パワフルなリズムとハーモニー。ビッグバンドならではの迫力あるサウンドで浮世のうさを忘れ心地よい空間にしばし浸ることできた。

 カルロス菅野さんも言っていたが、音楽は人間に根源的な力を与えるということも強く感じた。関東東北大震災への義援金コーナーも設けられ、チラシにリーダーを始め4人の方がサインをいれてくれるという粋なはからいがあった。  
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府民の森“くろんど園地”でミズバショウが咲き出した

2011年03月28日 | 日記
 今日は豊田市の足助町に“カタクリの群生”を車で見に行く予定だったが、こまごまとした用事が入ったので無理をしないことにした。長距離ドライブになるので心に余裕のない状態はよくないだろうと意見が一致した。午前中に用を済ませることができたので午後“くろんど園地”の八つ橋のミズバショウがそろそろ咲き始めているのではと思ったので様子を見に行くことにした。

 私市の駅からくろんど池までの1番オーソドックスなコースを歩くことにした。くろんど池にはたくさん行っているが、このコースを歩くのは20数年ぶりである。宅地もずいぶん奥のほうまで伸びていて少し驚いた。

 途中に“アヤメ???”時期が違うしと不思議に思ったが“寒咲きアヤメ”と教えてもらった。宅地が途切れると昔通りの大きな石に囲まれての山道となる。“月の輪の滝”こんなに小さかったのかなと記憶をたどったがイメージがでてこない。

 滝から1時間ほどで八つ橋に着く。ミズバショウはまだ咲き始めで咲いている数も少なく、小さかった。今日のような暖かさが続いたら来週の後半には見ごろになるのではないだろうか。

   


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デジブック 『ちょいブラ嵐山界隈』

2011年03月27日 | 日記
 嵐山にある“花の家”で、私の還暦と孫の卒園(入学)の祝いの昼食会を持った。家族が一緒に食事するのは久しぶりである。家族一緒に行動できるのは子ども達全員が小学生以下の時。上の娘が中学生になればクラブ活動も入りむずかしくなる。食後、息子は自分の車で帰り、娘二人と妻と孫は岩田山自然公園に登り猿達とたわむれ、私はその間散策を楽しんだ。天竜寺の庭にいろいろな花が咲いているみたいだったので初めて入園してみた。なかなか立派な庭園であった。

デジブック 『ちょいブラ嵐山界隈』
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