素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

新スタイルの『余禄日記』にもようやく慣れる

2014年01月31日 | 日記
 新年から『余禄日記』がリニューアルされた。
  読者からの要望などを取り入れての改訂だとは思うが、しっくりこなかった。一番のポイントは見開き2ページの視写の部分を1ページにおさめたことだ。そのため縦長から横長になった。そのため全体のバランスが悪くなり、見た目落ち着かない。次にマス目が小さくなった。従来は9㍉×9㍉のマスに2㍉のフリガナスペースであったのが8㍉×8㍉のマス目だけになった。たかが1㍉だが圧迫感が全然違う。学校での手書き用の用紙には4㍉方眼と5㍉方眼があったが、年齢が上がってくると4㍉はきつく感じるようになったのと同じ。

 1年と4カ月書いてきて身についた感覚の存在にあらためて気づかされた。1ヶ月、パーフェクトに書ききってようやく新しいノートにも慣れてきた。

 今、甘いかおりを漂わせているのは蠟梅。買い物で通る小道に毎年見事な花をつける。通るたびにうれしい気持ちになる。
  
         蠟梅のつばらかに空凍てにけり (石原舟月)


   
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消費税引き上げの影響が見えてきた

2014年01月30日 | 日記
 仕事をしている時、年に一度の定期検診があった。必ず中性脂肪の数値でひかかった。注意しているにもかかわらず年々その値は増えていく。医者からは運動不足を指摘されたが、普通の人よりは体を動かしていたつもりなので腑に落ちなかった。薬ももらったがさして効果がなかった。体質だと勝手に決めてなすがままにときめこんだ。せめて気休めにと、早朝のテレビショッピングで見た《サントリーDHA&EPA+セサミンE》を定期購入することにした。飲み始めて6年になるが効果のほどはさだかではない。それでも医療費抑制に貢献している側に属しているのはまちがいないので良しとしている。先日、商品が届けられた時に、4月からの料金改定の知らせが入っていた。消費税率が5%から8%へ引き上げられることに対する処置であるが目の前に数字として見ると実感がわいてくる。

 そして、今日はジムの料金改定の知らせが届いた。月払い8190円が4月1日から8424円となる。234円のアップだが、見た感じが違う。スーパーの98円と100円の違いみたいなものである。これから色々なところで消費税引き上げの影響が具体的に見えてくるだろう。

 国会の答弁では相変わらず安倍さんは強気であるが、輸入関連のものはかなり厳しい状況になっていることがニュースの中に見え隠れしている。特に建設関係の資材の高騰と人手不足は深刻になりつつある。先日、軒の波板交換をしてもらった時に話を聞いたが工事の受注はあっても、それをこなす職人の数がいないとのことで引っ張りだこだそうだ。半日余りで済む我が家のような小さな仕事でも昨年末に依頼してからほぼ1ヶ月待ちであった。

 東京オリンピックのための公共事業は増えるだろうが、思わぬところでブレーキがかかる可能性がある。円安の恩恵を受けた大企業の景気の良い報道が目立つが、こういう時こそ冷静に総合的に見て、砂上の楼閣ではないのか?という視点での報道を期待する。
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『100分de名著 風姿花伝』最終回は《秘すれば花》《男時・女時》

2014年01月29日 | 日記
 世阿弥は透徹したリアリストであると思う。いかにして民衆の心をつかむか?(=立合という勝負に勝つ)ということを追求し続けていたことが書からうかがえる。最終回は私がよく使っていた言葉《勝負》と《流れ》に関する話であった。
  相手の意表をつくサプライズを用意しておくということは勝負の世界では必要である。文化祭や体育祭の応援などで肝心要なところは当日の本番までは他のクラスの目にふれないように粛々と用意をしていくことはよくやった。2つの効用があったように思う。1つは当日に他のクラスの人たちに驚きを与え、注目を自分達に引き寄せるという、世阿弥が「秘すれば花」で説いたこと、もう1つは秘するものを共有することで、自分のクラスの中に団結心を生むことである。

 ただ、1回使えば「秘すれば花」でなくなるので常に更新していかなければならない。そこがおもしろさであり、つらいところでもある。
  見てもらわないと商売にならないので広告を含め最近の映画やテレビでは事前の情報が非情に多い、そのことが興ざめの原因にもなっているという皮肉な結果になっている。最近の紅白歌合戦はその最たるもの。600年前の世阿弥の時代から観客の側が求めるものはいい意味での期待を裏切る演出である。落語の「中村仲蔵」もそのことを語っている。

 とは言っても、現代は情報垂れ流し社会となってしまったので発信する側に制御は期待できない。自分自身が情報をシャットアウトして、「どうなるだろう?」と「秘すれば花」を楽しむようにしている。

 《勝負》にとって大切なこととの一つが《流れ》を読むこと。世阿弥の時代の能は《立合》によって観客からの支持を競っていたというが、大阪で吉本興業が誕生したころ松竹と熾烈な客とり合戦をくり広げたことや今の視聴率競争と同じだったのだろうとイメージできる。どんなに周到に準備し努力を重ねてもどうすることのできない流れがあり、浮沈を繰り返す。そのことを世阿弥は「男時・女時」という言葉で表現している。

  授業も生徒との勝負と考えれば同じように流れがある。悪意なく何となく散漫な時がある。その時にしゃかりきになって挑んでも空回りとなりますます悪い状態に陥っていく。ひと呼吸おいて潮時を待つ余裕も必要ということ。サッカーの試合でも同じ、流れを読んで選手交代をするのが監督の大きな役割だが、決断のタイミングがまことに難しい。などということを思い出しながら土屋さんの話を聞いていた。
  たとえ勝負に勝ってもそこに安住しないで、常に新しい自分をつくっていこうとする世阿弥の厳しい生き方から生まれた言葉は平易だが奥が深い。
 新しい力をもらった4回の放送であった。後はこのことも参考に、自分でさらに深めていきたい。
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ただひとり凍れる空に冬の月

2014年01月28日 | 日記
 6時に目はバッチリと開いたが、部屋の空気が冷たい。苦にならないタイプだが今朝ぐらいの冷え込みになると布団の中の暖かさが良い。しばらくは布団の中で足首をまわしたり、手足のストレッチをする。心身ともに気が満ちたところで起きる。

 シャッターを上げると細くなった月が目に飛び込んできた。日の出間近のうっすら赤味を帯びた雲ひとつない空に浮かんでいる姿は張りつめた空気によく似合う。朝一番、こういう風景に出会うととても得した気分になり元気が出る。
   ただひとり凍れる空に冬の月  実際今日はいろいろハプニングがあり、あちらへこちらへと動き回る一日であったが、自画自賛ではあるが判断よく切り抜けることができた。朝のスタートのよさのおかげだと思っている。昔より月を愛でてきた人々の気持ちがあらためてわかった。放射冷却で日中はすごしやすい暖かさであったのも幸いした。


 
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1月24日~30日は全国学校給食週間!

2014年01月27日 | 日記
 広島市立の10中学校でノロウイルスの集団食中毒の報道で、デリバリー給食がクローズアップされてきた。自校方式、センター方式というのはなじみの言葉だが、デリバリー方式は私が退職するあたりから耳にするようになった。

 そういうこともあり、学校給食について調べていたら今まさに全国学校給食週間の真っ最中であることを知った。文部科学省のホームページには次のようにあった。

平成25年度全国学校給食週間について

1月24日から1月30日までは、全国学校給食週間です

 我が国における学校給食は、明治22年に初めて実施されて以来、各地に広がっていきましたが、戦争のために中断されました。
 戦後、食糧難による児童の栄養状態の悪化を背景に、学校給食実施の必要性が叫ばれるようになり、昭和21年6月にララ(Licensed Agencies for Relief in Asia、アジア救済公認団体。米国の民間団体)より、給食用物資寄贈の申し出があったことも踏まえ、昭和22年1月から学校給食を再開(「学校給食実施の普及奨励について」昭和21年12月11日文部、厚生、農林三省次官通達)することとなりました。
 これを受け、同年12月24日に、まず試験的に、三都県(東京、神奈川、千葉)で、児童約25万人に対して、学校給食を実施することとなり、同日、東京都内の小学校でララからの給食用物資の贈呈式が行われました。
 それ以来、この日(12月24日)を学校給食感謝の日と定めていましたが、昭和25年に、ララ、ユニセフ等による給食用物資の寄贈に対する感謝の意を表するとともに、学校給食が戦後再発足した意義を考え、その将来への発展を期し、学校給食による教育効果を促進する機運を高める観点から、新たに冬季休業と重ならない1月24日から1月30日までの1週間を「学校給食週間」としたところです。
 子どもたちの食生活を取り巻く環境が大きく変化し、偏った栄養摂取、肥満傾向など、健康状態について懸念される点が多く見られる今日、学校給食は子どもたちが食に関する正しい知識と望ましい食習慣を身に付けるために重要な役割を果たしています。
 学校給食週間においては、このような学校給食の意義や役割について、児童生徒や教職員、保護者や地域住民の理解と関心を深めるため、下記の行事例のように、全国で様々な行事が行われます。
 具体的には、教育委員会、各学校等にお問い合わせください。
 私が勤務した枚方市の中学校は給食ではなかったのでこの取り組みとは無縁であった。その中での集団食中毒事件、皮肉なものである。給食については、勤務している時も何度も話題には上がった。個々の家庭事情の中で給食があればいいと思うこともあるが、生徒指導や給食費未納のことなどを考慮してどちらをとるかと問われた時は反対の立場をとってきた。悩ましい問題であることに間違いない。

 違うサイトでは(クリック⇒)学校給食の歴史各年代ごとの給食のメニューの写真を見ることができた。私は、中学2年までは弁当持参で、中学3年生になった時に給食が始まった。写真では昭和38年のものが記憶と一番近い。コッペパン1個のひもじさやおかずとパンの取り合わせの不自然さ、脱脂粉乳のまずさは覚えている。不平等な配膳をしたり、牛乳びんの口を手で強く叩いて底を抜くことが流行したりとずい分先生を困らせた。確かに弁当のおかずはみんな貧相だったが、給食よりはましという気持ちをほとんどの男子は思っていた。女子がどう思っていたかは聞いたことがない。品の悪い男子の振舞いには冷めた目で見ていたように思う。給食に関しては良い思い出がないのである。

 今ではアレルギーの除去食も大変になってきている。実際現場ではどうなんだろうか、率直な意見を出し合うべき時期ではなかろうかと思った。
 
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