素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

10月は体重の減少月?

2011年10月31日 | 日記
 去年もそうであったが、9月から10月にかけては減少の幅が大きい。

   1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月   
2010 80.5 80.6  80.4 80.7  79.7  79.3 79.0  79.0  79.4  78.1  77.9  76.9
2011 76.3 76.3   76.5  76.5  76.1  75.9 75.7  75.7  75.8   75.2

 今年は7月以後は現状維持モードにはいっていたが、月末の大阪マラソンのため走る機会も増え、結果としては去年並みの減少幅になった。11月にはおそらく増加するが微増にしたいところだ。ロングスロージョギングが効果があるいうことは実証できたように思う。

 もう1つは寝る前と起床後すぐの体重を測定して記録し続けること。2年近く続けてきたが、これも効果があるように思う。記録を長く続けるには、日々の増減に振り回されてはいけない。そのために、月単位の平均を出すということを思いついた。(旅行の日は除外)

 本来、月単位の平均は意味のない数字である。平均値の持っている欠点ではあるが、前半40・後半60でも逆に前半60・後半40でも、また前後半50であっても、平均値は50となる。しかし、体重の場合はその瞬間の重さに意味がある。ボクシングの計量を考えればすぐわかる。リミット50の場合、60の人間が「最初の頃は40で、平均すると50なんです」と言っても相手にされない。平均値では変化の状況、数字の分布状態は見えない。

 スピード違反も同様で、瞬間(瞬間に近い)の速さが問題で、平均の速さは関係がない。家を出てから2時間、80kmの地点で検問にひかかった時、(道のり)÷(時間)=(速さ)の公式にあてはめて80÷2=40、時速40kmですから制限速度守っています。は通用しない。この値も平均値であり、警察が問題にするのは瞬間の値である。

 ただ、平均値はこまごました変化、信号で止まったり、追い抜きで加速したり、渋滞でのろのろはしったりを抜きにしてザクッととらえる時には有効な値である。体重管理も気長な勝負であるからザクッとしたとらえかたをしていく必要があるということを記録をしながら思った。

 記録などとらずに、体重計にポンと乗って、その瞬間の体重を確認していけばよいというのは正論である。しかし、漠然とした方法では、体重管理がむずかしいという現実がある。私の場合は、もう少しすれば、記録なしでもいけるのではという思いはある。長くやってくると、だいたいの生活の仕方で予測がつき、ほぼその通りの実測値となっているからである。

 現状維持に入ってからは、76kgを基準に、朝の体重がオーバーした時は黄色のシール、以下の場合は緑色のシールを貼っている。現役時代に使い残したシールの消費ということまあるが、視覚的に把握していくことも長続きするための1つの手段である。

 これを見ると、9月より10月のほうが増減が安定している。10月30日の朝の黄色は前日から、エネルギーとなる食べ物(ご飯、麺類、餅)を多めに食べて体内に蓄えたためである。

 30日の朝は、体脂肪16.4・体重76.5kgであったのがマラソン後の就寝前は、夕食をたっぷりとっても体脂肪13.6・体重75.0kgであった。当然といえばそれまでだが、体は正直である。

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大阪マラソン2011「還」・「歓」・「汗」・完走:5時間44分47秒(速報値)

2011年10月30日 | 日記
スタート地点に立つまではやはり気を遣う。午前4時50分に起床。5:10から朝食。たっぷりエネルギー補給。外は雨の音。昼過ぎからと違うの?早過ぎる!天気予報はずれ?重い気持ちで最終準備。

5:50自転車で星田駅へ。途中コンビニで大福餅購入。6:19の西明石行に乗車。6:44京橋着。歩いてランナーサービスエリア(太陽の広場)へ向かう。はずれたコースなので人通りは少ない。
   6:58大阪城公園駅まで来ると人人人。駅からの階段は途切れることない人の波。

 7:05太陽の広場で着替えやら荷物の整理、アップをする。7:20移動して手荷物を預ける。

 7:30にスタートブロックに入る。ゴール予測タイムの早い順にAからQまで。私はP。ここで9時まで待つ。開会セレモニーの様子などはさっぱりわからない。時々、前方から拍手の波が押し寄せてくるのでそれに合わせて盛り上がる。

 「走る前に、立っているだけで疲れるよな」とアスファルトに坐り始める人が増えてくるが、締め切り時間の8:35が近づいて来ると、「後ろのほうでブロックに入れない人が出てますので、もう少し前のほうに詰めてください」とスタッフの指示。自分の周りにほとんどスペースのない状態になる。待つこと30分余り。9:00過ぎになってやっと動き出す。スタート位置まで牛歩移動。
 歩くこと20分弱、ようやくスタート地点に到着。42.195kmの長い旅に出る。

 普段は信号でままならない大通りをフリーに走ることができるのは気持ちが良い。一番大変なのはトイレである。ポイントごとにある仮設トイレは長蛇の列。

 「ランナーズ・アイ」のサイトから15km.25km.35km.フィニッシュの様子を無料で視聴できる。(~11月21日(月)まで)

http://www.moviecloud.jp/osaka2011/ でランナーズ・アイ専用サイトにアクセス。
②私のゼッケン番号 P27376 を入力

 私の入っている集団の通過映像を見ることができます。とは言っても、私はカメラの存在に無頓着だったので、15kmでは右上をスーッと走っているだけ、25kmでは最後に映った瞬間に終わり。一番はっきりしているのは35km通過時、中央やや左から真ん中に最初から最後まで記録されている。限界手前の足取りです。

 フィニッシュでは、右カメラでは画面右のほうで携帯で写真を撮ってからゆっくりゴールしている映像、左カメラではゆっくりゴールしている映像である。 

 それと、私の5kmごとのタイムデータも知ることができる。最初の5kmの区間タイム54分8秒は、9時からスタートラインまでの移動時間20分弱が加算されていると思います。 

『相棒』で東京マラソンでのチップによるシステムを使ったものがあったが、実際自分が経験してみると、すごいシステムやと思う。同時に監視社会ってこんなのやなと怖くもなった。フィニッシュの時撮った写真です。

 15:05でした。

 着替えやら、休息をして16:05に出口に向かうが、大混雑。4列に整列してスタートの時と同じ牛歩。マラソンで疲れきった足には結構こたえる。特に、下り階段がきつい。地下鉄のコスモスクエア駅までも普通なら10分足らずだが、30分近くかかった。地下鉄中央線で本町乗換え、四つ橋線で西梅田に、東西線の北新地から星田に、18:24着。雨の中を自転車で帰ったが、「自転車って、楽やナ」としみじみ思う。

 18;40我が家にもどる。長い長い1日であった。



  





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還暦走なので赤づくし

2011年10月29日 | 日記
今回、大阪マラソンに申し込んだのは第一回ということもあるが、自分が還暦を迎え、何か区切りなるものをやってみたいという気持ちも大いにあった。朝から必要なものを準備する。“還暦走”なので月並みだが“赤づくし”にした。

OFFICIAL PROGRAMを開けると大阪秋の陣で注目の2人が仲良く並んでいる。
 3年余り前に知事に初当選し、大阪マラソンの提案をした時、大阪マラソンが最後の仕事となり、ダブル選という血みどろの闘いが待つことになろうとは夢にも思っていなかっただろう。

 昨日の行き帰りの電車の中で『東京の「教育改革」は何をもたらしたか』を読み進めることができた。今、大阪で提案されている“教育基本条例案”はオリジナルなものではなく東京都の「教育改革」の模倣であることがはっきりした。マラソンは真似ても害はないが、改革という名の“教育破壊”は安易に追随するのではなく、先行した取り組みをしっかり検証したほうが得策かと思った。

 今回のダブル選は大きな意味を持つ。ここが思案のしどころである。

 一回限りの大阪マラソンではないだろう。さて来年のOFFICIAL PROGRAMのあいさつでは誰と誰が並ぶことになることやら。

 久しぶりに“朝日ジャーナル”を買った。緊急増刊号で「政治の未来図」という特集である。一読の価値はあると直感した。
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大阪マラソンの受付に行って来ました

2011年10月28日 | 日記
   地下鉄中央線のコスモスクエア駅で降りて、ランナー受付会場のインデックス大阪へ向かう。真っ先に目に飛び込んで来るのが大阪府咲洲庁舎である。地上252mの西日本一の展望台を持つ。ずいぶん話題になったビルであるが近くで見るのは初めてである。「ああこれか!」と思った。通り過ぎて左折するとインデックス大阪が見えてくる。

  正面には大きな看板、中に入るとズラリと受付が並ぶ。本人確認のために運転免許証を見せる。免許証の写真と比べて「ずいぶん違いますね」と言われる。「その写真を撮った時から10kg近く痩せましたから」と言い訳をする。とにもかくにも無事にゼッケンと記念Tシャツを受け取ることができた。

ゼッケン番号はP27376である。

   受付の後は協賛企業の出しているブースをまわって雰囲気を楽しむ。マラソンの年代別集計では10歳代0.2%・20歳代12.8%・30歳代30.4%・40歳代31.4%・50歳代17.2%・60歳代6.9%・70歳代1.1%・80歳代以上0.02%となっている。男子の最高齢は90歳、女子の最高齢は91歳とのこと。是非お目にかかりたいと思う。

  出口に向かうとたまたまジェロをまじえてのイベントをしていた。大阪の叔母がいたら喜ぶだろうにと思った。ついこの間、妻を誘いジェロの出ているミュージカルに行ったばかりだし、その前は佐渡ヶ島でのコンサートにも行ったぐらいである。

 とにもかくにもここまでこぎつけてホッとしている。天気予報を見るたびに雨の可能性が増しているのがやや心配の種。



 


 
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立川談春著『赤めだか』読了

2011年10月27日 | 日記
 半分ぐらいまでは、渡部謙一さんの『東京の「教育改革」は何をもたらしたか』とほぼ同じスピードで読み進んでいたが、“志らく”が前座集団に加わってからの後半、“己の嫉妬と一門の元旦”からは渡部さんの本はそっちのけとなり、『赤めだか』の世界に入り込んだ。

 談春にとっては前座から二ツ目、二ツ目から真打へと進む中で、3才年上だが、1年半遅く入門してきた“志らく”の存在がとても大きい。
前座修行中、“志らく”に対して複雑な感情を抱いている談春に対して、談志が云ったことが的を射ている。(p116より)

 翌日、談春(ボク)は談志(イエモト)と書斎で二人きりになった。突然談志(イエモト)が、
 「お前に嫉妬とは何かを教えてやる」と云った。

 「己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱味を口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する。本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。芸人なんぞそういう輩(やから)の固まりみたいなもんだ。だがそんなことで状況は何も変わらない。よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う。」


 後輩の“志らく”に先に真打に昇進された談春。このことをめぐる話の中で落語の世界で真打になる順番の持つ大きな意味合いは再認識させられた。割り切ろうとして割り切れず、やや自棄になっていた談春とさだまさしの会話が味わい深い。(P267~P268より)

 「談春(おまえ)、一体自分を何様だと思ってんだ。立川談志は天才だ。俺達の世界でたとえるなら、作詞作曲、編曲に歌に演奏まで独りでできてしまう。その全て、どれをとっても超一流、そんな凄い芸人が落語というひとつの芸能の中で、五十年の間に二人も三人も出現するわけがないだろう。憧れるのは勝手だがつらいだけだよ。談春は談志にはなれないんだ。でも談春にしかできないことはきっとあるんだ。それを実現するために談志の一部を切り取って、近づき追い詰めることは、恥ずかしいことでも、逃げでもない。談春にしかできないことを、本気で命がけで探してみろ。」

 「でも談春(おれ)、もう少しなんとかなりたい。オールマイティに近づきたい」

 「あのな、誰でも自分のフィールドに自信なんて持てない。でもそれは甘えなんだ。短所は簡単に直せない。短所には目をつぶっていいんだよ。長所を伸ばすことだけ考えろ。談春の長所がマラソンなら、マラソンで金メダルとるための練習をすればいいんだ。マラソンと100メートル、両方金メダルはとれないんだよ。マラソンと100メートルではどっちに価値があるかなんてお前の考えることじゃない。お前が死んだあとで誰かが決めてくれるさ。お前、スタートラインに立つ覚悟もないのか」

 「あります」

 「それなら早く真打になれ。そこがスタートラインだろう」

 そうか、スタートラインが真打なんだ。スタートラインを一歩でも二歩でも他人より前にしようという考えが間違いだったんだ。さだまさしのアドバイスで吹っ切れた。状況の問題じゃない。スタートしたら走り続けるという覚悟の問題だったんだ。


 人生にはターニングポイントと呼べるときがいくつかある。そこには、人、本、映画、音楽、事件、出来事などとの運命的な出会いが存在する。発信する側には大きな意図は存在しない。大切なのは受信する側の感性ではなかろうか。そういう意味でも面白い本であった。

 もちろん『修行とは矛盾に耐えることである』という言葉を地でいく談志のもとでの悪戦苦闘の修行生活の様子の面白さは言うまでもない。

 最近、講師でがんばってきて、やっと正規の教員になれたのに2~3年で辞めてしまう人の話をよく耳にする。せっかくスタートラインに立ったのにと残念この上ない気持ちで一杯になる。よけいにさだまさしのことばが沁みるのである。

 12月10日に森ノ宮ピロティホールで立川談春独演会がある。特別予約をしてあるのでまもなくチケットが届くはずである。初めて噺をきかせてもらうので楽しみにしていたが、本を読んでさらに楽しみが倍増した。
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