素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

大過なく9月も終わる

2011年09月30日 | 日記
 よく歩き、よく走った9月であった。走った総距離は188km。現状維持の目標もクリアでき、10月末の大阪マラソンに向けての土台作りは順調にできたと言って良い。 


   1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月   
2010 80.5 80.6  80.4 80.7  79.7  79.3 79.0  79.0  79.4  78.1  77.9  76.9
2011 76.3 76.3   76.5  76.5  76.1  75.9 75.7  75.7   75.8

 「がん検診無料クーポン券」が交野市保健福祉部健康増進課から送られて来た。40歳・45歳・50歳・55歳・60歳が大腸がん無料検診対象者ということらしい。治療から早期発見・予防へと高齢者の増加とともに医療の力点も移ってきている。

 人間ドッグを始めてとして検診には無関心であったが、無料クーポンまで用意されたら受けてみないといけないだろう。体重コントロール、トレーニングをしてきた経験からも、数値に振り回されてもいけないがある程度の客観的な数値目標は必要である。

 10月も自分自身も含めまわりの人たちが健康に自分の生活を楽しんでくれることを望む。それが一番幸せなことである。 
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寝屋川公園・20km(4km×5)を2時間38分51秒で

2011年09月29日 | 日記
 火、水あわせて25km走っているので1日空けてからロードを走ろうと思っていた。しかし、天気予報によれば明日の午後雨が降る確率が高いので足に疲労がたまっているが、20km走をすることにした。

 「暑い!」と言っている人もいるが、あの夏の暑さに比べたら走りやすいことこの上ない。前回の2時間36分50秒の記録を短縮することはできなかったが、体のコンディションを考えると上出来であった。クロスカントリー並みのアップダウンの連続なので足への負担は4周目あたりから感じるようになる。

コースの途中では、コスモスや彼岸花が目を楽しませてくれ、金木犀の香りも漂い始め季節の移ろいを感じながら走ることができた。

 小川さんの“読み解く人”の存在の話は建築だけではなく、さまざまな人間の創造活動に共通するものではないかと走りながら考えた。

 今、「ブッダの真理のことば・感興のことば」(中村元訳・ワイド版岩波文庫)をつれづれなる時に読んでいる。およそ二千五百年も前のブッダの言葉を短い詩の形にしてあるものだが、それらを時空を越えて“読み解く人”が綿々と存在し続けたことこそ驚嘆に値する。源氏物語も同じ。古典と呼ばれているものは時代背景とか、国とかを飛び越えて、“人間とは”という本質に迫ったものではないかと思う。それゆえたくさん人に“読み解く”楽しみを与えてくれるのである。

 今であればドラッカーの言葉が、さまざまな分野の人に読み解ってしまえばかれ“もしドラ”という形になっているが釈迦、孔子、キリストなども基本的には変わりがないと言うと言い過ぎかな。 

「求める心」がなければ“読み解く人”になることはできない。【救心】よりも『求心』が大切。
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今日の夜は、なぜか“ビート・たけし”

2011年09月28日 | 日記
 昨日、60分10kmをマシーンで走ったので、足に張りがある。月末は負荷をかけると決めていたので今日は、筋力トレーニングを3セットみっちりやってから走ることにした。3セットすると(普通は2セット)さすがに全身が何となく重い感じになる。走り始めて20分ぐらいで“悪魔のささやき”が始まる。ここを乗り切れるかどうかが大切。結果、90分15kmまで粘って走りきることができた。

 これぐらい走ると夜に本を読むことはできない。テレビを見ながらボォーと過ごしたくなる。ビート・たけしは好きでないのでこれまで彼の番組は全く見なかったが、今日だけは別。NHK・BSプレミアム20:00からの「たけしアートビート選」は宮大工・小川三夫さんを訪れ飛鳥・天平の建築を巡っての話。MBSテレビ21:00からの「北野演芸館」は17組の芸人による漫才、コント。ビート・たけしが好きとか嫌いにこだわってはいられない。

 宮大工・小川三夫さんの話は面白かった。

 栃木県出身の小川さん、高校の修学旅行で法隆寺五重塔を見た時、1300年前にどのようにして建てたのだろうという思いを強く持ったことがきっかけとなり、卒業後法隆寺宮大工の西岡常一の門を叩くが断られる。

仏壇屋などで修行をした後に、22歳で西岡棟梁の唯一の内弟子となる

 西岡さんは何も教えない。自分に合った道具にするために、毎日、刃を研ぐことだけをするように命じたという。自分の削ったかんなくずを1枚だけ渡してくれたという。小川さんは西岡さんのかんなくずと同じものが出来るまで、かんなをかけ、刃を研いだという。

 薬師寺西塔の再建に取り組む時、東塔を徹底的に調べ上げたノートには感動した。小川さんは「読み取る人」という言い方をしていた。

「うそ偽りがない、自分が思えることを精いっぱいやっておくんだよ」ということです。

毎日毎日の仕事を精一杯やっておくというか。「精一杯やっておく」ということは、未熟であってもいいんですよ。
未熟であろうが何だろうが、そのときの自分はごまかしようがないんですから。

でも、未熟ではあっても、うそ偽りのないもの、一生懸命やってやってやって、やりきっててつくったものは、やっぱし何百年か後にこの建物を誰かが解体修理した時、「へぇ。平成の大工さんはこういう考えをしてあるんだな」と、それを読み取ってくれる人がいるんですよ。

ですから、読み取ってくれる人がいると思うから、精一杯のものをつくっておかなくちゃならない。うそ偽りがあるかどうかは、そこにある建物の中に、あらわれるんですから。


これはほぼ日刊イトイ新聞~一生を木と過ごす(www.1101.com/education_ogawa/index.html) での言葉だが、ほぼ同じ内容だったと思う。教育ということを考える上で示唆に富む話が一杯あった。

 「北野演芸館」は久しぶりに、きちっとしたネタで笑わせてもらった。テレビの世界ではそういう機会が減ってきたと痛切に感じる。
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MT君からの封書

2011年09月27日 | 日記
 布団干し日和であった。太陽の熱を吸い込んだ布団のほんわかした暖かさが心地よい夜になった。正式な日の出、日の入りの定義によると今日が昼と夜が12時間ずつ分け合う日であるらしい。季節の変わり目を意識する時でもある。

 5日ぶりにジムに出かけた。何となく“走る体”になってきていることを感じ始めていたので、5日のブランクはそれを試すのにちょうど良い。軽い筋トレの後、ランニングマシーンですぐに時速10kmのペースに上げた。以前であればこのペースになると心にストレスを感じたのだが、今日は楽な気持ちでリズムにのり、葛藤がおきることなくそのまま1時間走ることができた。心身ともにワンランクアップしたことを確信した。金曜日までいろいろな形で試してみてから本番に向けての行程表を作成したいと考えている。

 ジムから帰ると、MT君からの封書が届いていた。“緘”封がしてあり、差出人はMT税理士事務所となっていた。学校現場では“緘”印を押す時は進路関係などの重要な書類となっていたので「封書の中身は何なんだ?」と封を開ける前に考えてしまった。

 MT君とは浪人時代の10ヶ月をともに過ごしただけであったが、私にとっては人生を決める大きな存在であった。大学受験に失敗し、次に向けてどうするかを考えていた時、定番であれば名古屋の河合塾だが、どうも気が進まなかった。ふと新聞に“朝日文化センター大学進学教室”の小さな広告を見つけ、「ここにする!」と即決した。理由はない。感じるものがあったというだけである。

 最初の授業でたまたまMT君の隣に坐った。彼は非常に前向きな姿勢で授業に臨んでいた。数学の最初は因数分解から始まった。私は高校数学のスタートでこれにつまづいた。以来、数学は(も?)低空飛行を続けた。老講師は開口一番「数学につまづいた人間のほとんどは因数分解をクリアしたら立ち直る」と指摘した。私は「よし!」と思った。姿勢が変わると不思議と理解も変わる。そこに、MT君からの質問攻めが加わった。彼は私以上に数学を苦手としていた。「私は数学がよくできる」と錯覚した彼は毎時間隣に座りわからないことをたずねてくれた。技術的なことよりも本質的な部分にひっかかるタイプなので議論にもなる。人間、期待されると何とか応えようとする。いつしか私は数我苦が数楽になっていた。

 大学進学教室の授業は午前中だけとのんびりしたカリキュラムであった。授業も技術的なことよりも本質的な部分に迫るような感じで、受験のためということを忘れさせてくれた。

 MT君の積極的な姿勢は、得意の国語でいかんなく発揮された。長文に対する設問に答えながら読解を深めていくという形の授業であった。ある日、いきなり彼が「答えを書きに行こう!」と授業の前に誘われた。二人の解答が並んで書かれた状態で授業が始まり、教師のほうもごく自然に二人の答案を使いながら進めていった。3人の意見が食い違う場面もある。どれが正解と決めつけるのではなく他の受講生も加わりワイワイと議論になる。この経験は私にとっては貴重なものだった。

 彼は東京の大学に進学し、東京で就職し、私は愛知で大学生活を送り、大阪で就職した。一度も会って話したことはないが、年賀状だけは年一回やりとりしている。このあらたまった“緘”の意味に思い当たることもなく開封した。

 「これまで37年余にわたり国税の職場に勤務してまいりましたが、去る7月を持ちましてS税務署長を最後に退職させていただきました。」とあった。『そうか、退職したんか』と時の流れに思いを馳せた。昭和49年から平成23年までの37年間は、日本経済が爆発的に拡大した後にバブルがはじけ、停滞に突入するという大きな変動期であった。国税という仕事を通じて内側からダイナミックな経済の動きを見続けてきた彼の言葉の中に、物事に対する前向きな姿勢、熱い視線を感じた。

 今後は、税理士として事務所を開設し、今までの経験を生かして日本経済を外から見つめるとのこと。

 彼の“緘封”の封書を見た時、瞬間いぶかしげな顔をしたと思う。余談になるが、それで思い出したことが1つ。

 私が就職して、初めてつくった中間テストで、まわりの先輩に相談することなく、これはとっても大切なもので、決して漏れてはいけないと強く思い、刷り上った夜遅く、大きな封筒に入れびっしり糊づけをして、封じ目の三ヶ所に“緘”を押して誰の目にも触れないように厳重保管したのである。当日、気合を入れて監督の先生に「お願いします!」と言って手渡ししていったのだが、受け取った先生ののビックリしたような顔、とまどった顔、ニヤッとした顔に「変なことしたかな?」という思いにかられた。

 自分の机にもどると、無造作に輪ゴムでとめられただけの試験用紙が置いてあった。「ええ!こんなんでいいのか!?」と思わず叫びそうになった。
 
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須磨海浜水族館へ

2011年09月26日 | 日記
 運動会の代休で休みの孫を1日預かることになった。「動物園は臭いのでいやだ。」というので水族館に行くことになった。須磨海浜水族館に我が子を連れて行って以来だから、ほぼ25年ぶりぐらいか。

    月曜日なので空いているだろうと思っていったが、同じように代休であろう小学生や校外学習の団体が4組ほどいたりしてにぎわっていた。私はいろいろな“くらげ”が一番気に入った。生物の根源みたいなものを感じた。孫のほうは魚などを見ることに加えて“こびと図鑑”のこびとの人形をリュックに7体入れてきていて、ポイントポイントでその人形を入れての撮影会も楽しんだ。当の本人は周りの目などそっちのけで人形をセットしてポーズをとるのだが、さすがに流行しているだけあって幼稚園児や小学生の反応は鋭くつきあう私は妙に気を使ってしまった。

 “無邪気な時代っていいなぁ”と園内のいたるところで感じた。

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