素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

ころの時代ライブラリー 「歌詠みとして今を生きる」・馬場あき子

2023年09月30日 | 日記
 昨夜、お月見騒動も一段落した後の風呂上り「やれやれ一服」とテレビのスイッチを入れるとEテレになっていた。孫が見ていたチャンネルがそのままになっていたのだろう。【歌人・馬場あき子さん、95歳】というテロップが目に入った。学徒動員で軍需工場での体験を語っている場面だった。普段であればパスをしてしまうのだが、なぜかその時は見入ってしまった。

 2019年3月10日に放送されたものの再放送である。

 静かな語り口だが惹きつけるものがあった。馬場さんの原点は10代後半の戦争体験。戦後の焼け野原の中で自分が一個の“物”ではなく、一人の“人間”であることに気づいた。教師となり、歌を詠みながら、能や古典の研究にも打ち込んできた馬場さん。その足跡を写真、映像とともに振り返っていた。94歳の母とは1歳違い、母も同じような体験をしてきたのだと思うと考えさせられることが多かった。

 たとえ国が滅んでも、歌や芸能によって言葉が守られれば、人々の“いのち”は失われないという言葉に重さを感じた。また、「鬼」の話も興味深く見た。常に心に一匹の“鬼”を飼ってきたという馬場さんの話には凄みすら感じた。nhkプラスで10/6(金) 午後11:49 まで配信されているので、もう1度最初からじっくりと見てみようと思っている。




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中秋の名月

2023年09月29日 | 日記
 旧暦の8月15日にあたる今日が「中秋」。昔から人々が愛でてきた「中秋の名月」である。暦の関係で「中秋の名月」=「満月」とはならない。今年は3年連続の満月である。次は7年後というから天気予報は気になった。運よく高気圧が張り出して大阪の空は月見には絶好のものとなった。

 長男は、シフトの関係で今日と明日が休み。「時間に余裕があって、満月、しかも晴天と3拍子そろうことはこれから先ないだろうから」と言って京都の大覚寺での月見に出かけて行った。

 小1の孫は、今度の日曜日が運動会。コロナによる制限が解除され我々も観覧できるようになったので、プログラムと入場券2枚を持って来た。夕食後、屋上に上がって月を見るのだと張り切っていた。月の出が18時頃だから山影から姿を見せるのは19時前あたりかと言っても、何度も屋上に確認に行っていた。

 やっと月が姿をあらわすと「早く 早く」とみんなを急き立てた。
  ウサギのダンスよろしく踊ってはポーズをきめて悦にいっていた。
 

 大覚寺から帰った長男は人の多さには辟易したみたいだが「まあ一生一回のことだから」とロケ―ションの良さには納得したみたいで満足していた。珍しく「鶴屋吉信」のお菓子を買って来てくれた。いつになくいい月見の夜となった。
 
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年年歳歳花相似、歳歳年年人不同

2023年09月27日 | 日記
 亡くなってから5年ほど空家になっていた知人の家の前を久しぶりに通ると家が取り壊され更地になっていた。庭でできた野菜や果実を届けていただいていただけに何もかもが無くなった空間を見ると寂しさに再び襲われた。

 こういう時は、いつも唐代の詩人、劉希夷の「白頭を悲しむ翁に代わりて」と題する詩の中の一節が浮かんでくる。

古人(こじん)復(また)洛城(らくじょう)の東に無く
今人(きんじん)還(また)対す落花の風
年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず
言(げん)を寄す全盛の紅顔の子
応(まさに)憐(あわれ)むべし 半死の白頭翁(はくとうおう)

「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」。自然の悠久さと人間の生命のはかなさを対峙させて人生の無常を詠歎した句である。「らんまん」の大詰めで流れる空気にも通じる。

 そんなことを考えていたら去年花の時期から実がなり落ちる時期までゴミ出しのたびに観察していた栗の木ことに思いが行った。今年はまったく気に留めずに過ごして来た。「どうなんだろう?猛暑の影響受けているかな?」と確かめたくなった。

 栗の木は、私が関心を寄せていてもいなくても同じように立派な実をつけていた。それは当たり前のことだがなぜかしみじみとした気持ちになった。

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酔芙蓉

2023年09月26日 | 日記
 初めて枚方山草会の展示の手伝いに行った時、ベテランのNさんから名札に書く植物名はカタカナにするのが原則だと教えられた。今、ジムの行き帰りに目を楽しませてくれる花も「スイフヨウ」とすべきだが、こればっかりは漢字で「酔芙蓉」とするのがピッタリくる。

 朝に白かった花が、昼過ぎには薄いピンク色を帯び、夕方には赤色になる。この色の変化が酒に酔っていく様子にたとえられての漢字である。ジムに行く時と帰る時の色の変化を楽しんでいる。私は、昼過ぎのうっすらとピンク色を帯びた花が好きだ。
   
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「らんまん」の最終週は驚きのスタート

2023年09月25日 | 日記
 先週は、練馬の野原に立った万太郎と寿恵子が植物標本を所蔵する館と四季折々の花木が楽しめる植物園を思い描くというシーンで終わった。さてどんな展開にとスイッチを入れると驚きの3連発。まづ時代設定がいきなり昭和33年(1958年)にタイムスリップ。「エッ!1年前に亡くなっとるやん」と思わず口ばしった。これが1つ目の驚き。そして2つ目が、語りをしてきた宮崎あおいの登場。藤原紀子30歳。以前はカイコの試験場にいたが、今回は片付けのアルバイトと思い、気楽な気持ちで区役所に応募した役どころ。3つ目が紀子を迎えに出てきたのが松坂慶子である。オープニングのクレジットに松坂慶子の名前があったが、チラッと見た程度で回想で登場するのだろうと勝手に思いこんだ。が、見事に外された。61歳になった万太郎の娘・千鶴としての再登場だった。「この手があったか」とまたつぶやいてしまった。

 脚本の長田さんの思いをスポニチアネックスで知ることができ納得した。一部抜粋させてもらう。

「関東大震災の大火災、さらには第2次世界大戦の東京大空襲の間も、40万点という途方もない数の標本を、富太郎さん、ご家族、周りの方々が守り抜いたのだという事実を知って、本当に衝撃的でした。戦後、40万点の標本を初めて目にした人たちも、きっと私と同じように驚いたと思うんです。そして、大空襲から命懸けで守った人たちがいるなら、戦争で生き残った自分たちも次の世代に残さなきゃいけない。自然と使命感に駆られたんじゃないかと思ったんです」

 牧野博士が昭和32年(1957年)に亡くなった後、自宅に残された未整理状態の標本40万点が東京都に寄贈。整理・収蔵のための「牧野標本館」が昭和33年(1958年)、東京都立大学に設立された。

 「まず、牧野家から都立大学に移すまでにも大きな苦労がありました。そして、大学に収蔵されてからも20年以上の長きにわたる地道な整理作業によって、標本が活用されたからこそ、牧野富太郎は世界の牧野博士となり得たのです。この牧野コレクションを基に、各国の貴重な標本と交換したり、絶滅した植物も調査できたりと、植物分類学の基盤となってきました。この、標本を整理して、活用できる形で後世にバトンを渡そうと尽力した人たち(劇中は宮崎演じる紀子)のことは、絶対に盛り込みたいと思っていました」
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